陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

その想い出に涙せよ (後)

2007-12-21 | 自然・暮らし・天候・行事


さて後編。蛇足というよりはこちらが本論といってもよかったのかもしれない。なお、筆者は日本近代詩の知見うとく、そこたしの情報を聞きかじった程度で編んだ論考であるので、不備な点はご指摘いただけるとうれしい。

前編冒頭の詩句は、島崎藤村の処女詩集『若菜集』(一八九七年、春陽堂)に収蔵された「高楼(たかどの)」から。一九四四年、中央大学の藤江英輔が作曲したもの。彼が東京板橋の陸軍造兵廠に学徒勤労動員中、東京女子師範高等学校(現在のお茶の水女子大学)の女学生が、『若菜集』のこの数節を「惜別の歌」と題して学徒出陣の青年に送った。藤江は八節からなる原詩から四節を抜粋して改編し、曲を添えたのである。以来、戦地に赴く学徒を送る歌として、親しまれる。のちに中央大学の学生歌にされた。いまの中央大学学生がどう想い寄せているかはしらないが、かつての卒業生でこの歌に親しんだご年輩者が多いのだと、ウェブ上の噂に聞く。冒頭の歌詞は三番目で、四番目と対をなしている。


   君がやさしき なぐさめも
   君が楽しき 歌声も
   君が心の 琴の音も
   またいつか聞かん この別れ


なお、藤村の原詩では嫁に行く姉に妹が送った別れの詩であった。妹がおこした歌に姉が返すという体裁をとっている。「惜別の歌」の三、四番目は、ほんらいは五番と六番目にあたる。
この事情をしらず聞く限りでは、どことはなしに、遠くに旅立たった想いびとへの恋慕をつづったように感じられる。樋口一葉の『十三夜』にも描かれているが、その昔、家の呪縛が厳しかったご時世、他家に嫁いだ女の子は、二度と生家の敷居をまたぐことは許されなかった。生みの親ですら、娘を死んだ者とみなさなければならなかったのだろう。生きてはいても死にも等しい長別れ。冬の山をこえて遠くの村へ嫁ぐ姉に、貴女がいなくなったら光りをうしなったようで心もとないと嘆く妹。慰めをかける姉。妹は、野に咲く花くれないにそのお慕いびとの鮮やかな唇を偲び、弾むように地を伸びている根に、艶やかになびく髪を想う。命みじかし乙女の花とはいえど、また相見るまではみごと咲き誇って生きてみせる。解釈が浅いのかもしれないが、そんな姉妹の契りを藤村のオリジナルには感受してしまう。

太平洋戦争中にうまれた戦友との別れを惜しむ「惜別の歌」は、一九六〇年代には反戦歌として流行した。小林旭主演の日活映画(昭和三七年(一九六二年))『惜別の歌』の主題歌にもなっている。ただし、小林のCDには三番までしか収録されておらず、他の楽譜でもおおかたはそうであるらしい。削られた四番目はなにを意味しているのだろう。「またいつか聞かん、この別れ」といえない別れは、さだめし永訣の離れ。そのひとの声を聞かれないということ。それは別れびとを永遠の夢にしておくということだ。夢には音がない。耳はまやかしの存在をごまかせない。ざわめかしい現実が重なりて過ぐし世の声はふさがれる。
さらにいえば、まぼろしの四番がふくむ、三番とつがいになっての少女らしいセンチメンタリズムは、いみじくも廃されてしまう。三番の「いつか見ん、この別れ」でとどむることによって、「惜別の歌」は、日本男児が淡い恋ごころをすてて、ふりかえること許されぬ道をすすむダンディズムな悲劇性をおびてしまったのだろう。

