陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

春立てる気分こそ

2009-02-06 | 自然・暮らし・天候・行事


贅沢というのは、ふだん慎ましい生活をしている者が、お金をかけたサービスや商品を買い求めることだといえます。しかし、豪勢な生活が日常であるような恵まれた層ならば、庶民のさんまを美味と絶賛した将軍家光のように、特別なことをありがたがるのかもしれないのです。その場合、人が求めるのは高級感ではなく、特別感なのでしょう。

しかし、私にはなにも毎日の食事よりもすこし値の張る外食をしたとか、デザートを摂ったとか、一張羅を買ったとか、そのできごと自体が、贅沢ではないと思われるのです。もちろん、それが贅沢だとおっしゃっても構わないのです。ありていにいえば、贅沢とは、それができる余裕があることが前提となります。
要するに、けっして生きていくために最低限必要ではないものを、選択する自由があるということです。

自分の好きな音楽に耳を傾ける。煩わしい声や音に惑わされなくてすむ。
色と形が好ましい絵画だけ、鑑賞する。ただ率直に感じたことだけを述べ、自尊心を満たすためのあら探し、心にもない賛辞は用いない。
与えられた問題については、自分で考え抜いた結論を出す。
予期しない朝に雪がつもっていたり、梅の花が開いていたのに遭遇すること。

ちょっとした幸福感。わずかながらでも充実感。
こう考えてみると、自分の贅沢というのは、時間をかけ、好きなものを選んだり、考えたり、体験してみたりすること、といえるでしょう。
もちろん、こうしてのんきにブログなんぞ書いていられるのも、贅沢に違いありません。

ところで、さいきん、楽しみにしている贅沢というのが、お香。
実家からもらったものだけれど。木炭のような三角香で、鼻を近づけますとほのかに甘い香りが漂ってきます。しかし、火を点けてみるとあんがい香りが広がらないので、すこしがっかりしてはいるけれど。花の香気にうとくなり外出もおっくうになる冬の室内に、こうしたお香を焚いて、朗らかムードを演出するのはいいですね。

とくに豪華なお茶受けの菓子もないけれど、香りのいい紅茶を飲んだ時もすこぶる気分がいいものです。贅沢な日というのは、悪いことは頭から離れ、終日、気分よく過ごせた日のことなのでしょうね。ささいなしかけで、気持ちの温度を春のような陽気に保つのが、私の贅沢。そして、静かな時間に物思いにふけることができる秋の夜長のような過ごし方をするのも、贅沢のひとつです。






イタリアの天然海塩「サルフィオーレ(塩の花)」募集!「私のちょっとした贅沢」by トラノイ



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