平和賞授与でオバマ氏、アフガン「正しい戦争」
【オスロ=黒瀬悦成】オバマ米大統領に対する2009年のノーベル平和賞の授与式が10日、オスロの市庁舎で行われた。
現職の米大統領の平和賞受賞は、1906年のセオドア・ルーズベルト、19年のウッドロー・ウィルソン両氏に続き3人目。
授与式での演説でオバマ大統領は、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」と述べ、アフガニスタン戦争を「正しい戦争」と位置づけた。その上で、今月1日に発表したアフガンへの米軍追加増派に関し、「米国民が直面している脅威を座視は出来ない。交渉でアル・カーイダを武装解除することは出来ないのだ」と語って戦争遂行の必要性を強調した。受賞理由の一つとなった「核なき世界」についても、実現に向けた決意を改めて表明した。
(2009年12月11日01時31分 読売新聞)
オバマのノーベル賞受賞が不評だそうだ。
米国民も7割近くが『値せず』と評じているようだ。
オバマの受賞そのものに私は興味は無い。
ただ、今回のオスロ演説には
私自身はオバマを見直したくだりがあった。
それは
『非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊をとめることはできなかっただろう。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を置かせることはできない。武力行使がときに必要だと言うことは、冷笑的な態度をとることではない。それは人間の不完全さと、理性の限界という歴史を認めることだ。』
という一文である。
米国人に限らず、日本人も世界の人々も、
これまでオバマの「平和主義者」という表層部に
ナイーブに共鳴し拍手を送ってきた。
だがしかし、オバマは厳然たる現実主義者の一面があり、
今回のオスロでその側面を率直に露わにした。
鳩山を含めた世界中の7割の単純で無邪気な人々は
今回のオバマ演説を聞いて憤ることだろう。
だがしかし、我々の生きるこの世界は
ファンタジーではなく現実なのである。
オバマは大統領就任前と違い、実際に為政者となって
よりヒシヒシと現実の厳しさを噛み締めており、
現実主義者の本音を吐露せざるを得ない舞台に
差し掛かったということでもあろう。
少なくともこの私は
従前の建前や善者の皮をかぶったオバマよりも
今回の彼を評価する。
そしてオバマは、
その現実主義者の厳しい顔を
わが国にも当然向ける事になるだろう。
本日のエントリーには感謝・感謝・感謝!
というより、私はオバマ氏の演説(その一部でしかないが)を伝えるニュースを見ていて、Pさんがきっとこういう反応を示してくださると予感していました。
もう一つ言えば、これまでかなり批判的にご覧になっていたけれど、その行きがかりに何らとらわれることなく、良しとするべきは率直に良しとされるPさんの徹底した公正さと潔さ、深い見識に心から敬意と尊敬の念を抱きます。
改めて並みの人じゃ無いなあと感服しました。
Pさんの尻馬に乗るわけじゃありませんが、私がオバマ氏を評価したいと思い続けている理由は、今回のPさんの解説そのものにほかなりません!
高い理想や熱い夢だけなら一人の人間として評価して差し上げても良いが、合衆国大統領としてはなんの評価にも値しないと思っています。
高い理想と熱い夢にしっかりとした現実的な視点と狡猾のそしりを恐れない手練手管・・・合衆国大統領にはその両方が不可欠で、どちらか一方が欠けていても、自由世界を代表するところの「世界の指導者」たりえないと信じます。
世界には有能な指導者はいます。
高い理想を掲げる指導者もいます。
20世紀と21世紀を通じて、その両方を満たした指導者はどれだけいたでしょうか?
私はバラク・オバマ氏にその期待を寄せたいと思っているのです。
今回の演説は、ご指摘の通り浅薄な平和主義者たちを少なからず失望させるかもしれません。
ただ、大半が平和ボケの日本人ならいざ知らず、大半のアメリカ人は国際政治に十分で真っ当な見識を持っているはずです。
ノーベル賞に値する実績がないと“真に当然な批判”を抱いていたアメリカ人の中には、”こういう人物なら受賞しても良い。委員会が抱いた期待が理解できた。”と思うものも多数出るのではないでしょうか。
また、こういう怖い男を怒らせてしまった鳩山は言うに及ばず、ケツをなめさせてもらいたげに、胡錦涛にすり寄っている汚沢も、今にこっぴどい目に会うと思いますよ。
汚沢ガールズとか言うんですか・・・バカ女たちが胡錦涛に一人づつ握手をしてもらってパチリと写真を撮ってもらっている風景が映りましたね。
まあ、小娘か元小娘のオバはんが、あこがれのスターのそばににじり寄るように体をくねらせて・・・・。見ちゃおれん光景でしたね。
こいつらがわが国民に選ばれた選良ってんですから、選んだ者はお粗末、選ぶように仕向けたマスコミもお粗末、当人達は馬鹿丸出し!
これが、悲しいかな現在の日本の政治のレベルです!
胡錦涛は、日本政治のお粗末さに本来ほくそ笑んで良い場面なんですが、あまりのバカバカしさに、顔がゆがむのを一瞬見えましたぞ。
「見直したくだり」をクリックして、演説の全文を読ませていただきました。
改めて感動しました!!
ありがとうございました。
今回は大兄の日頃の見解を
オバマが実証して見せた舞台となりましたね。
しかしながら、私も書きましたように
世界の7割は今回の演説で失望する可能性も残されていることも
認識しなければなりません。
オバマはこれからも本音と建前を巧みに操るでしょう。
わたしはこれからも心が感ずるままに
是は是、非は非として書き述べていきたいと思います。
人は一面で断ぜられるほど単純なものではありません。
多面的多層的でありかつ
時系列とともに変化さえします。
それはむろん
私や大兄も批判の対象と充分になりえるという自覚と覚悟を持つべき教訓を与えているともいえます。
記事は読ませていただきました。
Pさんややまびこさんは怒るかもしれませんが、
あの私は演説を聴いて、
いまだに違和感を感じます…
確かにオバマ大統領の演説は聴いていて、
心地よく、正しいように聴こえます。
だからよけいに違和感を感じます。
【正しい戦争】
戦争の正当化はできないと思います…
いくら綺麗な言葉で隠しても、
戦いで死ぬのは兵士とは限りませんし、
常に民間人はまきこまれます。
それは当然の話です。
戦争に悪も善も存在しないし、
人も多く死んでいく…
戦争はどの国が正しい、
どの国が間違っているか、それを決めるのは戦争をしている国だけです…
何もアメリカが決める事が正しいとは限りません。
私はそう思います。
鰤太郎さんが違和感を感じるのは当然であると思います。
今回のオバマ演説は欧州に失望感を与え、
米国民主党を沈黙させましたが、
共和党は絶賛しました。
そこに、鰤太郎さんの立場と私のスタンスの違いがあるのです。
何度も述べてきましたようにオバマには2面性があるのです。
欧州や鰤太郎さんは平和主義者のオバマを視、
共和党や私はオバマの非現実的平和主義を批判してきました。
しかし、オバマといえども現実は
「人間の不完全さと、理性の限界という歴史を認めること」
からしか動かしようがないことを認めざるを得なかった。
その、率直に認めたオバマを私は支持した。
オバマの言うとおり、
ヒトラーをヒトラーたらしめたのは英仏の平和主義だったのです。
戦争は軍人が起こすのではありません。
平和主義者の不作為、怯堕が導火線となるのです。