陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

神無月の巫女精察─かそけきロボット、愛に準ずべし─(十二)

2015-10-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


さて、私がこの作品を観て、つねづね疑問に思うことは、後半部の怒濤の展開もさることながら、このロボットの立ち位置なんですね。とくに第十話以降のやっとめでたく誕生したアメノムラクモ。最終兵器であるところであり、八機合体のヤマタノオロチを向こうに回して戦えるほどの神機でありながら、あまりにもそれが果たす役割が少ないのです。

最終話において、アメノムラクモはヤマタノオロチの闇から抜けだした巫女ふたりを保護する、避難場所としてしか機能していません。そこで姫子と千歌音は別れの花園で再開の約定を交わし、輪廻のさだめに涙ながらに突き進むことになります。第一話で語りかけた女神の声が、月の社の階段をのぼる千歌音に語りかけます。女神は輪廻の枠から外れた、巫女とは無縁の魂の安らぎもあるという選択肢を示してもくれますが、千歌音が選んだのは苦しくても姫子にかならず逢えるという来世への転生でした。漫画版のクライマックスではおもしろいことに、アメノムラクモが死を覚悟した千歌音を掌で拾い上げ、姫子と目合わせているという、粋な計らいをしてくれます。ちなみに、このアメノムラクモ機、原作者先生のデビュー前学生時代にすでにデッサンがあった、とサイトで発言されていたような覚えが。原画集によれば、ソウマと姫子が搭乗したアメノムラクモはあくまで雄型で、姫子と千歌音ふたりを含めたときが真アメノムラクモとして覚醒したのだとか。いずれにせよ、アメノムラクモ、ほんとんど華々しく戦ってはいませんよね。

またロボットアニメとしての不足感を示す材料と挙げられるのは、八の首の機体が主不明であるということ。
八の首はおそらく本作の時代でも存在しえないことは、すでに第六回の考察で実証済みです。原画集によれば、初期稿では二十四話の予定で、あの乙羽さんが八の首として搭乗する予定だったとあります。正義者がわからの裏切り者が敵方になる。この場合、八の首はジョーカーのような存在ですね。もし、そういう話であれば、このアニメはすくなくとも感動が薄らいだに違いありません。なぜなら、のちに見るように、千歌音が搭乗したのが八番目のオロチ衆のものではなく、他ならぬオロチ七の首の機体であったことが、本作において、たいへん大きな意義を有することが判明するからなのです。(ちなみにソウマの近くにいたユキヒトが、視聴者向けのピットフォールの役目だったのではないかと思われる)

さて、ここでそろそろ結論づけたいとすれば、「神無月の巫女」はロボットアニメたりうるのですが、じつはロボットとしての主役がアメノムラクモではない、つまり巫女の搭乗機ではない、という点において、この作品がロボットアニメたりうる意義をあやふやにしてしまっている点が惜しいということですね。しかし、これはあくまでイレギュラーな巫女の転生譚。正しい事態ならば、アメノムラクモがさだめた方式にしたがって、アメノムラクモがヤマタノオロチを成敗し、巫女はそのさだめを受け入れていたのでしょう。

と、すれば。ここで強引にでも、このアニメがロボットを出した意義について、いまいちど理解を深めておかねばなりません。アメノムラクモが主役ではなくとも、このロボットアニメには「ロボットとしての主演」がいるのです。それは、もう言うまでもないことですが、ソウマロボこと、タケノヤミカヅチ。そして、そのタケノヤミカヅチこそは後半部の加速におけるとても重要な役割を担っているのです。

この物語の前半部においては、ロボットすなわちソウマの駆る愛機こそが、恋愛の三角関係における駆け引きをおもしろくするための、大神ソウマにもたらされた切り札であることは、すでに語られていました。これは言い換えると、圧倒的なマスキュリニティ(男性性)の勝利を意味します。姫宮千歌音は学力、運動能力、異性を惹き付ける容姿などはソウマとは互角、そして財力や家柄としてはソウマを上回っています。もし千歌音が女性であるということを加味しないのであれば、そのバックボーンのみを比較して、したたかな現代女性ならば千歌音の方になびくに違いないでしょう。これは現実問題として、女性が女性(男性が男性を、でもおなじだろうが)をパートナーに選ぶという生き方を迫られたときに、経済的には女性は男性よりも優位に立てなければ、意中の相手を自分に振り向かせられないわけです。

姫宮千歌音はそのハードルを生まれながらに手にしているわけです。現に彼女には、性別問わずに告白、縁談が山のように舞い込んで来ているというのですから。そんな千歌音が姫子を選ぶ。まあ、いかにも少女漫画にありそうな格差恋愛と申しましょうか。周囲の理解はともかく、千歌音のような人物は平常であれば姫子を幸せにはできるでしょう。えげつない言い方をすれば、社会的立場や経済力さえあれば、パートナーを選ぶ自由が与えられる。(ただし、現実的に考えれば、彼女のような責任ある立場に生まれた人間が、家の存続を望まない選択をすることは到底許されないのですが…。)

だからこそ、ロボットが必要だったのです。
千歌音のような持てるものに恵まれた人物ですら悔しがるほどの優位なカード、それはオロチ乱れる暴れる世の中に立ち向かえる逞しさの例えであるのかもしれません。それは言い換えれば、姫宮千歌音という人物がこの物語でひそかに描かれたように、いかに恋愛に臆病で感情に乱れのある等身大の女の子であるか、ということに尽きるのです。千歌音は凛々しいけれども、凛々しすぎては描いてはいないのはそのため。そして、悲しいことに、女は、か弱いものを保護したくもなるが、同時に、逞しいものに惹かれることが、遺伝子のうちに運命づけられてもいるのです。



神無月の巫女精察─かそけきロボット、愛に準ずべし─(目次)
アニメ「神無月の巫女」を、百合作品ではなく、あくまでロボット作品として考察してみよう、という企画。お蔵入りになった記事の在庫一掃セールです。

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