「惜別の歌」ほんらいの歌詞の三番、四番に、アニメ『神無月の巫女』の第十一話の姫宮千歌音の台詞を重ねてみたくなる。「貴女が好きなの、貴女の唇が好き…」と、姫子の身体を随所に褒めたたえながら、愛すべき友の声を聞き、甘い吐息を奪い、明るい瞳に面影をうつし、乳いろの柔肌を嗅ぎ、腰を抱きしめ、しまいには「すべてを許す優しさに満ちた魂」がうめられた胸に顔をうずめる。この記述だけみると、熱烈過激なラブコールにきこえるが、じつのところ、それは千歌音が最愛の少女に贈る残酷な「惜別の歌」なのである。彼女は姫子のからだを痛めつけ、嫌われようとしていた。光りの髪を斬りつけたのは、姫子のトラウマをおびきよせようとするため。いちばんに愛しているからこそ、どうすればその相手に厭われるのかを知ってしまっている。命を賭した告白の「好き」は「さようなら」の裏返し。千歌音は、愛しい者の構成ひとつひとつに別れを告げていた。
あの大告白が、文学的と高く評される理由は、この類縁性にあるのかもしれない。もちろん、藤村だけに特有の言い回しではないのだけれども。

  遠き別れに たえかねて 
  この高楼(たかどの)に 登るかな
  
  悲しむなかれ 我が友よ 
  旅の衣を ととのえよ

という一番目の歌詞には、最終話、霊体となって月の社の長い階段を昇る千歌音の姿を想起してしまう。第八話以降、前世では血いろに染められた姫子の陽の巫女服を着ていた。が、昇天ともいうべき社への幽閉の道をあゆむ際、ほんらいの月の巫女服に身をつつまれていた彼女は、死出の旅路の衣裳をととのえていたといえようか。黒髪の少女がのぼる月の社の階段と対比的に、第一話から登場し最終話でも効果的にあらわれた乙橘学園の階段。世界が平和をとりもどしたあと、その学び舎の階段を千歌音ではない友と歩む、来栖川姫子のまとう紅い制服も、新しく生まれかわった世界への旅立ちの衣…とまで考えるのはいささか愚考かもしれない。

ところで、島崎藤村の『若菜集』をひもとくと、次の一節がひときわ目をひいた。

  恋は吾が身の社にて
  君は社の神なれば
  君の祭壇(つくゑ)の上ならで
  なににいのちを捧げまし

「六人の処女(をとめ)」と題された一作の「おくめ」という一節。色恋沙汰を罪悪視していた封建世界の旧道徳通念をひるがえし、恋愛の絶対性を高らかに謳いあげた情熱の歌である。「まだあげ初めし前髪の」ではじまる著名な「初恋」は、清らかな純愛の初々しい慕情をつづり、それはまた、日本近代詩における最初の恋愛詩と目されている。藤村の想い出を美化した初恋詩でもあり、日本近代人がはじめて臆することなく愛をつづった恋歌である。が、それは近代西欧から移入されて明治中期の文苑を席巻していたロマン主義の息吹にふれたというよりは、『伊勢物語』「筒井筒」の段にあるような、振り分け髪の幼馴染みにあえかな初想いをいだく、大和びとの精神の地脈にねづいた所産だといえるだろう。

恋愛こそがひとの生の至高。命の精髄をつくしても得るにたるものであるという美しい主張。愛こそが大義。藤村の唯愛主義こそは、『神無月』という物語と通奏底音しているのではないかと私には思われる。
想いびとを神のように崇めるという精神は、いささか方向をゆきすぎれば盲目的偏愛ということになろうが、緩めてひろげれば、それは相手の人格を重んじ尊ぶという博愛の姿勢。アニメ『神無月の巫女』は「女の子どうしの究極の愛」を描いた作品である。しかし見方を変えれば、人生を追い分けられたふたりの少女が運命に選択されてしまう筋書きなのである。生き残ったのは、美しく気高く一本気な絶愛をつらぬく少女ではなくして、すがた凡庸なるも(でも私からすればじゅうぶんに美少女だと思いますけれど(微笑))、気だてやさしく笑みおだやか、誰へだてなく慈しみつくす少女。世界に愛される少女とは、世界をおしみなく愛することができる少女。そんな暗黙裡のメッセージを感じてしまう。私にとってこの物語はいま、サフィズムではなく、アフォリズムとして生きている。

  To love or not to die, it's the matter.
  愛すべきか、死すべきか、それが問題だ。

シェイクスピアに傾倒し、恋愛を人生の至上命題とせんとする若き藤村のうちだしたテーゼを、こう述べてもよいだろう。ふかく愛する者こそが、豊かに生きられる。ひとを愛することができない人生は、永劫に闇だ。

