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田舎Jの年輪ライフ

楽しみながら 気まゝに 思いつくまゝを・・・・“夢想皎月”こと「田舎J」です。 

1577 第3回豊丘村さくら祭り&村制施行60周年記念イベント開催

2015年04月12日 17時05分27秒 | Weblog

4月11日(日)第3回豊丘村さくら祭り&村制施行60周年記念イベントが 「さくらまつり」として豊丘中学校庭グランドに咲く樹齢80年の古木ソメイヨシノ7本は満開を少しピークアウトしていましたが それでも十分花見が楽しめました。桜の木の下で ブルーシトや簡易テーブルを設定し飲んだり食べたりしながら 輪になって楽しみました。なお校庭周辺には他にも20本以上の桜があり春の雰囲気を盛上げてくれています。

イベントは豊丘太鼓 よさこい 煙火花火打ち上げなどでしたが 生憎の寒さと風と曇り空で少々震えながらの鑑賞・団子賞味でした。実は私 寒さに耐え切れず19時30分まで1時間半滞在して引き上げましたので 肝心な催し物は見学できませんでした。

これは豊丘名物?獅子バスで主会場正面に置いて陣取っていましたが 日頃は村内の運行バスとして注目されています。こんなイベントのバックグランドにはうってつけですね。そんな寒い中での「さくらまつり」でしたが200名以上は参加したでしょうか?・・・楽しいさくらまつりでした。


1576 我が家の前の「百庚申様の枝垂れ桜」

2015年04月10日 10時35分56秒 | Weblog

我が家のすぐ近く(地続き)に豊丘の名木桜「百庚申様の枝垂れ桜」があり毎年楽しませてくれます。 3年ほど前は個人的にここに夜間はライトアップをして枝垂れ桜の幽玄の世界を楽しみましたが、すぐ近くの豊丘中学校のグランド校庭桜に夜間照明をあてて ダイナミックな演出をされるようになってから取り止めました。

この桜は私が生れてから今日まで 百庚申様と共に毎日のように接して来ましたから 静かに見守ってくれているようで何処の桜よりも近親的な親しみを感じます。だから庚申様の桜花を見る度昔の想い出と 潜在的に自分の年齢を意識します。

枝垂れ桜とコブシと百庚申様です。


1575 田村諏訪神社春季獅子祭り

2015年04月07日 16時05分24秒 | Weblog

去る4月4・5日 飯伊では各地何処も春季祭典であった。我が田村区諏訪神社も春季獅子祭が催されました。5日の本祭りは予報どおり生憎朝から小雨で田村獅子舞は田村区内のメイン通りを2時間以上 大きな獅子籠を担ぎながら移動しますが 小雨ですから大きなビニールの覆いをかけての舞で大変でした。それでも掛け声は元気一杯春季祭典を皆で祝いました。

今年はサクラの開花が例年より一週間以上早いと報じています。経験的にも田村祭り時はいつもようやく咲き始めの時期なのですが 今年は既に満開状態で驚きでした。

これは豊丘中学校のヨシノサクラで満開です。今週の11日(土)に第3回とよおかサクラ祭りと村制60周年記念行事を中学校グランドにて 昼と夜も飲食やイベントなど楽しむ企画で開放を予定されていますので何とか花が持って欲しいですが 生憎の春雨でどうなりますか気がかりです。

豊丘小学校のソメイヨシノサクラも満開で新学期のスタートを祝ってくれていました。


1574 高森町 萩山神社春季の獅子舞祭り

2015年03月30日 06時08分34秒 | Weblog

高森町下市田 萩山神社の春祭りは毎年、南信地方のトップを切って行われます。小学生が先導する3人の獅子曳き(梅王 松王 桜王)が登場し獅子舞を先導して楽しませてくれます。

伊那谷の獅子の源流とされる高森町町大島山の瑠璃寺に伝わる獅子舞は宇天王。 一方、萩山神社の獅子舞は、獅子曳き3人によって演じる神楽系の獅子舞として知られています。

獅子舞や笛太鼓のお囃子などは地元の保存会の皆さんによってその伝統が守られており 毎年飯伊のトップバッターとして見事に披露されます。これから4月中旬まで毎週各地神社で春祭りが開催され いよいよ春本番ですね。


