陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

作家かぶれは自分のマイナスを極度に売りにしすぎることなかれ

2023-08-10 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

芥川賞受賞の40代閨秀作家が重度障害であったことが話題になったという。
その晴れがましい受賞インタビューで、障害者が受賞したのは遅すぎるぐらいで、これまでは健常者が優遇されてきた、という辛辣な問題意識を投げかけた。この人はたしかにからだが不自由なために尋常ではない痛みを重ねた人生を歩んできたのだろう。だが、そのあまりにも強情な被害者意識ゆえに失ったものもあるのではなかろうか。それが顔つきや言動にあらわれているのではないか。

重度障害者の作家といえば、思い当たるのは、国語の教科書にも載っている星野富弘氏だろう。体育教師だった時期に首を損傷し、車椅子生活に。詩文や絵は口にくわえた筆で描いているということが話題になった。しかし、彼はただ気休めに創作をするだけで、障害者の救済をというプロパガンダをゴリ押ししたりもしないし、担がれたりもしないのだ。だからこそ、謙虚で誠実な彼の詩作はカレンダーになるほど国民的な人気がある。

小説家だけに限らないが、ビジネス本であっても、私は著者の経歴を重視するタイプである。申しわけないが、まともな就業経験がない作家の本なんぞ、絶対に買わない。働くのが嫌だから、ひとり仕事できて他人を見返してやれるクリエイターになってやろうという、俺様、あたしは凡人とは違うんだぞ、といったゆがんだ選民意識の塊で、人生を舐めくさった態度が溢れているからだ。主婦(主夫)の作家はたいがい、子どもと親の軋轢や、ステレオタイプな職業人のOLとか社長とか、教師とかしか、要するに家庭から近距離の人間関係しか描写できないから、大多数の人間がうごめくドラマティックな企業小説などは手掛けられない。働く経験値が乏しいからだ。だから、現代小説なのに、ラノベみたいな恋だのなんだのの薄っぺらい話になってしまう。まだ児童向けファンタジーノベルを買った方がマシだ。

典雅な美文で知られ、ノーベル文学賞候補でもあった三島由紀夫は、もと官僚で、作家になるにはサラリーマンと同じく、規則正しく仕事をする生活習慣が必要だと主張していた。気ままな仕事だからとフリーランス感覚で文筆業を名乗る連中ときたら、たいがい自分の感情をコントロールできず、無駄な自己主張をするので、読者や編集者に嫌われやすい。作家でござい、スペシャリストですよ、といった高慢ちきな態度が鼻につくのである。実際、作家業はもはや小学生でもデビューさせているぐらい、敷居の低い職業であって、幼稚園児どころか、もうすでにぜんぶまるごとAI作家の本が出てもおかしくはない時代になった。もはや、天賦の才がある人間がすべき創造的な仕事ではなくなりつつある。

そもそも、こういっちゃなんだが、重度障害は知らないが。
精神障害の作家ならば、これまでも腐るほどいただろう。芥川龍之介からしてそうだろう。女と入水自殺なんか図るわけだから。純文学の登竜門といわれるこの文学賞、はたして、これまで幾人の受賞者がうたかたのごとく消えていっただろうか? 芸人の受賞者も話題になったが、出版社が属性を売りにしてヒットを狙うマーケティング戦略の一環であることぐらい、世間の読者は気づきはじめている。

そして、作家やらクリエイター名乗りこそは、まともに会社で働けない、起業すらもできない、ろくでなし人間が固執する仕事なのだ。これは村上なんとかいう作家が「13歳のハローワーク」で書いていたことだろう。実際、作家専業で生き残っている人は、ツイッター芸人になる暇などなくて、陰ながら感性を磨くための作業をおこなって、会社員であるよりも並大抵でない努力をしているのだが。

何年か前に40代ぐらいまで引きこもり生活で何回も受賞を逃した男性作家が、審査員石原慎太郎に対し、「賞をもらっといてやる」と毒づいていたが、社会性のないうえにプライドだけは高い、みっともない中年の末路であって、まあ、作家を目指すよう様なタイプはたいがいこの傾向があるのだろう。一時の受賞の栄誉にすがりつくが、その華々しさは花火のような儚さであることに気づいていない。100万円の賞金レースの文学賞受賞してもそのあと鳴かず飛ばずならば、年収300万の会社員をやっていたほうがよほど健全な社会人になれるだろう。

私はこれまでの人生のなかで、「私の人生は紆余曲折なんですよ、失敗だらけなので本が一冊書けるぐらいです」と豪語する女性たちを何人か見てきた。ひとりはわが母校の国立大に学歴ロンダしてきた大学院生で、ひとりはわたしの小学校時代の旧友で高校受験に失敗したもと神童だった。しかし、傍からみたら、どうみても、彼女たちが大した苦労もしていないのである。親に甘えて、自活などしてないない。そして、よほど、人生の辛酸をなめたうえでそれを乗り越えて地位や財産、学力や労働生産性を身につけた人ほど、意外な隠された人生の暗部があったりするものだ。

闘病や受験、就職の失敗談、借金まみれ、離婚、死別や学歴や親ガチャ。誰しも人生の汚点はあるもの。自身のコンプレックスを全面に押し出すのは同じ環境の人に勇気を与えこそすれ、向上心のある人からはえてして好まれないという真実に早く気づいて、世の中を恨まず、羨まず、社会になじむ努力をするべきではなかろうか。

なお、私は著者があからさまに自分をモデルにした初作は絶対に評価しない。
作家というもは、自分からかけ離れたキャラクターを複数動かして綾をなすドラマを織り上げてこそ一人前なのだ。創造性とは、想像力を駆使して、「自分に属さないもの」を生み出すことなのであるから。芥川賞の受賞者の作品は、確かに文学的な表現力は高いだろうが、たいがい内面をじくじく掘り下げすぎてうっとうしく、人間の発展が見えないので読後感がすこぶる悪い。前向きに生きる気力をなくす。そして、柳なんとかいう作家がそうだったらしいが作家自身も貧困化したり、性格的に破綻したり、病気になって早死にしたりする。本業で食っていけないなら、他の仕事をすればいいだけなのに。

だから、私は読む時間が無駄なので、現役のちょっと話題のぼった程度の職歴にあやふやな、専業作家の本は読まないことにしているのである。そんな本を買う暇があったら、古今東西の古典を先に紐解いた方が人生有意義に過ごせるからだ。実は有能な作家ほど、実業家だったり、研究者だったり、二足三足の草鞋を履いていて、作家でなくとも仕事できるのである。


(2023/07/23)




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