軍靴の重くるわしき足音が列をなして緑あふれる国土を踏み荒らしつつあった時代、明治の歌人が詠んだ叙情は柔なものとして抑圧され、ふたたび武家政権時代の禁欲と血のモラルがはびこっていた。現代のサブカルチャーの萌え属性が、明治大正期の文学にも通有しているという研究もあるけれども。愛と美を謳歌する姿勢は、時代をつらぬいて息づいてきたに違いない。

もの言わぬ者はものなりき。存在しているという事実だけでいる人生ならば、そのいのち花にも彫像にも劣る。
黒髪の巫女がおこした愛しき死者の口寄せは、そのふたたびを聞かない。聞くまで生きるべきか。そう思ってきたこの三年。耳かたむけるべき声は、いまひとつではなく、それは不死あわせの幸せ現象に私をめぐりあわせている。発言だけがウェブ人格の延命治療だ。



【参照サイト】

・小林旭が唄う「惜別の歌」
http://yanagawa.sucre.ne.jp/music/sekibetu.htm
「惜別の歌」という映画は、goo映画のあらすじ紹介によれば、元教師が義理のためにヤクザの親分に闘いを挑むという仁侠もの。「ヤクザ」は「サムライ」「ゲイシャ」と同様、日本特有な文化として通用する言葉であるとのこと。なんだかいやですね。

・文藝春秋HP「美しい言葉は時代を超えて甦る 藤江英輔×北村薫」
http://www.bunshun.co.jp/jicho/sekibetsu/sekibetsu01.htm
作曲者本人が「惜別の歌」を編んだいきさつを述べている。



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8 Comments

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シェイクスピア (ムラーノ)
2007-12-25 04:50:36
御久です!万葉樹さん!最近忙しく、
ブログ更新もままならなかったですが、
ようやく、ヒマになりました、
それにしても!生きるべきか死ぬべきか・・・
確かに名言ですね!この解釈は日本人だから
できるのでしょうけど!どちらにしろ永延の
心理を突いています、この台詞は!(^^)
返信する
Unknown (たかパパ)
2007-12-25 09:53:54
お邪魔します。
カレーへのコメントありがとうございました。
いつもお気遣いいただき本当に感謝しています。
自身読み物苦手でアフォーなんで上手くコメントできませんが・・・
兎に角いつも感謝しております。これからも客観的な意見をお聞かせ願えたら とても励みになります。
どうぞ これからもよろしくお願いいたします。
では 良い年越しである事をお祈りいたします。
返信する
前編とあわせて読みました (ROM)
2007-12-26 23:19:18
コメントを書きに来ておきながらどうかと思いますが・・・・
万葉樹様のこの記事を拝見して、非常に心かき乱されたのですが、今の私には、私の言いたいことを上手く伝えるだけの言葉が見つかりそうにありません。

が、なぜこのブログに私が訪れ、告白をしたのか分かった気がしました。



言うまでも無く、万葉樹様と私は全く異なる人間ですが、初めてあの作品に触れたとき、貴方の心の中にも同じような嵐が吹いたのではないでしょうか?


あの時の、まるで自分がオルフェウスにでもなってしあまったかのような錯覚をもたらした刹那の嵐は二度とは私には戻りませんが、じっと黙って体をうずめていると、気がつけば懐かしい人の声を届ける風が、今なお私には吹いています。

貴方も心の奥底で、ひっそりと、いまだ止むことがない風音を感じていらっしゃるのではないでしょうか。

心に踏み込むようなことを書いて申し訳ありません。
変な人みたいですね。ごめんなさい。

返信する
死に至る想いの日本の私 (万葉樹)
2007-12-29 19:23:47

ごきげんよう、ムラーノ男爵様。
お久しぶりですね。戦国時代の合戦における武具の考察シリーズを楽しみしております。
師走の慌ただしいなか、更新の合間を縫って、おこしくださり、また記事の空気をよまれたコメントをいただき感謝しております。

>それにしても!生きるべきか死ぬべきか・・・確かに名言ですね!