1573  県内の桜開花情報

2015年03月28日 17時59分48秒 | Weblog

3月27日信毎で県内のサクラ開花情報が載っていました 昨年より3日ほど早いそうです。

喬木村で見かけたサンシュウと梅のコラボ ・・・・春謳歌

私の隣家の八重紅梅です やや遅れ気味に咲きますが 古木で毎年鑑賞してもお見事です 今年は未だウグイスの声を聞きませんが・・。

又その庭に咲く八重椿です 淡いピンクがとても綺麗で癒されます。いよいよ春本番ですね。

そういえば私3月12日・23日と2回あったアカシアマレットの月例会ですが 連続して1位は初めてでしたので書き留めておきます。


1572 豊丘村の彼岸サクラ開花

2015年03月24日 04時12分25秒 | Weblog

このところ最高気温が15度前後の春らしい温かい日が続き 豊丘村の白梅は満開ですし又 畑の雑草も元気に根を張りだし気になり始めたこの頃です。 そんな陽気を受けて菜園畑に肥料を施し耕して じゃが芋植えや春野采の種蒔き準備などが始まりました。 そん中今年も23日現在ですが早咲き彼岸サクラがほころび始めました。一昨日の天気予報で今年は東京方面のソメイヨシノの開花が昨年より三日ほど早いと報じていましたが そう大差は無さそうです。これで気温が上れば一気に咲き誇るでしょうね。


1571 想い出のサクラソウ

2015年03月23日 07時38分46秒 | Weblog

 この鉢植えのサクラソウ豪華でとても美しいでしょう。実は訳ありのサクラソウなんです。私の親しい大園芸主で飯田市鼎にお住まいの田原さんは50年間 ほとんど年中休みなく続けてきた花き園芸をご高齢になったので この春をもって幕を〆めるのだと仰られ それを記念して私にこの見事な大輪のサクラサウをお届けくださいました。とりわけ田原園芸さんの人気シクラメンはメイン花として全国各地への販路は安定しており 長年にわたり発送してきた伝統と歴史がありました。

本当にご苦労様でした。そんな田原園芸主さんを讃え 今後のご健康と一層のご活躍をご祈念申しあげます。。


1570 飯田市 時又初午はだか祭り

2015年03月09日 07時40分29秒 | Weblog

8日 飯伊の祭りの幕開けと言うより 春一番の祭り時又の初午はだか祭りが開催された。(祭りと見物人と飯田線)薄曇りで春未だ冷たい南風が天竜川辺を吹きぬける日であったが 元気にさらしを巻いた年男達が気合宜しく 冷たい天竜川流れの中へ「オンスイ! 御水!」気合をかけ 次々と入水し水飛沫を飛ばしていた。

五穀豊穣 家内安全を祈願し 鎌倉時代から地域に定着している伝統行事である。九基のそれぞれの御輿は長石寺から町内を練り歩いた後 締めくくりとして冷たい天竜川で禊の行事を行い 天竜川内を練り歩き祭りは最高潮に達するのである。

見学している我々の方が身震いするほどの迫力であった。

飯伊の春祭り催しでは まさに春一番スタート 今週末から各地で春季の獅子舞祭りが始まります。

 


1569 3月3日 桃の節句時の風景

2015年03月03日 07時11分30秒 | Weblog

3月3日は桃の節句です 周辺の雪はすっかり溶け 自然は春の息吹を感じさせてくれます。

紅梅が春を色と香りで招いてくれる・・・。

イヌノフグリも陽だまりの足元で春の挨拶

天竜川明神橋 3日前の深雪で覆われた中央アルプス

風越山もかなり雪が溶けています。

天竜川岸辺も心なし春の気配が・・・

左仙丈ヶ岳と右は端は塩見岳・・・南アルプスに新雪はあるが周囲の空気は春の香りを運んでくれている・・。

春はあけぼの・・・・。


1568 「望郷の鐘」を豊丘村で再上映

2015年03月01日 15時02分41秒 | Weblog

満蒙開拓団の真実として「中国残留記孤児の父」と言われた阿智村長岳寺ご住職山本慈昭氏は 1945年(昭和20年)阿智村から満蒙開拓団の子供達の教師役として指名され ご家族である妻と子供2人を伴い開拓団と一緒に送り込まれた。そうした実体験のもとに満蒙開拓団の真実として残酷だった開拓団の現地実態を山本慈昭氏の生き様(生涯)を通して「和田 登」氏が描いたものが映画化されたものです。帰国後の生涯を残留孤児の肉親探しにささげた献身的な愛は身震いするほどの大感動です。国策とは言え昭和20年5月なぜ敗戦まじかだというのに信州の開拓団はなぜ満州に行ったのか?・・・・。偽りの開拓国策を見抜けず乗せられた国民にはなんの罪も無いのに・・・。

