神ならぬ身の裁き

2009-06-06 11:27:07 | 社会

元少年の申し立て棄却 御殿場強姦未遂で家裁支部
06/06 静岡新聞


 御殿場市で2001年、少年10人が少女を暴行しようとしたとされる事件で、
強姦(ごうかん)未遂の非行事実で中等少年院送致の保護処分となり
刑事裁判の再審に当たる審判を受けていた元少年(23)について、
静岡家裁沼津支部は5日、元少年の処分取り消し申し立てを棄却した。


 決定理由で原啓裁判長は、当初の保護処分決定後に
被害少女が事件の日付に関する証言を翻したことについて、
原決定の日付での非行事実は認められないが、
 関係証拠に照らすと日付変更後の少女の証言は十分信用できる。
 犯行の事実は認めることができる
」と述べ、
「中等少年院送致の決定は相当」とした。

 決定を受け、元少年の母親は
新しく提出した天候のデータやアリバイは無視された。
 全く納得できない」と話し、
刑事裁判の控訴に当たる抗告を検討するとした。

 元少年は02年1月に中等少年院に送致され、
退所後に無実を訴え処分取り消しを申し立てた。

起訴された別の少年の公判で、
少女が事件の日付を1週間変更したことから
同支部が申し立てを認め審判を再開していた。







この記事を読んですぐ、
私は足利事件(冤罪とされている)を思い浮かべた。


足利事件も御殿場事件も
加害者とされた人物が実行犯かそうでないのか、、、私には判らない。


ただ、足利事件において、
菅家さんは一度自供し、その後、翻した。

御殿場事件でも、この元少年は一度自供し、
その後、被害者女性が被害日を1週間変更する供述を行い、、
元少年は無罪を主張した。


犯行日時が一週間も違う事を、
『少年が自供した』というのはどういうことなのだろうか?


彼は、『無かった事件』を自供した事になるのではないか?

しかも、「新しく提出した天候のデータやアリバイは無視された」という。



もちろん、裁判というのは
こういう単一的な事実や証拠だけではなく
膨大な証拠が総合的に集約されて判断されるのであろう。

が、しかし、、、記事を見る限りにおいては
申し立て棄却というのは正しい判断だったのだろうか?

、、、と訝しい気持ちを持たざるを得ない。



裁判において、有罪であると裁判官が予断を持った場合、
被疑者が『私はやっていない』と言い続けると、
『反省が見られない』と判断され、刑は重くなる。


しかし、やっていないものは『やっていない』としか言いようが無い。


が、逆にやっているのにもかかわらず
『やっていない』と言い続ける者も現実には居る。



そのどちらかであるのを、私たちは、
もちろん通常は証拠をもって判断するのであるが、
往々にして情緒的に或いは世論の趨勢によって
判断しているのではないだろうか。



例えば、和歌山カレー事件は『林眞須美被告は犯人である』
、、という事になっていて
何となく世間のコンセンサスも得られている。


しかし、、林は、
11年間一貫して『私はやっていない』と主張し続けている。



真実は、、、、犯人と神だけが知る。



人生はその局面局面において
必ずしも正義が在るとは言えない。


しかし、できうれば、

その人物の一生を通して考えた時に、

『なるほど、、、』と本人が納得できるようなもので

あって欲しい。


、、、、、と、私は心から願う。


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7 コメント

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足利事件 (はるな)
2009-06-06 16:08:34
果たしてこの前受刑者は、シロなのか。いや同種事件で不起訴にはなったが自供している事実はどうなるのか。冤罪とは、なにも罪を犯していない人に対してのみ使われる言葉ではないか。本来は17年ではすまない事件であるが、案外本人は、ラッキーと思っているかもね
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神は見ている (P@RAGAZZO)
2009-06-06 17:45:45
はるなさん、こんにちは。

これねぇ、、
真実は私には判りません。

ただ、
『神はすべてを見ておられる』とか言います。

『見ておられた』から冤罪が晴れたのか?