いつも、短いながら適切なご意見、まことに感謝しております。さすが、あれだけの考察をされるだけのことはありますね。あまり長すぎるものを書くと主張の力点がどこにおかれているか見過ごされてしまいます。その書き手の文章にこめた呼吸というのを読みとるのに慣れるのって、むずかしいですね。とくにおカタイ書き物をしていると。

恥ずかしながら、シェイクスピア文学、まともにしっかりと読んだことはございません。今回引用した有名な「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」も、ある美学の古典的テクストに引用された原文、”To be or not to be, it's the matter."を改編したものです。ですので、原典での文脈をとりちがえた愚を犯しているかもしれません。
この原文をみましたらわかりますとおり、生と死が対立項としてとらえられている。存在は無の否定であり、逆もまたしかり。しかし、死とははたして存在の無であるのでしょうか?曲解をおそれずにいえば、社会的な生活をいとなむ動物である人間は「死」という言葉を、ひろい意味に当てはめて用いているのではないでしょうか。たとえば、政治的生命を失った「死」、職を奪われた「死」、表現力のない芸術作品の「死」など。それら、かならずしも存在しないことを意味しない。ただある状態から変化しただけです。喪失であり、停止。また極端にいえば、生物学的な意味での死すら、死ではない。たとえば、ひとが死後にすむ世界を夢見ねがったり、魂として存続を信じつづけるのは。無としての死の否定であり、かつ死の肯定的な理解です。
私がこの命題を「愛すべきか、死ぬべきか」とおきかえましたのも、存在を前提としてのことです。生きながらえていてもなにがしかの愛するもの(人でも、物でも、事柄でも)をもたない、もしくは愛されない人生、それは死にひとしい生き方ではないのかと。

>この解釈は日本人だからできるのでしょうけど!

日本人らしい解釈であるという点にはおおむね同意ですね。日本人は死を美化したがる民族ですから。先進国でもずば抜けて自殺者がおおいのも、華やかにいのち散る侍の美学が、日本人の文化的遺伝子としてあるからではないでしょうか。人生を切るという潔さ。老醜をさらすことへの嫌悪。
またエジプトのミイラや、暗黒時代と言われた中世西洋の死神や骸骨をえがいた絵画など、死が身近にあった海外に比して、日本では死は穢れとして忌み嫌われ、庶民の日常からは遠ざけられていたように思います。そのことが死がなにがしか精神的な儀式めいたものとして美化された後押しになったのではないかと。たとえば切腹という行為にすら美しい所作をもとめるという死の美学。(日本以外の国でこれにあたるものがあるのかは寡聞にして知らないのですが)

>どちらにしろ永延の心理を突いています、この台詞は!(^^)

「永延の心理」、なるほどまさにそういうにふさわしいのかもしれません。死に体、死にながらに生きているような私たち。美しい滅びの刻をのぞみながら、漫然と終わりを先延ばしにしてきた。それは日本人特有の恥ずかしい生き方を苦しいと思う心持ちからくるものにすぎない。ライプニッツいうところの「永遠の真理」、人間や事物のありようを超越したところに存在する論理式のごとき普遍の法則なんてものは、こころの振り幅の大きいわれわれにはあてはまらない。そう思います。