ストーリーは映画を見て欲しいです。 映画にはありませんが旧河野村(豊丘村)からも95名の開拓者が送り込まれた。当時の河野村長「胡桃沢 盛」氏は国の要請に従い 又村の財政事情もあって満州へ開拓者を送る役割を熱意を持って薦めたが その後ほとんどが集団自決した真実を知り自責に駆られ敗戦翌年に自ら命を絶ったなど身近な悲劇も存在しています。さらに現在開拓者達のご親族さんが村内に少なからずおられますから極めて身近な物語なのであります。

去る2月21日「望郷の鐘」が豊丘村「ゆめあるて」で上映され大反響でした。入場できなかった方も多数おれれた様で 来る3月29日「ゆめあるて」にて再上映されますので ご希望者は豊丘公民館まで出向き入場券を得てください。入場料は無料です。


1567 豊丘村虻川沿いの沿線では・・・

2015年02月22日 15時25分23秒 | Weblog

昨日は晴天に誘われ 久し振りに豊丘村虻川沿山間村道を車で散策してきた。

 

小日向ダムの氷は半分溶けて 早釣り人が竿をたれていた 餌はイクラでしたからアマゴ吊りであろうか?。未だ収穫はなかったから来たばかりのようであった。釣り人も春を待ちかねているようで 天竜川沿線河川もすでに解禁になって居ると報じていました。

野田の平地籍に至る海抜800メートルの沿線道路北側壁には 浸み出た清水が凍ってこうした氷柱が見られます。やはり相当厳しい寒さになっているようです。氷柱をつたわり滴り落ちる冷水リズム音が冷えた空気の中で心地よく聞こえました。

さらに道路を横切る谷間もヒンヤリ寒い・・・上流には5メートルほどの氷柱滝が見られました。これも厳寒期のみの芸術です。

坂島トンネルを抜ける辺りから20センチ以上の圧雪道になり狭い道路の運転も慎重になる 。そこから唯一眺められる虻川の雪景色です。

実は坂島トンネルから300mほど進んだ道路右手に 昨日の鑑賞目的で厳寒期のみ発生する高さ20メートルほどの「幻の氷柱滝」があり到達。道路から近くですが雪が深くて危険なので登るのを断念。もう少し雪融けしたら再度行ってみます。温かい春は未だ先ですね。


1566 老大29期 新年初2月例会マレット

2015年02月20日 07時06分58秒 | Weblog

老大29期2月例会マレットですが 1月は中止したので今年になって初例会でした。2月16日豊丘のアカシアマレット場に集合し 親しいマレット仲間と顔を合わせ「本年も宜しくお願いいたします」・・・との新年の挨拶言葉に一瞬 エッ!と驚き 気がつき 「アアそうだったね」と笑顔で納得し大笑い。いつものメンバーでしたが常連者2名の元気顔が見えない健康が気がかりだった。一番ご高齢で85歳の人気者代田さんが6ヶ月ぶりにお元気にて参加され励みになりました。

すぐにいつもの雰囲気になり15名は和気藹々 冬の晴天下で例会を楽しんだ。ここでも熟女の皆さんは熟男より3倍くらい元気がいい 彼女達は終わった後の茶話会でも加齢なんぞ関係無さそうで羨ましいお喋りスズメさんでした。結果私が優勝 それは地元アカシア役員で新年から毎日グランド管理していますから・・・・新年のご褒美でした。


1565 ポリアンサス(サクラ草)春来た

2015年02月15日 17時28分33秒 | Weblog

飯田市鼎にこの道50年の「田原園芸」があり 花き栽培のプロフェッショナルで 主にシクラメン栽培では2万鉢を育て全国に毎年発送しており、鼎町を中心にその名を知らぬ人はいないと思われます。今は冬の花のポリアンサス(さくらそう)を大量にこれ又全国に出荷の最中のようでした。

