観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
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廃線 塩江温泉鉄道:琴平電鉄塩江線 (一部だけです。)

2012-09-17 05:09:30 | その他 廃 線 /未線 今福線


塩江温泉鉄道:琴平電鉄塩江線です。タイトな仕事のスケジュールの合間だった為、一部だけとなりました。再度、訪れて見たいと思います。

塩江温泉鉄道は昭和4年11月12日に仏生山から塩江までに至る16,5キロが営業開始した。軽便鉄道ではありますが、琴電のゲージに合わせた1435mmの標準軌だったそうです。この路線を塩江温泉鉄道という。塩江温泉鉄道は単線非電化軌道で小型の車両にガソリンエンジンを載せたガソリンカーを運転していた。このガソリンカーにちなんで廃線跡の道路は「ガソリン道」という愛称がついており、所々に案内板も設置されています。この車両は40人も乗れば満員だったという。ダイヤの面では、不定期列車が半数を占めるとはいえ25分に一本運行され、路線人口に見合わないダイヤであった。開通当時は通学や観光手段などが向上したことで喜ばれたそうだ。戦争が始まると塩江温泉鉄道は不急不足路線に指定され、鉄の供給のため廃止された。このとき車両は海外に移動されたとか。その後、運行再開はなかった。

塩江線(しおのえせん)は、香川県香川郡仏生山町(現・高松市仏生山)の仏生山駅と香川郡塩江村(現・高松市塩江地区)の塩江駅を結んでいた琴平電鉄(ことひらでんてつ、現・高松琴平電気鉄道)の鉄道路線。日本内地における、史上唯一の非電化標準軌鉄道線でした。

1929年に琴平電鉄の子会社である塩江温泉鉄道(しおのえおんせんてつどう)の路線として開業したが、経営難により、のち親会社の琴平電鉄に吸収合併されて同社の塩江線となった。1941年に廃線となっています。
路線は「高松の奥座敷」と呼ばれる塩江温泉に至る国道・県道を沿うように敷設されており、廃止後60年以上を経てなお一部に廃線遺構が残る。また、廃線跡のうち仏生山駅から高松市香川町浅野にかけては道路となっているが、本路線がガソリンカーでの運行であったことから、この道路には「ガソリン道」という通称です。さらにその先の同市香川町川東下から同市塩江町安原下にかけての廃線跡は香川県道269号塩江香川高松自転車道線(香東川自転車道)となっています。

 


第三香東川橋梁
香東川の橋脚です 香東川の護岸工事が進んでいますが 円柱形の橋脚はローマ建築の柱みたいな当時の面影を残す橋脚が残っています。

中村トンネル
中村トンネルは 照明が灯り 内部を歩いても安心です  坑口にはトンネルの名称を示すものもありません。

当初狭軌の1067mm軌間で計画され、敷設免許も狭軌で取得されたが、1435mm標準軌用の貨車を本線格の琴平電鉄から直通させることを考慮し、1928年に軌間変更願を出して標準軌での敷設に変更しています。直通貨車についてはガソリン機関車で牽引する計画であったが実現が遅れ、その間にトラック輸送の方が効率的と判断されて頓挫しました。従って本路線はその全期間を通じ、旅客輸送専業の路線でした。


開業後間もない1930年時点の時刻は仏生山発午前5:14 - 午後9:54、塩江発午前6:04 - 午後10:44で、一日21往復、50分毎に運転されていたが、その後25分毎とし、本線格の琴平電鉄の全電車に接続するようにされました。しかし頻発サービスの効果は薄く、琴平電鉄合併後は再び50分毎運転に戻された。輸送実績は開業直後の1930年度がピークで、以後は年々低下し続けました。駅5か所、停留所7か所。1930年当時の全線所要時間42分、運賃40銭。車両はガソリンカーで、ほとんど1両での運転でした。


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