岡崎一明とエマニュエル・ラボリ

2008-10-12 13:02:19 | 社会
  




「許し請いたい」「冤罪証明を」=死刑囚77人が思い訴え-市民団体アンケート
10月11日20時10分配信 時事通信


 死刑廃止を訴える市民団体が11日、
確定死刑囚105人を対象とし77人から回答を得たアンケートの結果を公表した。
それぞれが便せんなどに直筆で、執行を待つ心境や遺族への謝罪、
冤罪(えんざい)の訴えなど、さまざまな思いをつづった。
 アンケートを実施したのは「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」。
東京都内で同日開催したイベントで公表した。
 7月に再審請求したオウム真理教元幹部岡崎(現姓宮前)一明死刑囚は
日本人は死刑囚の実態を知らず、偏見を植え付けられている。
生まれた時は真っ白な人間で、環境によって死刑囚にも偉人にもなる
」と記した。
 自ら再審請求を取り下げたある死刑囚は
「思い悩み、遺族のことを考えた。執行を待つ間、自分に何ができるかを考え続けたい」とつづった。
主婦2人を殺害した死刑囚も「命ある限り、許しを請う気持ちを叫び続ける」とした。 




死刑廃止論者の森達也が著書『死刑』の中で死刑囚の日常や実態を
情緒の海を泳ぐが如く、たっぷりと述べている。 

確かに冤罪の死刑囚の存在は理不尽なもので、これは正さねばならない。

しかし、他のことについては、
その犯した罪に比して死刑囚が苛烈な境遇にあるとは、
森の文章を以ってしても、些かも思わなかった。

ましてや岡崎の
「日本人は死刑囚の実態を知らず、偏見を植え付けられている。
 生まれた時は真っ白な人間で、環境によって死刑囚にも偉人にもなる」
とはどういう意味でありどのような意図なのか、私には理解できない。

生まれた時から犯罪者のDNAを持っているのであれば、
その個人はその後の人生における努力で真人間になる事は困難であるかも知れず、
私は同情する。

しかし岡崎は「人間は生まれた時は真っ白である」と言っている。
そして、「死刑囚になったのは環境によってである」と結論している。

環境はその全てが抗し難い受動のものばかりであろうか?
むしろその個々の人生における環境は、
その時々の個々のジャッジメントによるものが大半を占めるのではないだろうか。
と私は思う。

泳げる者は海を目指せば良く、走れる者は山を、飛べるものは空に
その生きる環境を求めていけば良いではないか。

つまり岡崎の言葉で言えば、
彼の現在の姿『死刑囚』は、
先天的な要因ではなく、
後天的な、彼が生まれ出でた後に彼自身が選び取った、
彼の責任における、彼の選択の終着駅でしかない。

それが、、、、「死刑囚の実態を知らない日本人と偏見」にどう繋がるのだろうか?

死刑囚に偏見など無い。
罪を犯せば相応の罰を負うべきだ。と思っているだけだ。


1993年モリエール賞新人賞を受賞し、
『かもめの叫び』を著したフランスの女優エマニュエル・ラボリは、
生まれながらの聾唖者であり、
彼女が世に出ようともがいた時代のフランスは
手話を禁じていた。


岡崎は彼女の人生をどう理解するのだろうか?












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