陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

一筆啓上、値上げします

2017-05-17 | 政治・経済・産業・社会・法務
題名は失念いたしましたが、向田邦子作の小説の一場面。
戦時中、疎開先へ逃れた妹から届く葉書。その内容はおおきく元気な○を描いたもの。まだ字を習っていなかったのか、それとも下手に文字など書けば検閲で墨塗りされる恐れからか。便りのないのはいい証拠とはいいながら、離れた家族は、その○だけの葉書の到着を楽しみにしていたはずです。やがて、○は日につれてすぼんでいく。とうとう最後は×に。そして、家族が駆け付けたときには、妹はすでに死に水をとらねばならないぐらいに衰弱しきっていたのでした。

その昔、教科書に載っていたこんな掌編が思い浮かぶのは、先日のニュース。
この6月1日から通常の郵便はがきが52円から62円への値上げ。昨年末には報じられていたのですが、不覚にも郵便局からのお知らせはがきで、今日になってはじめて知りました。期間限定の年賀はがきだけは据え置きなのも不思議ですね。暑中見舞いはいいの? 身内に不幸があって寒中見舞いしか出せない人は? 

私が子供の頃は、女子のあいだでの文通だとか、絵葉書交換とかがブーム。留学や海外旅行した友人からよく絵葉書もらいましたね。今では、世界中どこに行っても、ツイッターやフェイスブックなどで現地から近況報告できるわけです。

自分の場合、日常であんまり郵便物が廃れたという意識が薄いんですよね。
といいますのも、私のお知り合い、スマホやケータイを持っていないわけではないのに、連絡寄越すときは、メールでなく直接電話か手紙がほとんどです。スマホユーザー歴としてまだ3箇月めの私ですが、スマホを連絡用にはしていません。LINEもやったことありませんし。あくまで、携帯できるネットサーフィン用端末。遅れてる…。田舎の時間の流れですからね。

ネット上での交友関係と、実際の手紙での交流とを別ものにする人もいます。
これはどちらに重きを置いているかはそれぞれだと思うのですが。ネット上でのコミュニケーションであまりいい思い出がない場合は、やはり手紙派になるのかも。手紙というのは、相手の存在を確定したうえで送られるものですので。

手紙というのは、字面からそのときどきの書き手の思惑やらも読み取れますし、メールやツイッターでのひと声とは違った味わいがありますよね。ていねいな字を書きなれていないと、契約書などに署名するときや記帳するときなど、困りますし。
宅配もそうですが、郵便が届くのは、留守がちなお宅にとっては防犯対策にもなります。

ちなみに、郵便でいま面倒だなと思っているのは、転送手続き。
亡くなった家族宛の郵便物が届く可能性があるのですが、毎年、転送届を提出しないといけないのがネック。せめて3年ぐらいにまとめてできないものでしょうかね。

過去、やりとりされた書簡が文学的価値を持つこともありました。
日記もそうですが、手紙はすごく内省的な働きを持っています。誰が読むのだかわかりはしない、ツイッターのつぶやきやブログの雑記などに本音が書けるかというとそうでもなく。そこにあるのは、やはり、ロゴ人形のように平準化された、いくらでもつなぎ合わせて拡げていったり、崩すことのできる、自己を名乗りながら自己ではない、「何者」かということです。

それはともかく、このたびの郵便料金値上げは、ひとえに手紙文化の衰退。
コンビニでも投函できる一方で、街にあるポストの数も減り、集配時間も減らされてしまう始末です。海外企業とのM&A戦略が失敗し日本郵政の赤字が影響して、客単価に負担がかかるというのは、なんともまずい。バレンタインデーとか、母の日などみたいに、思い切った商業的戦略が必要かもしれませんよね。野村不動産を買収してるどころじゃないでしょうに。



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