陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

いつか逢える神無月の巫女、いつも読める姫神の巫女に(二)

2020-05-19 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

あくまで私見なのですが。
このウェブノベルは、2010年代の後継的な百合作品をいくつか観てきたうえで出会った方と、そもそものアニメ放映時点の2004年あたりから神無月の巫女関連作のクセを知った上で味わったひと、あるいは百合専属で作品を狩猟してきたスペシャリストと、神無月の巫女の百合以外の側面にも興味がある人とでは、すこし感じ取り方が違うのではないかと。意見を分断するつもりはないのですが。

神無月の巫女には公式だが、非公式的な発表形態の小説があります。
神無月の巫女のアニメ旧版DVDブックレットや、DVD-BOX付属ブックレット、コミケで無料配布された付属小冊子だとか、フィギュア付属で、脚本家植竹さんの執筆した神無月の巫女外伝がありましたし、また「京四郎と永遠の空」には市販の小説版もありますし、DVD最終巻ブックレット裏側には短編ですが、かおんとひみこのアフターストーリーがあります。

そこで紡がれた姫子と千歌音、あるいは、ひみことかおんの物語には、互いの愛情をつゆほども疑わないふたりの睦まじい姿がありました。いじらしいまでの愛と信頼もありました。姫宮千歌音の奥ゆかしさと孤独、来栖川姫子の儚さとまっすぐさ、大神ソウマの青くさい健気さ。彼らの美学と信念が変質し、やはりこれはスターシステムなのであって、気高い魂を持ったままキャラの生まれ変わりとかありえないのだなと気づいてしまうわけです。今度の姫子と千歌音とソウマたちは、かなりのことリアルな逞しくもしたたかな現代っ子として描かれています。



それにしても、いま、何がしか話題になった百合作品(あえて名前は出さないけれど、かなりメジャーな)に、愛と死の劇場が描かれるとするとたちまちそれが、一部界隈では姫千歌二世のように騒がれる。卵が先か鶏が先かといえば、こちらが早くてあちらは後ろといいたくなるが、人間は初見からの導火線が強いわけで。原作者先生も同人誌にしたり、イラストにしたりするぐらいなら、もう公式どうしコラボしたらいいのに、と思わないでもありません。

そうして後からの世代が平成も半ばの百合の歴史的には異色作のこれを知って魅入られるいっぽうで、当の版権者たちがもはやその名作を換骨奪胎した別ものとしてつくりあげ提示するという皮肉。追いかけても先を行く、アキレスと亀のようで、昔を懐かしんで温めていては適応できない。公式が変わり過ぎて、キャラがどんどんアップデートしてしまって、古いファンがついていけないという現象はままありますが、一度きれいに閉じた物語をまた開くことの難しさをあらためて感じます。もはや同じ織り目を歩むことができない。いつか逢える彼女たちは、いつも読めるあのなかに生きていたのだろうか。

以上は、ウェブノベルを読んでからの積年の個人的な考えで。
世界設計がややミニマムで(要するに「ゆりのおまけ」=ロボットを削ぎ落し)、いくつかの謎の端切れを残しつつも、最後はきれいにまとまったウェブノベル「姫神の巫女~千ノ華万華鏡」は、「姫子と千歌音」のその後の物語としてではなく、死すべき運命を乗り越えた少女たちの革命として、読むべき価値のあるものです。これを原案として、今度は本格的に漫画として再構成されるあかつきには、さらにどういった変化があるのかが、今回の気がかりな所ではありますね。ロボットアニメならではの巨大スケールも捨てがたい要素ではあったはずですが。

次回は、漫画化にあたっての期待感を記事にしてみたいと思います。


*漫画「絶対少女聖域アムネシアン」&ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほか関連作レヴュー一覧*
漫画「絶対少女聖域アムネシアン」および、ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほかの漫画などに関する記事です。

★★神無月の巫女&京四郎と永遠の空レビュー記事一覧★★
「神無月の巫女」と「京四郎と永遠の空」に関するレビュー記事の入口です。媒体ごとにジャンル分けしています。妄言多し。


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