志高い学生さんが言いがちなフレーズの一つに「グローバル人材」というのがあります。
かつての私もそんな意識高い系学生のひとりでした(笑)。いまでも、そうかもしれませんが。明治人ばりに、日本の芸術文化や教育は海外よりも劣っていると頑なに思い込んでいました。日本よりも海外作品の研究をしたほうが、外国語の文献も読むので能力が高いだろうとか。そうかといって、海外旅行に出かけたことはなし。知人の海外挙式にかこつけて行く機会があってパスポートだけ取得したものの、論文の締め切りと重なって行けずじまいだったんですよね。
読売新聞の毎週水曜にある就活特集で、企業にアンケートをとったところ、語学力や留学経験よりも、本人の人柄や行動力を重視するという結果があり、驚いたことがあります。英語だけで社内会議をする企業があったけれど、けっきょく、広まっていませんし。語学力はあるにこしたことはありませんが。
昨年ベストセラーになった『宝くじで1億円当たった人の末路』(鈴木信行著・日経BP社・2017年)に興味深いトピックを見つけました。「留学(学歴ロンダリング)に逃げた人の末路」と題して、留学カウンセラーの栄陽子氏に伺った話。要約を以下紹介します。
留学によって見栄えのいい最終学歴を手に入れる人が増えている。しかし、いい加減な留学をすれば、かえって人生を棒に振りかねない。
理由の一つは、円安時代における学費の高騰。
コミュニティ・カレッジの学費は年間9000ドル。寮併設でなくホームステイ必要ならば月額1000~2000ドル。さらに諸費含めれば、2年間留学でざっと6万~7万ドル。その前に現地の語学学校に1年通うことも。日本円に換算すれば1000万円近くかかります。
二つめは現地での生活の厳しさ。
ホームステイ先は母子(父子)家庭もしくは老人世帯で、部屋を間貸しして家賃を得たいだけの人が多く、地下室など環境が悪い部屋をあてがわれ、世話をしてくれない。結果、ホストファミリーと話をしない留学生もいる。また寮でも日本人同士固まってしまい、語学力が上達しない。
三つめは留学して得た学歴が評価されづらいこと。
全米の大学のうち、ハイレベルな私立はリベラルアーツ・カレッジ。大学院まであるのが総合大学(ユニバーシティ)。州立大学はレベルに格差があり、日本人の多くが留学するコミュニティ・カレッジはその最下位で、移民向けの英語習得と職業訓練校。ここを卒業しても、日本ではアソシエート・ディグリー(準学士)、すなわち短大・専門卒扱い。語学留学したと胸が張れるのは、コミュカレ卒業後の州立大学に4年かけて卒業してから。
もちろん、日本の高校卒業と同時に、もしくは中退して、現地の有名四大を卒業する人もいる。このカウンセラー氏によれば、学生寮があり、四大進学率の高いコミュカレ、もしくは州立大学付属の語学学校を選ぶこと。米国の教育制度や留学について、あらかじめ下調べしておくこと。
高い学費をかけたのに、その学歴が評価されないのは日本の大学でも変わりませんが(笑)。
下手すると、いい大学出たのにこんなこともできないのと逆評価になる場合もありますし。
大学院時に英文で執筆した論文を研究誌に載せるために、私立の外大卒で留学経験ありの友人に英文チェックしてもらったところ、内容がわからないと言われたことがあります。これを英会話講師のオーストラリア人(母国では高卒)に依頼したところ、定冠詞の扱いが若干おかしいだけだが、わかりやすい文章との評価。私の友人が理解及ばなかったのは、特殊な哲学用語や美術知識だったのですが、海外の大卒それに匹敵する学力のある人は、基礎教養があるということなのです。相手が知らない専門用語は、私が平易な英語で説明したら理解してくれたのです。そもそも英語で読み書き発表なんて、理系では日常茶飯事でしょうし、英語だけ学ぶのはもはやナンセンス。
私もそうですが、日本人が英語で話したり、書いたりすると、独特の持って回った言い回しになりがちです。
