衆議院の解散が決まった。
安倍首相のいう「国難突破」解散に納得する国民は少ないと思う。
安倍首相の真意は知りようがない。
安倍首相が「国難突破解散」を検討しているとの報道に接したときに、浮かんできたのはこの6月に行われた英国のメイ首相による解散総選挙であった。
メイ首相は前年2016年6月のEU離脱の是非を問う国民投票の敗北を受けて辞任したキャメロン首相の後を引き継いだ。
当時の保守党は単独過半数(331/650)を占める第一党で安定していた。
しかるにメイ首相はEU離脱交渉を進めるにあたり、国民からの絶大なる支持を確認したいとして解散総選挙に打って出た。
当時の最大野党の労働党はコービン党首の指導力のなさのため低迷していた。
EU離脱の国民投票の結果は僅差であったし、まさかの離脱が決まったことで、賛成したものの後悔をしている人も多いようだった。
離脱についての国民の意見がほぼ拮抗しているようなときに、離脱交渉の支援を問ったとしても多数を得られるなどないと考えるべきだと思った。
離脱交渉の条件など相手があることだし、前代未聞の初めてのケースであり、手続きの規定もないに等しく、完全に不透明であり、誰も意見など言えない性質のものであり、選挙の争点になどなりようもないはずのものだ。
しかし、そういう名目で解散した。
実際の選挙では、名目上の争点はそっちのけ、高齢者の介護の縮小などの財政健全化を自ら争点にした。
結果は、保守党は第一党は維持したものの、過半数割れ、そして瀕死の状態だった労働党が一気に立ち直り、それまで影の薄かったコービン党首が俄然頼りになるリーダ―に変身した。
メイ首相が、党首、首相の地位にあるのは、強いからではなく、他にいない(一長一短で)からである。メイの場合女性だということが決定的と思っている。(もし男性だったら、誰か仕掛けてくると思う。)
よく似ているではないか。
安倍首相は「国難」突破といい、国難とは北朝鮮問題と少子高齢問題という。
北朝鮮問題は、あるいは国難というに相応しいかもしれない。しかしこれをいうなら「憲法改正」「軍事力」など国の根本的な体制・組織・あり方を問題とすべきである。
安倍首相が現在の北朝鮮問題を解決しているかのような報道があるが、私はそうは思わない。北朝鮮の狙いはアメリカであり、日本のことなど念頭にない。要は何もできないと高を括っているだけである。安倍首相は頭を下げてお願いしているだけである。
安全保障というようなことは、普段は実感がないことであるが、北朝鮮発のミサイルが現実に日本上空を飛び交う今こそ、国民も現実感をもって真剣に憲法改正を問う態勢にあり絶好の機会である。が、しかし安倍首相からはそのような意思表明はない。
少子高齢問題は「国難」といえるかどうか。私は疑問に思っている。
仮にそうだとしても、これは、純粋に国内的なことであり、また問題も予測できることである。ただ、具体的な解決策となると難しい。しかし、そのために解散をしなければならないような問題ではない。まー、気長にやっていくしかない。今解散して解決できるものではない。
「国難」ということ設定のしかた自体に、解決できない、解決する気はない、という意思が見え隠れしている。と私は思う。
となると、消費税を上げたい。増税分は自由に使いたいということが本音ではないか。
アベノミックスはうまくいっているというければ、私はそうは思わない。多くの国民もそういう実感はないと思う。
表向きとは別に、安倍首相もそう思っているのではないか。何をしたらいいのかについても思考停止状態と思う。
となると、頼りは税金である。増税するしかないというわけだ。
ストレートに増税では国民の納得を得られないので、「国難」などという、解決することが難しい、したがって責任を問われる心配のない事柄(する気もない)を解散の名目にでっちあげしているわけである。
マスコミの論者らは、問題が「国難」から「消費税」にすり替わりつつあるというが、誰が見てもそれが本音であることは見え見えだということであろう。
民進党は死んだも同然なので、この際一気にやれというわけで、解散総選挙を選んだというのが本音であろう。
しかし、人間(動物)は死に追い込まれた時ほど強いのである。
もともと政治家はその地位を守るためなら何でもする人種である。