彼を『神が見ておられる』結果が
「これから」あらわれるのか、、、

神のみぞ知る、、、ということでしょう。
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まさしく神は・・・ (やまびこ)
2009-06-07 11:37:54
Pさん、こんにちは。

あはは、病院ロビーのコインPCからです。

人が人を裁くなんて本当に難しいことですね。
高徳な宗教者であれば、どのような弄逆であっても許すことで、自らも許される道筋をたどることもできますね。
でも、それを許されるのはほんの一握りの人でしょう。
自分の命に代えても愛しく思う子を殺されて、犯人を許せと言われても、1億分の99,9999,999人まではできないでしょう。
さりとて個人の復讐に任せるわけにもいきません。
だから、法を定め、専門の司直を置き、公の復讐制度を設けています。
(更生主義とか言うが、それは司直が神ならぬ身で人を裁こうとすることに対する後ろめたさからくる言い訳、乃至はささやかな良心の表れだろう。)

限りなく過ちは少なく、できれば過ちが全くない無ければ良いが、神ならぬ身でどうしてそんなことが可能であろうか。
裁判官とて人の子、検察官しかり、いや弁護人またしかり、捜査にあたる警察官またしかり・・・。
わが国の1年間の刑事事件は数百万件と聞いて驚いた。
こんな膨大な事件があって、よくもまあ問題事案(今度のような冤罪ケースなど)が少ないもんだなあと・・・。
少ないからいいというつもりはないが、そのためにどれだけの人々の努力と苦労があるかと想像すると頭が下がる気もする。

今度の事件が冤罪でなかったというつもりもないが、本当に冤罪だったかどうかは私にはわからない。
ただ一つ言えるのは、彼は1点の曇りもない人間であったということはなさそうだ。
本件のほかに疑われた事件が2つもあったと聞く。
彼への同情をいかんというのではない。
だが、今の・・ではなく、当時の彼を聖受難者のようにいうのは気っと大きな間違いであろうと思う。
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眠れない夜 (P@RAGAZZO)
2009-06-07 12:21:56
こんにちは、大兄。

いや、さすがに痒い所にまで手の及ぶ
大兄の解説ですね。

足利事件は今現状は彼はまさしく受難者であると捉えられ、
古館などは
『検察には今でも彼が犯人に間違いないなどと妄言を吐く人もいるやに聞きます』
と、まるで自身が神になって真実を知るが如き断定ぶりです。

私たちは知らなければなりません。
真実は闇の中に消えたのだ、と。

これは私の弁護士に聞いたことですが、
裁判官の自殺率というのはかなり高い水準にあるそうです。

無実かも知れない人に死刑を宣告したり、
或いは、クロの心象の人を無罪にしたり、、、
彼らは眠れない夜を過ごすのでしょうね。

その代わり、気楽な裁判では居眠りしてますけれど、、、(笑)

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Unknown (はるな)
2009-06-09 14:22:44
第一捜査権のある警察及び検察がこの事件をきっかけにおよびごしになるのが最も困る事です。昨年、私は、二つの刑事告訴を受理されましたがその着手する事の遅さに苛立ち苦情申立までになり、その後の捜査の手抜きは見事なもので別件でお会いした区険の検事さんがアドバイスしてくれたほどでした。そこで思い知ったのが起訴に至る経緯です。検察は裁判で覆される事件は不起訴にします。たとえそこに真実があったとしても。犯罪者天国にならないためにもより厳しい対応を求めます。
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Unknown (はるな)
2009-06-09 14:35:08
何をおっしゃいます、民事訴訟で裁判官の誤認から敗訴判決をもらい財産を失った被害者も確かに自殺します。
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蜘蛛の糸 (P@RAGAZZO)
2009-06-09 16:31:57
はるなさん、こんにちは。

なるほど日本の刑事事件で無罪となるのは
0.01%(94件/837528件、2004年)と僅かに見えますが、
検察の立件率は63%だそうすから、
検察はある程度確信がなければ起訴を見送るようですね。

また、ジョナサン・スウィフトは、二百五十年も前に
「法律は蜘蛛の巣に似ている。小さな蠅を捕らえることはできるけれども、大きなすずめ蜂は通り抜けるにまかせる」
(「精神の諸機能についての論考」)
と、司法のあり方を皮肉っています。

しかし、
絶頂期にあった頃、「あなたにとっての力の源は何ですか」との質問に、
「自分は法律を知っているからだ」と答えた田中角栄も
結局は蜘蛛の糸にあやめ取られるという事もありました。

日本の検察はなかなかに優秀であるのかも知れませんね。

はるなさんのおっしゃるように、
冤罪はいけませんが
この事件によって検察が萎えるようでは本末転倒だと私も思います。


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