留学経験のある人はやたらと細かく発音にこだわるのですが、アジア圏の人が完全な英語圏のネイティヴスピーカーほどになれるわけがない。私がかつて非正規で勤めていたある国立大学の事務職では、TOEICが900点以上で採用された有名大卒の新人さんが外国人とコミュケーションとれずにお払い箱にされていました。上記の友人も、通訳で勤めたもののビジネス会話が苦手だったらしく、現在は方向転換。ウェブデザインやら、LINEスタンプの売上で稼ぎたいだの、いまだにいろいろ夢を語る、面白いひとになってしまいました。高給取りだからマスコミ就職したいだの、起業したいだの、同人誌で稼ぎたいだの、週3勤務で済むから大学教授目指そうかなとか、言う人だったんですよね。私も含めて就職氷河期に多いんですよ、こういう手合いは(笑)。自分に自信がないから、大多数の、わかりやすい「できる人」の指標に自分を合わせてしまいがちになる。海外志向、大企業志向なので、地方の中小企業の経営者からは確実に嫌われてしまう。地方企業は、こういう「世界が広すぎる」夢追い人に、楽しくわくわくするような仕事を与えることはできない。悲しいギャップです。
この友人、のちに米国の美大に1年間留学したと言ってきて。
制作物というのが、なぜか、卵パックを絵具で塗っただけのもの。英文の教科書も貰ったけれど、どうみても小学生の図画工作の教科書の内容でした。どうみても、市民カレッジ的な授業だったわけです。その大学で学位取得したわけでも、論文残したわけでもない。職務経歴書に書けるキャリアになるのでしょうか? その留学した期間で、国内企業で働いて実務能力高めるか、資格取得に励んだ方がよかったのでは、と思わざるを得ません。ちなみに、小中学生までは優等生だったタイプに多いです、いい子でいるのに疲れちゃって道を踏み外す方向を目指すのは。逆に、学生時代まで絵や音楽などの道楽をやり切ってしまい、実利的思考能力のある人は、無駄に嵌まらないのではないかとも。
留学したとか、海外旅行したとかの、お話を楽しく聞かせて下さる方もいますが、正直、〇〇を見てきましたよ、程度の「報告」に終わっていて、本人がどういう感慨を抱いたのかわからないケースが多いです。本人は英語で現地人と話した自己能力が誉れなのでしょうが、こちらからしたら、日本語できちんと情感豊かに説明してほしい。このずれがあるので、「海外の空気を知っているワタシすごい病」の人としか捉えてくれなくなってしまいます。ろくにバカンスもとれない企業担当者からしたら、放蕩癖のある遊び好きな人としか映らないわけで。東南アジアで農場経営しているという近所の農家さんも、資金繰りで黒い噂が絶えない方だったりしますし。
海外の大学でMBA取得するに等しい資格が中小企業診断士としてありますし、国内で弁護士どころか司法書士、行政書士クラスすらすぐに合格できない方がいきおい米国の弁護士資格目指しても、役に立つのかなあ…と思ってしまいますよね。将来を誓い合ったのに、30歳目前にして留学すると言い張る、某内親王さまのご婚約者(内定)氏について、世の多くの方は白い眼を向けているのではないでしょうか。ご自身の母親の債務整理をまずしたほうがよいような。
いいかげん、日本人の、海外ではこんな素晴らしい制度が~という隣の芝生が青い現象のおかしさに気付いた方がいいのではないでしょうか。フィンランドは社会保障が充実しているというけれど、高福祉の割に高納税であるし、日本よりも人口が少ないし、災害や国防上の不安も薄いからこそできるのではないか。単純に比較はできないし、海外のシステムを移行して崩壊している代表例が、日本の雇用制度ですよね。海外に逃げたら、都会にいったら、自分は上級国民です、みたいなまやかし、そろそろやめていただけないでしょうか。自分の生まれ故郷や家族を棄てるための学力は誇るべきなのでしょうか。
ちなみに私も院卒ですので、就職難だからとりあえず院進学したんだよね、と言われてしまうことが多いです。大学で学んだ分野の仕事していないの? 研究者にならなかったの? と揶揄されることも多いのですが、学府で学んだからこそ将来性がないなとわかることもあります。方角の決まったレールの上をこぼれずにまっ直ぐに走ることのできる人は少ないし、人生の寄り道をしたならどのような成果を得たか、理知的に話せるようになっておけばいいだけではないでしょうか。「優秀な私が評価されない日本がおかしい」と嘆いて、自己の依って立つ場を否定する人が海外に行っても、ないがしろにされるだけですから。
学歴って、本人の能力証明もあるでしょうが、決まった期限までに一定の結果を継続的に出せることの目安になる程度のものなのでしょう。
学力も基礎体力も一朝一夕では身に着きませんし、数年華々しい学歴や資格を手にしても、すぐ廃れますし。しかし、それをどう活かすかを考えるのが、ほんとうの知力でもあるわけです。
疎外感で日本や自分の身近な居場所を否定して、自己の能力を過信しすぎると、やがて自分の所属できる場所がなくなって孤立してしまいますね。