日本の場合は、政党は政治をするためではなく、政治家になるための、あるいは政治家の地位にしがみつくためのツールになり果てている。つまり、いざ選挙となったとき政党が作られる(離合集散する)。都民ファーストのときに小池氏が「政党を作るなんて簡単」(何時間だったか何日だったか忘れたが、記憶としては2、3時間)あっという間に作れるとコメントしていたのが印象に残っている。党の要領を作成すればOKなのだから簡単。特に選挙間際には争点も明確になっているので簡単。しかも勝つために何をいうかのスタンスときまっているので、綱領の作成など作文であり、超簡単である。
(日本で、政党といえるのは、自民党、公明党、共産党である。)
これまで選挙の度に新党ができた。選挙では不満の受け皿としてそれなりの結果を出した。しかし、選挙に勝つ、もっと具体的にいえば政治家になりたいだけの人の俄仕立ての烏合の衆だから、理念もなにもないので、現実の政治を始めると仲間割れでうまくいかない。日本新党以来同じ繰り返しが続いている。
超簡単に作られた政党が長続きすることはないと思う。基本的部分は地道な普段からの政治活動に根差していなければ現実の政治を担える政党ではありないと思う。
さて「希望の党」は、小池知事がいずれは国政にとの憶測はあったとしても、安倍首相の思いがけない解散の仕掛けに大急ぎで作られた(民進党が参加して)ものである。どこまで旋風となるのかは、自民党の対応の仕方次第と思う。
発表された「希望の党」の綱領要旨からみると、自民党と何ら変わりがない。
民進党はもともとは社会党が基盤にあったと思う。そういうことで自民党亜流と社会党・社民党亜流のごった煮になっていた。
民進党が小池「希望の党」に合流することに抵抗感はなかったのであろう。
そうすると「自民党」対「希望の党」というよりは「安倍」対「小池」のパーソナリティの戦いとなるのだろうか。
安倍1強というけれど、私にはメイ英首相と同じで、実力は並みだけれど競争者がいないというだけと思う。強みというのは毛並みの良さだけである。これだけは誰もかなわないので、そういう意味では1強といえるかも。(老獪な手法を持つという評価もあるので、知る人ぞ知るかもしれませんが。)でも、本当は周りが「忖度」しているだけかもと疑ったりしている。なんたって「忖度」は安倍首相付近?の専売特許だから。
自民党は、風を読むことの上手い小池氏に戦々恐々とのこと、これでは最初から負けているのではないか。
新しい、俄か仕立ての党が力を持つと不安的な政治になってしまう。これまで何度も繰り返されたことである。
安倍首相によると解散してでも突破すべき二つの国難があるという。
ならば、安倍首相に老獪なところを発揮し、安定した政治を壊さないようにしてほしい(せめて現状維持を)と要望する。
小池知事の「希望の党」の結成、民進党の解党的合流など予測不可能だったなどという弁解は、「一寸先は闇」といわれる政治の世界の空気を生まれたときから吸って生きてきた首相には許されない。一旦、自らの責任で解散総選挙を決めた以上は、国民に対する責任を果たす義務がある。
消費税増税や使途の変更を認めてほしいなどという甘っちょろい考えはやめてほしいものだ。
メイ首相は、いざEUとの離脱交渉(いざ鎌倉)というときに、なぜ保証された過半数を危険に晒すような選択をしたのか。そして本来の目的はそっちのけで介護費用の削減などという高齢者にとって死活問題(野党が攻撃しやすい)を争点にしたのだろうか(野党にしてみれば待ってましたという状態)。
安倍首相の選択も同じ類のものである。
私は、両者の心理にとても関心がある。
人間は本当に困難な予測のつかない、しかしやるしかないことに直面した時に、圧倒されるのかもしれない、そして逃げるのかもしれない。でも本能的に「逃げる」ことは認めたくないし、圧倒されてただ茫然とする姿を国民に曝したくない、というわけで、自分にはやるべきことがある、それは国民の望まないことかもしれないが、そういう困難な選択をするのだと自らを納得させるのであろうか。そしてうまくいかなかったときに、やっぱり大変だった、でも自分は逃げずに挑戦したと自己満足するのだろいうか。だからこそ、完全に負ける可能性の少ないと思われる時(党として安定していると思われるとき)を本能的に選ぶのだろうか。
結局、人間は弱いものだという前提で、政治をみる必要があるということになる。
10月10日公示、22日投票という。
どういう思いなんだろうかという観点にスポットを当てて、特に攻める側の小池氏を中心にこの選挙戦を眺めてみようと思う。
勿論、全くの主観に基づくものだ。