喜寿から始まる

気づき・観察・発見・元気キレイ・自分らしく・生きる

心に移りゆく由なしごとを そこはかとなく書き付くれば 

2017年04月06日 | 日記

京都に行ってきた。
桜はまだ少々早かった。

去年の続きである。大学時代の友人に花見の会に声かけるからと
言われていた。紅葉のころであった。
絶対来ると約束したので、断るわけにはいかない。

最近は、肉体的な衰えを日々感じているので、
ひょっとして最後かもという気持ちもあった。

もともと人付き合いは良くない方であるので、
漫然とした集まりというのは苦手であったが、これも年のせいか
気にならなくなった。
料理は、京都の懐石料理でまずますだった。
桜もまずまずだった。
会話もまずまずだった。
京都の花街歩きもまずまずだった。
喫茶の抹茶アイスもまずまずだった。

新幹線の中では、座席につくや疲れてぐっすりと眠ってしまった。
最初の1時間だけ。
穏やかな幸せ感があった。

徒然草の有名な序の段の「つれづれなるままに」が浮かんできた。
吉田兼好は「日ぐらし硯に向かひて」いたのかもしれない。
私は日ぐらし「過去と現在と」を一緒くたにした時間を過ごしたようだ。
何と卒業後51年目の春だったのである。一人は
卒業以来だったので51年目ということになる。初めて会うような感じだった。

7周目に入った人生というのは、過去と同時に現在を、日本と同時に世界を
混然一体として生きていることかもしれないとふと感じた。

徒然草で言いたかったことは「心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく」
「書き付くれば」の大切さを示したものではないかと・・・

「あやしうこそ 物狂ほしけれ」はどのように理解すべきはわからないけれど、
日々の取り立てて言うほどのないことでも、継続していれば、
何か結果があるということではないかと。
徒然草が多くの人々に語り継がれているように、人々の心に残る何かが作り出される
のではないかと、ふと思いついた。 

 

       京都はどこを撮っても写真になる

 

       桜を見に行ったのであるが

      柳の新緑がまばゆかった。

 

       もちろん桜も良かったです。

     いかにも京都の雰囲気です。

   

       一力亭のあるお茶屋街で、

     ここだけ雰囲気が違っていた。
     よくみると「エルメス」の看板です。エルメスがお茶屋さん ?

     そうじゃなさそう。エルメスのお店だ!
     写真をとっているのは外国人が多かった。新しい発見だ。

これからの生き方にちょっとした光が見えてきた?


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