陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

リンカーンの椅子

2008-11-09 | 政治・経済・産業・社会・法務


アメリカ合衆国で好きな大統領はと聞かれたら、ジョージ・ワシントンかエイブラハム・リンカーンと答える。理由は簡単だ。このふたりが彫刻になっていて、なおかつ子ども時代に伝記で親しんだことのあるふたりだったからである。
ワシントンは米国サウスダコタ州キーストーンにあるラシュモア山国立記念公園のモニュメント。岸壁に掘られた四人の顔のうちのひとつ。ワシントンは公に表明することはなかったが、自身の農場に囲われた奴隷の解放を遺言にした。

ワシントンとおなじ岩盤にも掘られているが、リンカーンはリンカーン記念館にある、白い大理石の座像が有名だろう。
百九十センチをゆうに超す長身だったエイブラハムは、他の者のように立像で写真に収められるとなんともバランスが悪かったに違いない。縦横五・八メートルの立方体にみごとにおさめらられた男の彫像は、モデルの魅力を過剰な装飾なしに引き立てているのだった。しばしば碑銘を彫りこまれたおおきなヴォリュームを要する台座のために、像の比率が奪われるということもなく。
リンカーンはある少女のアドバイスにしたがって、大統領選挙を勝ち抜くためにあご髭をたくわえた。そのあご髭は歴代大統領のなかでも、彼独特のものであろう。威厳のある顔を手に入れはしたが、しかし政治は顔でするものではない。リンカーンが大統領に推挙されたのは、ひとえに熱い差別撤廃の意思を抱いてのこと。

もう一度言おう。政治は顔でするものではない。ましてや、肌の色だけで国を動かすことはできない。
たとえば彫刻として面影を伝える偉人がいたとしよう。雪のようにかがやくその石の肌の本来が、ほんとうは浅黒い肌をもっていたとして、あなたはがっかりするだろうか?絶世の美女とうたわれたクレオパトラは、あきらかに黒人だ。黒人の美女が、白人の将軍カエサルやアントニウスを誘惑したのだ。近代以前、アフリカ大陸が植民地化される以前、イスラム圏が、アジアの大国家が、暗黒の中世よりもよほどの高い文明を誇っていた。そもそも、あの国の先住民は、インディアンだった。白い肌に青い目のプロテスタントたちが、むりやり領土を奪ったのだった。アメリカ合衆国が人種の坩堝と化して久しい。その国に純粋な白人の割合は七〇パーセント。黒人は十二パーセントといわれる。

クリントン元大統領はじつは有色人種の血をひいており、黒人の間では黒人初の大統領とささやかれていた。その国に十二パーセントの人とおなじ肌を持つ代表者が生まれても、もはやふしぎではない。
それは人口の半分をしめる女の大統領が生まれるよりも早く望まれていいものだった。アメリカ合衆国の最終選挙戦、十一月四日、国民は新しい大統領バラク・オバマを選んだ。彼の言説は、New, First,そして Strongを好むアメリカ人の気質をよく汲んでいた。
〇八年八月の民主党大統領候補指名演説を読むとちょっと抽象的な言い回しが多いきらいがあるけれども、そのわかりやすい宣言が貧しく教育をうけていない者にも配慮されているような優しさがあったことに、好感をもった。その口上には弱い者とマイノリティへの配慮があった。選挙を後押ししてくれた若者、貧しいプロレタリアートへの惜しみない感謝、日本人が照れくさがってしようとしない家族へのありがとうが溢れていた。

アメリカが元のファーストレディでも老獪な将軍ふぜいの男でもなく、オバマを選んだのは正解だったといえる。ヒラリー・クリントン女史が選ばれていたら、スキャンダルでキャリアを汚した夫がしゃしゃり出てくることになろうし、齢七〇歳のご老体が居坐れば保守派はますます腐敗しつづけるだけなのだ。オバマ氏の強みはその黒い肌にあるのではない。彫刻のように若々しい肢体と、すばらしく切れる頭脳である。
彼の上院議員経験の少なさを懸念する声はある。しかし、へたに手練手管の政治術に長けた匠よりも、国民は若いチャレンジャーを推した。この選択が正しかったのかどうかが試されるのは、〇八年一月以降。オバマ氏の勝利はまた、初の黒人ファーストレディーをも生んだ。

無能なブッシュジュニアを大統領の座につけたことを国民は悔いている。ブッシュ政権時に同時多発テロへの報復として、国連の意向を無視し、アフガニスタン侵攻やイラク戦争をしかけたこと。そのため国際的非難を浴び、かつての大国の勢いを失っていることを、国民は嘆いている。その良心の国民が、このちびくろさんぼのような甘い風貌に鋭い知性を隠した黒人男性を選んだのだ。黒人といわれるがオバマ氏は正確にはケニア人を父に、白人女性を母に持つハーフである。さきの金融恐慌でアメリカ経済にも衰えが見えはじめ、GMなど大手企業が大量解雇をした。もはやウォール街が世界のマーケットの動向を握るというアメリカ流の資本主義は通用しなくなったといわれる。このような時期に、オバマ氏を米国の顔に迎えたことは、大いに意義深いことだろう。
それは老獪な政治家の巣くう永田町にも見習ってほしい事態ではある。日本国民としてオバマ氏に期待したいのは、アメリカの走狗としての服従関係にあった日米関係の改善であろう。たとえば沖縄などの米軍基地や日本の食農産業への圧力の撤廃。

