昔は、かなり最近までの昔であるが、言わなくてもわかると思っていた。
というより信じていた。
今は、いわなきゃわからないと信じている。
それだけじゃない。
言ってもわからないと信じている。
言ってもわからないのであれば、言っても意味ないのでは?
いや、言ってもわからなくても言う必要はあるし、言わなけれならない。
そう、考え方がちがっているということが分かるからである。
どちらの考え、意見が主流・多数決を占めるかは、時代・場所によることになる。
だから今はダメでもいう必要がある。
そればかりか、激しい言い合いがあるということは、ダイナミックに時代が変化
しているときと思う。
今の日本はマンネリで停滞してる。
トランプのアメリカは?とても騒々しいけれど?
どちらに向かっているのだろうか?
ブレナン元CIA長官の機密情報に対するアクセス権の剥奪を巡って、特に
アクセス権保有者が反対の大声をあげている。
退職後もアクセス権があるというのが、少々理解しがたい。
機密情報の保持者が増える一方では、機密の意味がなくなるようにも思う。
あるいは機密というのもその程度か?
あるいは、高級官僚の退職後の支援策か(日本の天下りのようなもの)?
退職後もアクセス権を保有する必要性はないように思う。
言い合うことで、あまり議論されることになかったマンネリを見直すいい機会
となったことは事実である。