陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

読書感想画が教えてくれる子どものまなざし

2018-03-21 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

私がいつも通っている公立図書館は、数階建てのビルのなかにあります。
公立の図書館には一般図書コーナー、児童書コーナー(読み聞かせやイベントルーム)、そして企画室、自習室がありますよね。自習室はまるきり個別の勉強机タイプになっているところもありますが、私は周囲に人がいると集中できないので、図書館の自習室を勉強用に使用したことはありません。

企画室というのは、その階すべてがイベントルームになっていて、団体の絵画展や生け花、刺繍などの展示会場になっていたりもします。要するに文化サロンですよね。私も小学校時代に入選したポスターなどがよく飾られていました。

さて先日、そのなじみの図書館のロビーに展示されていたのは、読書感想画コンクールの入選作品。小中学生の力作ぞろいです。書道にしても、ほかのなにかの工作にしても、そうですが、学年を確かめると驚くほどの異能というのが、二十点のうち、ひとりかふたりは紛れ込んでいるものです。

今回、私が目を引いた一枚は、四つ切画用紙横向きに描かれたもの。
玄関からは遠いですが、図書室を出てすぐ目に付く位置にあります。好きな本を抱えてさあ帰ろうという人にとっては、しかし、その色調はあまりに目立たないグレー。

孵化した鮭が川に帰ってきた本の一頁のようです。
描き手は中学一年生男子。他の子は、たいがい、感動シーンがわかりやすいようなファンタジー系の本で、その絵も、水彩の明るさや透明感を損なわないような、爽やかな塗り方しているんです。最近の子、とくに女子で多いのが、あきらかにアニメっぽいというか、漫画ちっくというか、そういう絵柄ですね。うまいんだけど、逆によくあるイラスト好きな子の平均的な絵だな、特色がないな、と冴えないんです。

私が目を引かれたその絵は、たしかに、何かが違いました。
鮭を描くのならば、おそらく、皆さんは川を逆流し、跳ねながら必死の形相で上り詰める鮭、もしくは産卵する鮭、産卵したあと力尽きた鮭。そんな自然派ドキュメンタリー番組でありがちなワンシーンを想像するはずです。でも、その絵は。工場の排水が流れていそうな川で、鮭が数匹泳いでいる。背景には、生ごみや空き缶などなどが散乱しまくっている。しかし、一匹ずつの眼は人格があるように力強さがあるし、尾ヒレもそれぞれ違っています。しかも水彩画なのに、青木繁か高橋由一の魚のような、魚の腹に重厚な塗り重ねをして、ぎとりとした光沢を出しています。

正直、こんな薄汚い場面を描こうとする子供はいません。
しかも、下手に理想的な絵心があれば、こんな色使いすらしない。しかし、この子は描いた。この子の関心はなんだったのでしょう。私はこの本を読んでいないのでわかりかねますが、
おそらく、これは環境問題に関する本だったのかもしれない。川にどす黒さや生き物の獰猛な瞳をあますところなく冷徹に描くことのできた、この人物は、日頃からかなり魚などを飼いなれているか、見慣れている環境にいるはずでしょう。おそらく生命に対するただならぬ観察力があるに違いない。中学一年生でここまで描くのかということに、恐れをなしたわけです。もちろん、小学生ぐらいで工房経営者だった父親をしのぐデッサン力を有していたという天才パブロ・ピカソに並ぶというわけではありませんが。

読書感想画には、ひときわ、嫌な思い出があります。
小学生の頃ですが、図画工作の授業で、「三つの願い」という童話を題材にして、感動した場面を描きなさいという課題がありました。これは働き者だった老夫婦が、三つの願いによって欲を掻き、けっきょくは何も得られないという結末だったはずです。ひとつめの願いで小腹を満たすために迂闊にウインナーを出し、怒ったおじいさんの願掛けでおばあさんの鼻にウインナーがくっついてしまう。そして、最後の願いで、しぶしぶ、ウインナーをとってやる。黄金の金貨よりも、おばあさんとの平穏な生活を選択した夫婦が幸せに終わったのか忘れました。

そのお話で、ほとんどの人が描いていたのは、おばあさんの鼻先にウインナーがひっついた場面でした。そして、私だけがクラスで、ひとり別の場面を描いた。描いたのは、ミレーの『晩鐘』よろしく腰をかがめた農婦が畑を耕している場面です。私はそこがこの本でいちばん美しいし、共感できると自信を持っていました。でも、教師(50過ぎの女性)に言わせると「みんなが選ばない場面を描いたお前は頭がおかしい。そんな場面のどこがおもしろいんだ?」でした。

エリートたる学校の教師からすれば、百姓仕事なんぞ下層の職業なんでしょう。
しかし、祖父母が農家だった私は土を耕すその仕事のどこがおかしいのか、他人が苦しむ滑稽な場面を喜ぶような絵なんぞ描けるか! と思っていました。その読書感想画は、その教師の望むように描きなおしさせられましたが、私はやる気がなかったので乱暴に色塗りした覚えがあります。その頃から、自分は組織にはなじまない反抗的な子どもでした。いや、今だったら、たぶん空気読んで、教師の言ったとおりの場面を描くと思いますけどね。物語を解読する想像力が足りなかったといえますし。

ひるがえって、先述の鮭の絵。
この絵を読書感想画として描かせ、コンクールに応募することを許した教師は、度量の広い先生だったのでしょう。国語とか音楽とか、美術とか、とかく文系の先生に多いのですが、自分の美的感覚を子どもにおしつけないでほしい。子どもは大人が用意してくれた態のいい答えしか探さなくなります。

この世界に絶対の正解などはありません。
物理の入試ですら、一部の権威ある学識者が作成した問題が解答不可能だったりする。正しいと信じていた科学の常識が、データの捏造や思い込みだったりする。

子どもは本を読んでほしい。いろいろな疑問を浮かべ、思考法を身に着けてほしい。
そして、わたしたち老長けた大人たちが思考停止に陥っている常識を打破してほしい。多くの本はあなたの周囲にいる大人たちが教えてくれない、世の中のおかしさや真実をみつめるまなざしを与えてくれることがあるのです。これは、同世代だけでSNSでやりとりしているだけではわからない世界なんです。

一冊の本の中でココにしびれた!という瞬間が訪れるかどうかは、まさにひとそれぞれ。誰にも顧みられない本にだって、いつか固定ファンがつくこともありうる。学校や教師たちが感動をお仕着せするのは邪道です。

読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。




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