ところで、私は日本には死神という概念はないような気がいたしますね。日本神話における冥府の神としてのイザナミは、人のいのちを狩る神ではありませんし。日本人にとって死はだれかにもたらされる禍いというよりは、自主的に選びとるものではないでしょうか。それは死を積極的にとらえる趣き。仏教画の来迎図などは、人の死をあかるくうけいれていますね。人生の尊厳を保つために、誇りある終わりをむかえる。だからこそ、理由もなくうばわれた命には哀しみと嘆きを禁じえない。
死とは、ものが何かを生み出さない状態。生か死かというよりは、いかに生きるべきか。自殺をかんがえることが悪夜をのりきる慰謝剤であると豪語したルサンチマンの哲学者は、現世を抑圧するキリスト教思想体系を否定し、神すらも亡き者にしました。(しかしニーチェが「神が死んだ」と宣言したからといって、西洋世界の庶民生活上にはいまだもって敬虔なクリスチャニズムが健在しているのですが)自殺を否定する宗教へのあからさまな意趣返し。神からの賜り物であるいのちを人間が自由にしてよいという考えは、つきつめるとたいへん危険です。が、彼のいわんとしたところは、あくまで神の救いの手にすがらず、自分の人生を自分で律して生きよ、という生の肯定的な力学の弁明であると思われます。「人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、誇らしげに死ぬべきである」(『偶像の黄昏』)という箴言には、『葉隠れ』の有名な一節がものしている、死ぬ気で物事を成しとげよという真意とおなじ、つよい生をいきることの奨励がふくまれているのでしょう。
大義のために死を甘受したサムライ人。しかし、現代人は、死に臨む気持ちでいのち賭けるものがないがために、かえって死を選ぼうとする。それは一瞬でおわる肉体的な死であれ、終わりのこない精神的な死であれ。死に至れんとするが至れない病。それは近代人の懊悩からはじまる病理ではなかったのでしょうか。夏目漱石の時代からそうであったように、いのちの力が機械にとってかわられるいっぽう、精神のよりどころとしての神や強権君主や道徳思想をうしなって、私たちは自分に命令をくだせないでいる。自由性をあたえられながら自由にできないという不自由。命令を下すものを知的に囲われた情報にゆだねて、くつろいでばかりいる。意志も理想もない無責任な個人主義の海をただよいつづけているのかもしれません。
そしてこんなことをだらだと書きつづっている私は、彼の厭う「教養俗物」の権化で、物知りぶり屋が道に疎いというあやまりを重ねながら生きているのかもしれません。

今年後半はそちら様の歴史談義で、ひじょうに楽しく知的な日々をおくることができました。来年もムラーノ男爵様にとってよき年であることをお祈りしております。
では、コメントありがとうございました。


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来年も飛躍の年であることを (万葉樹)
2007-12-29 19:26:29

ごきげんよう、たかパパ様。クリスマスのパーティメニューで目の保養をさせていただきました。いつも、オタクなブログへのお気づかいをいただき感謝しております。
私は、たまに考えるのですが。文章といいますのは、まずなにより、自分の気持ちをあらわすのが大事なのではないでしょうか。料理でいいますと、値の張る高級食材を使用していたり難易度のテクニックを駆使しているよりは、身近なもののほうが親しみやすいです。カレーというのは日本の食卓に浸透しているメニューであり、味噌汁や煮物と同様に、各家庭の風合いに差が出るものです。

にしても、素人ながらにも美術作品ならともかく料理を批評(といいますと高みな物言いですが)するというのは、自分としてはおもしろい試みでしたので。かならずしも毎回は無理ですが、時間があれば寄らせていただきます。たぶんもっと専門家の方のご意見のほうが、辛口であったとしても適切なことをいえるのではないかと思いますが。あと、それと食後の感想がほしかったのは、しばしばグルメブログのほとんどが画像とレシピだけの記載であって、その効果というものを検証していないからです。これはいうなれば、絵画の技法書に即して絵を描けばうまくなると勘違いさせるようなもの。じっさいにすばらしい絵を残すひとは、ちゃんと他の絵(作品だけでなく)をみてその効果を検証しているのではないでしょうか。おいしいものをつくるひとは、おいしいものを食べているひとのはず。

料理というのは味覚、嗅覚だけでなく、色彩バランスや空間配置などのセンスも問われる、綜合芸術的なわざ。熟練した菓子職人は、卵の鮮度をひとめで見抜くことができるし、菓子を口にふくんだだけで、そのレシピが頭に浮かび再現できると聞きました。自分ではとうてい極められない才能です。

たかパパ様がじつのところきまじめに料理の研究していらっしゃるが、それをおくびにもかけないという態度はこちらとしても見習いたいものですね。
では、コメントありがとうございました。来年もよろしくお願いしますね。


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はじまりのテンペスト (万葉樹)
2007-12-29 19:34:24

ごきげんよう、ROM様。
じつをいいますと、最初にこのコメントを拝読しましたときに、戸惑ってしまいました。もちろん、いやという意味ではなくて、です。返答に窮してしまったのです。(ちなみに私はしんそこ嫌なコメントもらったときは、はっきり拒絶する人間ですので)私は過去に神無月ファンサイト様との交流により救われたことがあります。もし拙所をみて過去の私とおなじような心持ちの方がいらっしゃれば、それなりの対応をすべきと思っておりました。それがこれまでのご恩返しにあたるかなと、かってに信じていたからです。しかし、それは正しかったのかと。

