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チャレンジする私のために

自分の人生...
夢で終わらせるか、チャレンジしてみるか...
ピアノを再開してピアニストになるまでの軌跡

最後のレッスン

2005-05-16 | 音楽
私が9歳になる頃---先生一家が転勤のため遠くへ引っ越す事になり、その為、新しい先生の下でレッスンを続ける事になりました---

新しい先生は噂通り厳しい先生でした

叱られないように一生懸命練習する...練習量がどんどん増えてゆく...
どんどん上達してゆくのが嬉しくて楽しくて...私自身は全然へっちゃらでした
へっちゃらでなくなったのは親の方でした
長時間練習音にさらされるストレス、長時間の練習音に対するご近所への配慮、それに私の将来に対する不安や心配...etc.

そんな気持ちが、次第に親の口調や態度に変化をもたらしてゆきました
私は「頑張れ」ではなく、「あまり頑張るな」と言われる環境の中、いつしか親の顔色を伺いながらピアノを弾くようになっていったのでした

そのうち、小5で右手に致命的なケガを負った事で少しずつ先生の熱も冷め始めたように感じるようになると(被害妄想?!)、「頑張って長く続けていっても意味が無いのかも...」と思ったりするようになりました
中学で部活が始まり、練習時間の確保が難しくなっていくと、いよいよ「レッスンをやめる日が近づいている」と感じ始めました

当時、通っていた中学校では部活動は必修で、「体が弱く、体力的に無理」などの特別な理由が認められない限りは、全員が何かの部活に所属していました
私は小学校を卒業する前から、中学での部活動に憧れを抱き、その念願通り部活動に励んでゆく事になるのですが、その活動内容はとてもピアノと両立できるようなものではありませんでした
家では「朝練もダメ、夜練もダメ」。それならばと音楽の先生に昼休みに音楽室の鍵を開けて欲しいと相談した事もあったのですが、許可はおりず...

明らかに練習量が足りない中、こわごわ受けるレッスンでは叱られる事も多くなり、時に5分でレッスンを強制終了される事もありました
(どうすればいいんだろう...)
先生に「用意しておきなさい」と言われていた真新しいショパンの教本に手にしながら、私はひとりで葛藤を繰り返し、やがてある決心をしました
「この本の中の曲が1曲仕上がったら、その時レッスンをやめよう」と...


母にその意思を伝えた時、母は母で複雑だったのでしょう...
いよいよやめる直前になって、「無理してるんでしょ?本当にやめてしまって良いの?」と聞いてくれました
その時、私は母が「本当はやめたくない」という気持ちを分かってくれているだけで充分だと思ったのでした

「やめるなら、憧れのショパンの曲を1曲弾いてから」
その思いが達成された時、私はその満足感を支えにピアノと距離を置く事になりました

中学1年の夏の事でした...