陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の月(あかり)」(九)

2009-09-27 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

「あたしって、ずるいよな。姫子だったら、楽でいいから。あたしだけが先に進んでも、あいつは黙って見送ってくれるだろうから。探しにいかなくたって、元んとこで犬っころみたいに待っててくれそうだから。だから、わざと友だちにしたんだ…姫子と側にいて、救われていたのはあたしの方だったのに──」

それが証拠に、今年の五月のあの事件である。
真琴のランニング中に、姫子が迷い仔犬を追いかけていなくなったときに、真琴の取り乱しようは尋常ではなかった。川で溺れかけ、意識を失って病院へ担ぎこまれたと聞いて、それはもう気が気ではなかった。七月に河原へ写真撮影に出かけたときも、滝壺で遊んだときも、ずんずん先へ進みながら、いつ姫子がいなくなってしまいやしないかとはらはらしたものだった。それでいて、その心配を気どられないために姫子の前では強がってみせたりする。そんな自分はずいぶんと卑怯で滑稽ではないかと思う。

「よし、決めた! あたしは、姫子のもとへ戻るぞ。夏休みの宿題と、それから…残されたハイスクールライフのためだ! ……て、言いたいことだけど、明後日から部活の合宿だったけな」


この日のおよそ二週間後、平成十六年八月三十一日夜半。
早乙女真琴は、姫子の宿題忘れに乗じて、夜の学び舎を訪れる。暗い夜道をふたりきり古い歌謡曲を歌って、階段で学園八不思議を語って、姫子を怯えさせながら、なだめすかしながら、彼女は自分だけの秘めたる学園不思議を語り聞かせる。真琴は後をつける不審な人物に気づいていただろうか。学び舎で隠れんぼをしたら、追いかけてくる、あの鬼に…。真琴は自己の魂の救済のために、プール場でたった二人の水遊びに興じる。姫子は胸の痛みを訴えてこう叫ぶだろう──「だめだ、だめだ、こわい、こわい! 水のなかに行ったら、わたしが終わっちゃう、終わっちゃうんだよ! 消えてなくなっちゃうんだよ! わたし、…わたしが、この世界のどこにもいなくなっちゃうんだよ!」。

その言葉は、真琴を奮い立たせた。真琴は姫子を包むようにして、抱きしめた。
姫子は震えている。手のひらでかくまった雛鳥のようにふるえている。真琴はたいせつな友人を悪夢からかくまうように、精いっぱい抱きしめていた。ひとの弱り果てたすがたを見て愛したくなるのは、ほんものじゃない。憐れみは友情じゃない。そうだとわかっていても、なお、その名を呼んだ。その名前が「ひめこ」だか「ひなこ」だか、わからないくらい呼び続けた。ひょっとしたら、この瞬間のためだけに、自分がこの学園に辿り着いたのではないかと思われたほど。しかし、その瞬間は、真琴をあの陰惨な記憶から完全に解放しなかった。

姫子の魂を閉じこめていた水の檻が浮かび上がってくる。
真琴はそれを伺って、そのあまりの重さに、気の利いたことが語れなくなった。気分のすぐれない来栖川姫子は、夜の学園を運命に導かれるままに、彷徨い歩くことになる。そして、彼女は辿り着くだろう、もうひとりの水底に沈んだ貝殻のような、浮かばれぬ魂の持ち主のもとへ。

温水プールのぬるま湯に浸かったままの真琴は思うだろう──「あたし、なに、やってんだ? また一人で、たった一人ぼっちで、あの子を行かせちまったじゃないか。取り残されるよりも、自分からかってに走っていったほうがずるい。自分は真っ昼間のお天道様の下をひとりでさっさと走ったくせに、あの子には暗い夜道を独りで行かせてしまった。わかってたじゃないか、水のなかに取り残されたあの日から」。

八月三十一日が終わる。二人だけの夏の最後が終わる。
奇しくも人を傷つけたという後遺症をもった人間と、人に傷つけられつづけて育ったために臆病さが染み着いた人間とが、十五の春に出会ってしまい、十六の秋を迎えんとしている。帰ってこない姫子を想いながら、水に留められた走者の夏が虚しく終わる。思春期の夏は短く、淡く、それでいて,大人になってから色濃い記憶を残す。そんな貴重な夏がもう終わる。そして、かくも新しき、長き、過酷な秋がはじまろうとしている──……。






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