まず最初にお断りしておきます。私は今後ともこの作品を好意的に理解する方々への、善意ある感情をお約束することはできません。それはこのブログがけっして一作品の客観的な検証をおこなうファンサイトでなく、あくまで管理人個人の私的な事由にもとづいてはじめられたものであるからです。
私はとても恐れています。この物語に私情をいれこむがゆえに、あるいは受容態度の違いからくる、愛好者の諍いごとを。

ROM様は十月に重大な告白をしてくださいました。この記事はそれをうけて…というのでは必ずしもありません。この事実、私がずっと胸にしまっておくべきだった想いであります。私はこれに触れるまえに、このブログを終わらせようと思っていました。しかし、いまは違います。神無月以外に書くことを見つけているからです。

あの記事はずいぶんと、事の深部をぼかしています。誤解なされたかもしれませんが、「彼女」とはあくまで代名詞的ないみあい。たぶん、貴女様のケースとはことなるのでしょう。
しなしながら、この前後編をお読みになって私がそこに秘めた裏返しにした感情を、そっくり言い当ててくださったかった方がいらっしゃいました。

>が、なぜこのブログに私が訪れ、告白をしたのか分かった気がしました。

のあとの、ふしぜんに空白にされた部分について。貴女がなにか書きつけようとして消してしまった声について。私はそれを知りたいとは思いません。知る勇気もありませんし、それにかける言葉すらもう思いつかないからです。
この記事、もう一年もまえから

>あの時の、まるで自分がオルフェウスにでもなってしまったかのような錯覚をもたらした刹那の嵐は二度とは私には戻りませんが、じっと黙って体をうずめていると、気がつけば懐かしい人の声を届ける風が、今なお私には吹いています。
貴方も心の奥底で、ひっそりと、いまだ止むことがない風音を感じていらっしゃるのではないでしょうか。

自分の失態のせいで愛しい人の復活のよすがをうしなってしまった詩人。信じぬく愛をつらぬけずに、ただ一目の欲望のために妻を冥府につきおとしてしまった楽人。他の愛をうけいれられず、神を冒涜したあまり悲惨な末期をむかえた男。それでも、頭ひとつになっても川を流れて謳いつづけた執念。私がオルフェウスに見るもの。それは、ひとを愛する自分に耽溺し、自己の悲劇をつくりものにして慰めている詩人いっぱんのたちの悪い性質でしょうか。
失礼ながら、ROM様が詩的な旨趣をもって語られた悲しい甘さは、私には、すくなくとも今の自分には、ありません。貴女はきっと失くしたひとに優しい気持ちをいだかれていたのでしょう。が、私はそうではありません。想い出はその甘さゆえ、舌の先でころがすほどに融けて消えてしまうものだから、私はあまり語りたくはないのかもしれません。

あの夜の声が空気の精が運んだいたずらであったのかは、いまだもってさだかならず。それは私の思い込みであったのかもしれません。耳を切るような北風は、ときおり人の息吹のように錯覚されますが、私が求めるものはそれではない。風笛のなかにひそんでいる声がもはや届かぬ夢である事実。どうして届かないのかを、私は知っています。だから、あの作品は「人生の免罪符」なのです。

私のこころにテンペストがおこったからといって、潔く筆を擱くことはとうめんできなさそうです。晩年のイングランド戯曲家とはことなって。

ごめんなさいは、私のほうです。私は名無し名義で個人の運営ブログに無責任なコメントされるのが嫌ですので、あえてつっかかるようなことを書き。結果として、他人様の凍結した想い出をひきだしてしまったのですね。
私は逃れるために、忘れるために、ただ自分かわいさのためだけに、書いているのです。記事もコメントもすべて。
では、コメントありがとうございました。


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Unknown (ROM)
2007-12-30 04:31:24
万葉樹様

私情だけを書き連ねてしまった私へ、それでもわざわざ返事をいただきありがとうございました。

それどころか、私の至らぬコメントに対してすこしでも誠実に返答をしようと思われた故に、かえって万葉樹様にまで、意に沿わぬであろう余計な心情の吐露をさせてしまったこと、本当に心苦しく思います。