四十五年前、リンカーンの座像の前でひとりの黒人牧師が偉大な演説をした。公民権運動を主導したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの歴史的名演説「I Have a Dream」は、偉大な奴隷解放の父の彫像を背後に、まるでその巨像に護られるようにして、二十五万人の聴衆を魅了した。リンカーン記念館の近隣には、パブリックアートの歴史を語る際にかならず引用されるベトナム戦争戦没者慰霊碑や、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、第二次世界大戦記念碑が控えている。リンカーン像の足もとには、つねに人種差別のない平和な世の中を求める人びとの願いが集まっていた。

最後にくり返そう。政治は顔でするものではない。ましてや、肌の色だけで国を動かすことはできない。
オバマ氏には立派なあご髭も、恰幅のいい黒人牧師のチョビ髭もない。けれど彼の肉の厚い口元には、Yes, We Canと唱えつづけることのできる活力がみなぎっているのである。新しい大統領が平和を希求し、非人道的な暴力に訴えない政治を望むならば、彼はリンカーンの椅子に限りなく近いのである。
パウエル国務長官は大統領候補と目されながらも、暗殺を恐れた家族に反対されて出馬をとりやめたとされる。リンカーンの椅子に近い新大統領が、国で孤立せず、安定した生活をおくれるよう祈るばかりだ。

【参照記事】
オバマ氏、圧勝 初の黒人大統領に<特集・米大統領選>(gooニュース、〇八年十一月五日)


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2 Comments

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Unknown (nana)
2008-11-09 20:48:01
私も米国民の判断は正しかったと思います。
ただ新大統領はかなりの負からのスタートになったことが気がかりですね。
わが国のように小泉何某の負からスタートした安倍・福田両氏は僅かな期間で投げ出してしまいました。
まさかオバマ氏はそんなことは無いと思いますがいずれにしても当初は難しい舵取りでしようね。
間違えることなく、正しい方向へと誘導して行って欲しいです。
返信する
時代が望んだ大統領 (万葉樹)
2008-11-10 17:19:19


ごきげんよう、nana様。コメントありがとうございます。

>私も米国民の判断は正しかったと思います。

民主党の指名候補争いでも、私はヒラリー派ではなくオバマ派だったのですが。ヒラリーは日本よりも中国寄りという噂を聞いたことがありましたし。それに日本では、古代より女性が政権を握ることは珍しくありませんでしたし、英国のサッチャー首相の例もありますしね。それに女性だから言うのではないのですが、やはりどこか感情で片づけてしまうような甘い部分が見えてくるのではないかと懸念されたからです。

>ただ新大統領はかなりの負からのスタートになったことが気がかりですね。

逆にこういう負の状況だからこそ、変革者として彼が選ばれたのでしょう。もしブッシュジュニアの執政が国際的に非人道と非難され、また無能な大統領という誹りをうけなければ、彼の所属する共和党の治世はずっと安泰で、何も変えようとしない上流階級の白人ばかりが政権を握っていたのかもしれない。しかし、アメリカは新しさをこのむ国です。当選すれば史上最高齢となるマケイン氏を推さなかったのは当然ですし、また大ブッシュが就任中に倒れたこともあって、やはり心身ともに健康な若い大統領を求めたのでしょう。
オリンピックでもそうですが、白人よりは黒人のほうが体力ありますし、国の力が弱まっている時に、熱弁をふるうオバマ氏の姿はひじょうにエネルギッシュに映ったのではないかと思われます。

>わが国のように小泉何某の負からスタートした安倍・福田両氏は僅かな期間で投げ出してしまいました。

こういうと批難されるかもしれないのですが、私、個人的にはこのふたり、そんなに嫌いじゃないです。言動を見てる限り、理想があっていい人のようにすら思える。あまり政治のニュースに触れないので知らないだけかもしれませんが。ただ性格がいいのと政治家として有能とはまったく違う。政治家はタレントとおなじで人気商売ですが、有権者におもねった国政をおこなった政治家はかならず後世から批難されるでしょう。いま歴史の教科書がどう記述しているかわかりませんが、絶大な人気にあやかって小泉首相が進めた改革の暗黒面がみえはじめています。
政治が悪いというのは、リーダーの責任でも政党が悪いわけでもなくそんな彼らを選んだ、もしくは他を選ばなかった有権者の責任でもありますし。数えるほどしか選挙に行ったことがないので、政治家をやみくもに批判する気にはなれないでいますが、オバマ氏のような若いリーダーが立候補すればぜひとも応援したいですね。ただしタレントまがいの知事は除いて(笑)

>間違えることなく、正しい方向へと誘導して行って欲しいです。

そうですね。日本との良好な関係のためにも。
二世議員が国の舵取りをするとロクなことにならないのは日米で共通したようですし(苦笑)
オバマ氏が就任後に残す偉業が、ただ黒人初の大統領という話題を撒いただけで終わらないように、今後の彼の活躍を祈るばかりです。むやみに黒人びいきになるわけでもなく白人にも配慮した選挙戦術をとった彼のことですから、期待していますけれども。

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