シリアの内戦は間もなく満7年になる。
解決しそうに見えることもあるが、泥沼のようだ。
アサド政権側が立ち直ったということだったが、7年間も継続する国で政権側で力を盛り返すことができるというイメージが分からなかった。
国土全体が戦火で荒廃したイメージだった。
デイリーメールの写真をみて分かった。
首都ダマスカスでも政権側の支配下とそうでない部分、こんなにも違うということだったのだ。
護る力のある場合は、IS、政権側、反政権側(米国中心)が入り乱れた戦闘でも、秩序を保つことができるということだ。
結局は、個人レベルでも同じだが、国レベルでも、自己を護ることができるのは自己(その国)だけということだ。
日本について思いを巡らせると、日米同盟だけに頼るとは間違いと思う。
最後は、自国を護る覚悟がどこまであるかだ。
いや、覚悟うんうんじゃなく、そこで生きている普通の市民は何があれ生き続けなければならない。生物である人間の本能だ。
国家なくして国民なしだし、国民なくして国家なしだ。
だとすると国家の基本的役割は、国民、国家を護ることである。
最後まで頼ることができるのは、自国だけのはず。
憲法改正が現実的な視野にあるが、腰の定まらない中途半端な態度に見える。
ダマスカスの写真は、戦争の厳しい現実を目に見える形で教えてくれているようだ。