しかし、あの行間のことまで、まるで私を見ていたように見抜かれるとは本当に感性の鋭い方なんですね。驚きました。
それゆえ、遭えてそれを指摘されることの意図も分かりました。(これ以上返答に困るようなことはいたしません)

ただ、私は万葉樹様のこのブログを見て、ささやかなやり取りをした結果、長い間続いた悪夢のような過去への耽溺と苦痛から抜け出すことができたことについて、お礼をさせていただきたいと思います。

貴方がわざわざ返事をされた意図、内容、すべて良く理解しました。ですからそもそもこの返答もしないほうが良いとも思っていましたが、後味が悪いままになられるのも申し訳ないと思いましたし、貴方の望む、望まないにかかわらず、以前に貴方の書かれたもの、わずかなやり取りがきっかけとなり、結果として私は少し前に進むことができた、ということが私にとっての事実ですから、それだけはお伝えしようと思いました。

無論、だからといってこれからの記事に何か自分勝手な期待をしているわけではありません。

名も無きものとして遭えて書き込みをしてしまったのも、貴方の返答に対して何故かすべてを話してしまったのも、一時の偶然です。

ですから、何か後味が悪い気分になられたのであれば、そんな必要は無いことをきちんとお伝えし、またお詫びをしようかと思った次第です。
それでは、ご多幸を祈って。
返信する
貴女の幸せお祈りします (ごめんなさいの万葉樹)
2007-12-30 17:50:00

ごきげんよう、ROM様。かさねがさねのコメントをいただき感謝します。いま確認しましたところ、いちぶ推敲がふじゅうぶんなレス返しをしてしまい、もうしわけなく思っております。

上述の返し文ですが、すこし冷たく言い過ぎではないかとも思いました。ですので、出すのを数日迷っていたわけです。が、あえてそうさせていただきました。私は弱い人間で懐があたたかく広いわけではありません。ですので、誰かのこころの重荷までも背負いきれるわけではないのです。けっして、貴女の痛みをないがしろにしたいわけではないのです。ただ、自分と似た境遇の方に話をあわせているうちに、数年来封印していた呵責の念をすべて開け放してしまうのを恐れていたのです。また、私がうっかり優しさをかけて、貴女がひっしにおしとどめているものを露呈なされてしまうのも危ぶんでいるのです。

行間に隠された沈黙のメッセージについては、やはりそうだったのですね。ある程度のメディアリテラシーを身につければ、ネット上の書き物の裏側にある書き手の心情が透けてみえてくると思われます。(ウェブ上でなく紙媒体の文書にもいえることですが)ROM様はさいしょ頂いたコメントから、ひじょうに言葉遣いただしく律儀な方とお見受けしましたので。私が婉曲的にお伝えしていますことを、つぶさにくみとっていただけたのだと、かってながらに解釈しております。

オルフェウスに関する論駁のくだりは、自戒をこめて申し上げたことです。私がたびたびレトリックによって苦い現実をごまかそうとしている癖のあるのを内省する気持ちの現れです。どことなく自分と似ているのかしらと。自分の芸に酔いしれ、ほんのひとときの理性をゆるめたがために、愛人を闇へ送り返した詩人は。

>長い間続いた悪夢のような過去への耽溺と苦痛から抜け出すことができたことについて、お礼をさせていただきたいと思います。

私がブログで明らかにしたことによって、なにがしかの区切りがついたというわけではありません。でも、私はもうこれに囚われずに生きていきたいなと願っています。神無月語りはもちろん続けますが。これまで百合アニメレヴュー主体であった拙所ですが、来年からはすこしブログの趣向を変えようかと思っています。

この物語になんらかの想いをかさねてみていらっしゃる方は、おおぜいいることでしょう。ですが、やはりあるていどの距離をおいたエンターテインメントとして楽しんでおくのが、無難なのでしょう。そのほうが、今後の貴女の人生を心安くできるのではないかと。

以前の『神無月』の特質を一言のもとにいいあてられたROM様の鋭い見方については、拙所としましてはひじょうに嬉しく、かつ心強いものと思っております。管理人のもてなしがまずいがために、しばしば訪れびとをご不快にさせることもあるでしょうが。どうか今後とも忌憚なきご意見をくださいますと嬉しく思います。
では、来年もROM様にとってすばらしき一年になることをお祈りしています。


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