陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「偶像の下描き」(四)

2010-12-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


雨の日はときに街がふしぎな図様を浮かび上がらせる。
空があちこちに逆さまになってばらまかれている。それはめまいを催させるような光景だった。世界が爆発で飛び散った肉片のように分解され、やがてそれは太陽によって滅せられる。とりわけ、アスファルトやコンクリートにできる水たまりは、火事場に残される、縁が黒く焦げてしまった敷物の切れ端のようだった。そこに映るものは、モノクロフィルムのようにまじめくさって薄暗い。胸と背中がくっつきそうなほど空かしっ腹の野良犬が一匹、電線に区切られた鉛の空をちろりと舐め、ためらいもなく乱しながら通り過ぎていく。

画集一冊分ぐらいの重みのある、肩下げ鞄に目を落とした。
明日までにはネームを練らないとまずい白紙の原稿が、わんさと詰められているのだ。いつもの癖で持ってきてしまった。仕事から逃れたいくせに、護符のようにその白紙の原稿を持ち歩いていないと、安心できないのだった。

本屋の店頭の雑誌コーナーで、もうしばらく時間をつぶそうかと思った。
そう大した買い物をするわけでもないのにとかく暖簾の古い店をくぐりたがる田舎じみたお性根からか、私は都会にあるいくらも大きなブックストアよりも、古い雑居ビルの一角で細々と営まれているような個人経営の書店が好きなのだ。客をお金を落としてくれるカモだと言わんばかりにねめつけてくるのではなく、野良猫でも眺めるようにほっといてくれるような、無関心な店番のいそうな本屋。読者と活字との対話を無碍に邪魔だてしないようなわきまえのある本屋。

私は、ちらりと横を見た。
営業マンふうのスーツの男が鼻の下を伸ばしながら、青年誌に目を注いでいた。
真っ昼間からよくこんなところで油売っていられるね。気色ばんでそう思ったけれど、自分も同じようなものだった。きょう予定されていたサイン会を理由をつけてキャンセルしていたのだから。徹夜明けで体調がすこぶる悪くて、と出版社からの電話では強引に押し切った。

男のくたびれた襟ぐりや肩に積もった古い埃が、いかにも仕事によって不幸にさせられた人間の典型を示しているように思われた。
厳しいノルマを課せられ、サービス残業、膠着した職場の人間関係。いくら成果を上げても、給料は上がらない。彼はそんな日常に疲れて、つかのま、ファンタジーに癒しを求めたのだろうか。たしかに萌えファンタジーの登場人物は惜しげもなく、債務という身をがんじがらめにしている衣装を思い思いに脱ぎ捨てることができる。そのファンタジーを描く人間だって、自由とはほど遠い、制限を嵌められてあくせくと机の上で立ち回っているにすぎない。作家は夢に憧れて、夢に食いつぶされる。なんという狭苦しさだろう、数千年の歴史をものし、銀河系一個は入るくらいの世界を描き出す人間が動ける範囲が畳一畳ほどもない窮屈さに押しやられているなんて。自分の頭のなかは、自分が棲んでいる世界よりも広いなんて嘘だ。その無法な広がりを人は知識で得たに過ぎない。経験した世界が狭い人間は、くだらない日常劇をおもしろおかしくひねくった程度のものしか描けない。そして、それがいまのペンを握るしか能のない私なのだ。

私のような無頼ものからすれば、スーツを着て毎日定刻に会社に向かうという暮らしを送れる人間の存在自体が、まさにファンタジーそのものなのだ。時おり、そんな生活にあこがれなくもない。自分の創意などというものに自惚れをもたず、ただ言われたままに疑念を持たず、淡々と義務を機械のようにこなしていくことができれば。そうできれば、どれだけこの人生は楽だったろうか。

嫌なものからの視線外したさに、私は急いでその場を離れようとした。
振り向きざま、肩に衝撃をくらった。

「…いたっ!」
「あっ、ごめんなさい…だいじょうぶですか?」

実際、急に振り向いたために、ぶつかってしまったのはこちらだった。
けれど、気が立っていた私の口からは、ごめんなさいよりも、身勝手なつぶやきが洩れていた。




【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」




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