本日所用ついでに迂回し田原園芸ハウスを訪問したら アポなしでしたので生憎園主慶一さんは不在でしたが 今が盛りと咲き誇っている園芸ハウスのポリアンサスを鑑賞させていただきました。私は始めてで広いハウス内一杯に咲き誇るその美しさと見事さに驚きました。春が一気に到来なんてもんじゃなくて 色とりどりの花花花の乱舞・・・まさに天国(知らないが)模様 程よい甘い香りが漂い心地よい目眩がしました。

この季節に赤、白、ピンク、オレンジ、黄色、紫、などトロピカル的色彩のお花に出会うと 一気に幸せな気分になります。今日はそんな幸せを頂きました。田原さんありがとうございました。


1564 高森町出砂原の未満水による巨岩(大石)物語

2015年02月11日 09時49分15秒 | Weblog

今から300年ほど前の江戸時代 正徳5年(1715年)伊那始まって以来の大洪水(未満水)があり高森町大島川の上流から大量の土砂が天竜川まで流れ込み それは天竜川を堰き止めるほどの量であったらしい。この鉄砲水(山津波・土石流)は大岩石や根こそぎ大木と一緒に「熊・猪・鹿」や牛馬とともに大勢の住民も押し流され土砂に埋まり亡くなったとあります。その時大島山の不動滝奥から流された巨石(5メートル四方くらいある)が写真の大石です。別名「夜泣き石」と言われた逸話があり二体のお地蔵様を供養してお祀りしてあります。 

 

 出砂原の「六地蔵様」は明照寺前にありますが これやら「三界満霊碑」・「馬頭観音の塔」などは未満水で上流からの土砂の下敷きなった亡霊供養のためにお祀りされたものだそうです。ただ今の六地蔵様は天保12年7月に再建されたもののようです。更に前記の巨石は大正12年に六地蔵様前にあったものを 現在の位置に移転したそうです。そうそう現在の未満水の巨石位置は市田駅前で以前の榊原商店(現北原商店=塾)の裏庭にあり横の小路を10メートルほど奥へ入ったところにあります。

巨石は今の出砂原子守り地蔵さまの奥土手下にあります。それからこうした昔の物語や出砂原の未満水以後の出砂原の歴史、変遷については興味深い地元誌「出砂原のあゆみ」(出砂原自治会出版)をご覧ください。驚くほどの変貌物語が満載されています。例えば出砂原は江戸時代の300年前には人家がなく松ノ木と原っぱだった。その後元天竜社地籍の以前の土地は1万人も入る野球場で明治・法政大学戦があった。 それが競馬場になり昭和11年、 600人の女工を抱える天竜社になった 明神橋ですが昭和7に鉄橋になる前はつり橋だった。 大正12年に市田駅が出来た。 昭和2年に昭和劇場が出来た。 大正14年川施餓鬼市田灯篭流しが始まった・・・等々。それと伊那谷は昭和36年の集中豪雨大災害は忘れられませんが、未満水規模の水災害は歴史的に見てもいつかは起こりうる事を心していなければならないと思います。それにしても過去100年くらいは日進月歩の発展ピッチは凄かったですね。


1563 福寿草が春を招く・・・

2015年02月05日 15時24分42秒 | Weblog

豊丘村神稲林地籍 森田さん宅の福寿草。 毎年ご紹介していますが春一番の見事な咲きっぷりで、 今年も暖かな南傾斜面には3000株が周囲をパアット明るい黄色に染め上げ満開でした。

今朝方降った雪は瞬く間に消え 元気な福寿草群が一足早い春を招いていました。

ここは知る人ぞ知る・・・・福寿草のお花畑でして早くからカメラマン達が春一番を撮りに来られます。

そういえばこの付近に野生タヌキが1匹住み着いており 森田さんが餌用に置く畑リンゴを餌にしていましたが 今日は姿を見かけなかった。その後も元気にしているだろうか・・・・・。

この中に可愛いフキノトウが二つ顔を出していますが 解りますか?。毎年この場所のみに決まって出ます。