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WTO敗訴は外交の敗北? 分析の必要あり

2019年04月17日 | 日記

WTOの敗訴については数日前に書いた。
自民党でも「外交の敗北」などと政府の責任を激しく追及意見が出たという。 ここ
広い意味では外交の敗北といえるかもしれないが、いわゆる外交という
言葉から連想する外交交渉のような活動ではない。
要するにWTOの法的手続きを選択し、その手続きで負けたということだ。
勿論、そういう手続きを選択したことについての評価はある。
別のニュースによると敗因の分析を求める意見が出たというが、
そのとおりだと思う。
以前にも書いたが、あってはならないミスだと思う。

地元議員からは「補償」についての言及があったという。
そうなると、当然、国民の税金から支出されることになる。

政府の失敗(容易に防ぐことが出来たと思われる)の付けを国民が払うことに
なるわけだ。

政治家は、不足すれば増税すればいい(消費税率の引き上げ)とか、高齢化で
年金財源が不足するので年金保険料の支払義務の年齢を引きあげればよいと
帳尻合わせをいとも簡単に決めてしまう。
自分の懐には何ら影響がないので、自覚が足りないのではと、
つくづく思うことがある。

・・・・・・

封建時代と大して変わっていないのでは思う。
なぜ、政治家は国民が汗水たらして働いた金を、自分の金のように使って
良くなったのだろうか。

人間は自分の意思とは関係なく生まれてくる。
人が集まれば規律が必要になる。
それを仕切る人が出てくる。
仕切る人は、自分の分も含めて、すべて、被支配者の負担で賄うのは当然と
思っている。
自分のやり方が間違っていようがどうが不足すれば、あれこれ理由をつけて
被支配者に負担させる。
余分・余裕があるときは、より良いサービスとかなんとか口実をつけて
吸い上げようとする。そして自分のすきなような使い方をする。
当然、自らもその恩恵に浴するわけである。
だから普通の人は生きているだけで精一杯。
仕切る人は、悠々自適で生きるのは当然。
仕切る人がエリートで間違いをしないかというとそうではない。
結構間違いをする。
間違っても、あれこれ理屈をつける。要は、被支配者が負担するしかない。

最近、民主主義って何だろうと疑問におもうことがしばしばである。

・・・・・・・

WTOのホームページから誰でも報告書をダウンロードできる。
しっかりと敗因を分析してもらって国民の負担増になるようなケアレスミスは
二度とないよう緊張感をもって政治・外交をしてほしいものだ。
首相・外務大臣の外遊先の国数の多さを誇っても何の意味もない。

 


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