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米連邦最高裁判事の指名承認公聴会、おもしろかったこと

2018年09月12日 | 日記

真面目で真剣な公聴会を面白いなどと不謹慎なことを言ってはいけない?

ニュースでちょっと見ただけだが、その後の報道をみても同じよう。
実はちっとも面白くなかった。全然盛り上がりに欠けていた。
そうでもない。会場ではときどき大声でヤジる女性たちがいて、守衛さんに
排除されていた。が、予想されていることで、粛々と?排除するだけであった。

民主党の議員さんはなんとかミスを誘おうとあの手この手であるが、
候補のカバノー判事(Judge)は、落とし穴の危険を感じると、
聞き直したり、ちょっと逸らせたりなどして、イエスかノーでと
しつこく迫る質問者の挑発には乗らない。
議員さんは、ここで得点をあげたいので執拗である。2020年の大統領選を
狙っているらしく必死である。

仮定の質問には答えられない(日本でも政治家はよく使う手である)とか、
事件として法廷に係る可能性があるので答えられないなど、如何に回答を避けるか
に集中しているように見える。
そして、どうでもいい感じのところ(誰も争わない)では、その分を補うかのように
滔々と法律的意見を述べる。
しかも何回でも一言一句同じ答えを繰り返す。

日本の国会でよく見る光景である。
国家の最高の裁判所の判事候補がこれでいいの?と感じないではない。

しかし、「言わない、だけどいうときには長々という。しかも何度も繰り返す。」
というのは、現最高裁長官はもとより、政党の違いを超えて、全候補者の実践する
プレーブックのようなものらしい。
(何度も同じことをいうのは、時間稼ぎ。追い詰めようとする側の気勢をそぐことになる)

裁判の実際に一番熟知している最高裁判事が異口同音に言い、かつ全員実践することだから間違いない。
だから、一見物足りないような公聴会というのは、候補者にとって大成功ということになる。

 

経験からいって、カッコ悪いように見えるかもしれないが、その通りである。
実務を知らない素人は、正々堂々と言いたいことを言えばいいなど威勢のいいことをいう。
しかし、粗探しをすべく待ち構えている相手のいるところで、付け入るスキになるような
ことを漏らすと、飛び掛かってくること間違いない。
そして、議論が始まると、相手が認めない限り、終わりにはならない。つまり終わらなくなる
というわけである。
だから、そういう事態は何としても避けなければならない。

そのためには、周到な準備と戦略が必須なのである。
物凄い時間を要するし、また優秀でなければできないことである。
始まる前に勝負はほぼついているのである。
本番では失敗をしないように、シナリオからはずれることのないように、慎重に
一歩一歩進めることである。
そういう意味では「見た目の華々しさはない」が、見えない奥の部分では神経を
尖らせているのである。真剣勝負である。
が、それを見せずに、リラックスしていることである。
こういう演技ができるためには、優秀でなければならない。

退屈に見える公聴会にすることができるのは優秀だからなのである。
矛盾しているように見える、そこがまた面白い。

 

最初の自己紹介のところで、両親のことを「マム」「ダディ」などというくだけた
言い方をする(アメリカってそうですよね)のは、こういう構造の象徴かもしれない。
それも面白いことである。

 

 


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