じょ、冗談ではない! 私がキスをしていい姫子はたった一人しかいない。
顔をぐいと引きはがし、押しのけようとしても、どこまでも、どこまでも縋りついてくる。こんな強引な姫子の力強いまなざしを、千歌音は知らず。気おされそうになる。
姫宮千歌音、唇を奪われまいと、制服のポケットに隠したマスクを着用──のはずが、真っ二つ。ちょっと待って、あなた、ひとの顔にためらいもなく真剣をふるうって…。千歌音の顔がとたん青ざめる。
「千歌音ったら、野暮ね。スペイン風邪はもう終わっているのに、まだこんな口覆いをするの? 世界はいつも、ふたりの邪魔をする。わたしたちの間を隔てるものは切り捨てるの、──全部ね」
ちょっと、待ってください。それ、こっちの台詞なんですけど? 何かの漫画の読み過ぎではなくて?
クレイジーサイコなんとかいう不名誉な称号をいだくぐらいの無茶ぶりをおこなったせいか。いまさら、姫子(ただし前世)に復讐されているのだろうか。鞘をかちゃりと小気味よく鳴らした陽の巫女は、にこにこ顔で切っ先を千歌音のほうへ。ためらいもなく、こちらのほうへ。乙橘学園の制服のタイがあっけなく、飛散した。
「今夜も月がきれいね、千歌音。剣の舞踏会をしましょ」
刀をぶんぶん振り回しながら、近づいてくる。お前さんは夏目漱石か。吾輩は巫女である。
いやいや、もう健全な朝なんですけど。だんだん布地が少なくされそうな制服のままでは、学校に行けそうもない。姫宮千歌音、現世の姫子には倍返しされて自業自得なのだが、前世の記憶があるはずもなし。
そのとき、客間にあるベッドの方角から、ぐずついた女の泣き声が…。
しくしく、しくしく、ぐすんっ…。とても湿っぽい。またしても不法侵入者なのか?! この邸のセキュリティはいったいどうなっているの、いち、に、さん、し、アルソック~♪ 吉田沙保里よ、仕事をしろ! 八つ当たり先が間違っている気がしないでもない宮様である。
しがみつく紅茶いろの髪の巫女を押しのけ、命からがらベッドに辿り着く。こんもりと盛り上がったシーツを剥いでみれば。
そこにいたのは、巫女装束姿で黒髪を後ろで結んだ清楚な感じの少女である。陽の巫女とお揃いの白衣で色違いの藤袴。いかにも正統派の巫女といった感じだが、いかんせん気が弱そうだった。陶器のように青白い。その面差しがどうみても、…きょうも鏡いらずになりそうだ。千歌音の後ろから背後霊のように、すすす、と例の陽気な巫女が追いかけてきた。亡霊だから足音もしないのか。
「そちらの千歌音は、もうすこしお眠りなさいな」
「姫子ったら、もうひどい…。私というものがありながら、若いほうに手を出すなんて! 来世の私だからって、そんなのあんまりよ!!」
黒髪の巫女は顔を両手で覆ったまま、さめざめと泣いている。
自身、涙を我慢して育てられただけに、そんな女々しい自分の弱気なんて拝みたくはないのだけど。こんなんで、あの過酷な巫女の儀式をやっていたの、貴女がた。そりゃ、封印が八十年ちょいで解けるはずだわ。転生後の私たちがどれだけ、どんなに、どうして、どこまで苦労したと思ってるの、ねえ先代の巫女さま? 姫宮千歌音はうんざり顔だった。あいもかわらず、自分激似の他人には厳しい宮様である。そして、なんだかんだいいつつ、姫子似の他人には逆らえない。
「人聞きの悪いことを言わないで。新しい千歌音にも、かあるく挨拶してみただけじゃないの」
前世の姫子が、姫宮千歌音の首にするりと腕を回す。顎をくいっと上向かせて。
前世の千歌音がそれをみて、ぶわあと涙あふれさすではないか。ああ、もう、このひとの人生の九割は涙でできているのだろう。とはいえ、数十年前の痴話げんかに巻き込むのなんて、もう勘弁してほしい。こいつらに時効はないのか。陽の巫女が、ぽいと投げ捨てた日本刀。渡された千歌音は、もはやこのふたりを斬る気にもなれない。斬ったところで、すでに死んでいるのだ。
「だったら、いいわ。私だって、可愛い方の姫子に乗り換えるもの。姫子の意地悪!」
「ほらほらぁ、千歌音。そんなにすねないの~。病気がまた重くなっちゃうじゃないの。安静にしていなくちゃ」
どう考えても、この月の巫女の病の半分ぐらいの責任は貴女にありそうなのだけど。千歌音は思っただけで口にしない。正直、こちらが病みそうだ。頭がずきんと痛くて、背中の真ん中が疼く。
【目次】神無月の巫女×姫神の巫女二次創作小説「召しませ、絶愛!」