作品の解説は別に書きます。 =こちら=です。
作品内の有名な「厄払い」のセリフの解説と全訳です。
主人公のひとり、美貌の女装青年のドロボウ、その名も「お嬢吉三(おじょうきちさ)」が、夜鷹(よたか、当時の路上晩春婦です)を殺して百両奪ったあと、
ゆったりと唄いあげる名文句です。
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
つきもおぼろに しらうおの かがりもかすむ はるのそら
冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと
つめてえかぜに ほろよいの こころもちよく うかうかと
浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
うかれがらすの ただいちわ ねぐらへかえる かわばたで
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両
さおのしずくか ぬれてであわ おもいがけなく てにいるひゃくりょう
(呼び声)おん厄払いましょう、厄おとし
おんやく はらいましょう やくおとし
ほんに今夜は節分か
ほんに こんやは せつぶんか
西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし
にしのうみより かわのなか おちたよたかは やくおとし
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み
まめだくさんに いちもんの ぜにとちがって かねづつみ
こいつは春から 縁起がいいわえ
こいつははるから えんぎがいいわえ
「厄ばらい」 と呼ばれる五、七調のセリフの代表です。
最後が「こいつは春から縁起がいいわえ」 というので有名な、あれです。
これは、江戸、佃島の成り立ちや、江戸の節分の風習だのを語らないと意味ががわかりにくいのです。
東京湾の埋め立て地である佃島にいた漁師たちは、将軍の命令で大阪の佃村から移住してきた漁業のエキスパートたちです。
江戸は好漁場だったのですが漁師があまりいなかったのです。
そして漁師たちは埋め立てた佃島をまるまるもらったかわりに、将軍に献上するお魚を捕ったのです。
冬にやってたのが白魚(しらうお)漁です 。
江戸湾の沖に夜、舟を浮かべて篝火を焚いて白魚を集めて捕りました。
これは江戸下町の冬の風物詩で、
真冬のこおるようにすみきった空気のむこうに海の上、ゆらゆらと冷たく美しく燃えるのが、「白魚の篝火」 だったのです。
広重も絵に描いています。
さて、このお芝居の舞台は、冬じゃなく春です。
旧暦のお正月(今の2月はじめ)がちょっと過ぎて、節分の夜です。
ところで、江戸時代、上方ではふつうに立春の前日に節分をやったのですが、
江戸の街では年末年始にかけて「節分」を3回やりました。
江戸時代なので暦は「太陰暦」ですが、「立春」「や「春分」は今と同じ、太陽暦での日付です。
旧暦(太陰暦)と太陽暦を並べると、毎年日付がずれていきます。
旧暦の暦をメインに生活していると、立春は毎年日がずれるのでわかりにくいのです。
なので、実際の節分には関係なく、旧暦の12月30日と、明けて1月の6日と14日を「節分」だと決めたのです。
お芝居のこの場面は正月14日の節分の夜です。舞台にも満月に近い十四日の月が出ています。
場所は大川(今の隅田川)端です。
旧暦の睦月の14日というと、だいたい今の2月下旬です(年によって3月上旬にずれこむ)。
まだ寒いけど日照時間は延びていますから、海や川はあたたまって水蒸気が発生します。
海には霞が立つし空の月はおぼろ。
真冬には冷たく光る白魚の篝火も今夜はかすんで見えますよ。
それを見て春だなあ、って実感するような、そういう気候です。
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
冬から春への季節感のビミョウなうつりかわりを、出だしのこのセリフは見事に表現しているのです。
というわけで「キレイで調子はいいけど、文章としてはてきとー」と思われがちなこのセリフなのですが、
江戸の町の節分行事についての知識が多少あると、全てに意味が通った文章なことがわかります。
では全文の解説です。
といいつつ、江戸の節分の説明をもうちょっとやります。
今みたいに「鬼は~外」と派手にやったのは遊郭とか、一部の場所だけだったらしいです。
関係ないですが、紀伊国屋門左衛門その他当時のお金持ちが「豆の代わりに小判を撒いた」というのはウソです。
撒いたのは「小粒金」です。豆にそっくりなカタチと大きさの金の粒です。
これは両替商でも重さを量ってから他の貨幣に両替するもので、正式には「貨幣」ではありません。
むしろただの金塊です。
「金で作った豆」と言っても通るのです。
小判を撒いたらただの成金ですが、「金でできた豆」ならギリギリしゃれになります。
さて、市中の節分風俗なのですが、
年の数の豆と一緒に一銭、または十二銭を(一銭は10円くらい)、紙や古い褌(フンドシ)に包んで、家の外に捨てました。
それだけだったようです。ジミです。
で、これを拾い歩いたのがアウトドアライフのかたがたです。
一年のまだ寒い時期に3回もやったことからしても、季節のイベントというか、喜捨のような意味合いが強かったのではないかと思います。
そのかたがたが歩きまわりながら「おん厄払いましょう」といいつつ、「厄払い」の文章をいいました。
「厄払いの文章」というのは、「月も朧に…」のこのセリフがお芝居の世界では代表的なわけですが、
実際には七五調のひとくさりの文章であればなんでもよく、特に内容は決まっておらず、
なにかおめでたいコトを上手く語呂を合わせて言えばよかったのです。
最後は必ず、
(厄を)「西の海にさらり」または「西の海ではないけれど、○○(水のある地名)にさらり」
という文句でしめくくりました。なので「厄払い」なのです。
「西の海」というのは九州の海のことですが、
この場合、〝地の果て=ここに流しちゃえば自分には関係ない場所〟、みたいなニュアンスです。
縁起ものなので、てきとうです。
この「厄払い」の声がしたら表にアウトドアのヒトがいるわけですから、
みんなその声が聞こえたら豆と一文銭を外に投げたのです。
という当時の生活習慣をふまえると、このセリフはとても首尾一貫した文章なのがわかります。
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
>月もおぼろに見えて、江戸湾でやっている白魚漁のための篝火もかすんで見える、すっかり春っぽく霞がかかった今夜の空
冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと
>(真冬ほどではない、程よく)冷たい風が、ほろ酔いの火照った体が気持ちいい。そんな風に当たりながら気持ちよくうかうかと、
浮かれ烏(がらす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
「浮かれ烏」に後出の「夜鷹」に対して男色の売春の意味合いがあるか一応調べましたが、ないようです。ちぇ。
浮かれ烏は月夜を昼間と勘違いして飛び歩くカラス。ここでは月夜に遊び歩くお嬢吉三自身を指します。
>(うかうかと)飲み歩いて、ひとりでねぐらにしている場所に帰る、そのときに通る大川(隅田川)端で、
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両
和歌の「縁語」と「序詞」の世界です。上の行の「川端」の縁語で「竿」を引き出し、「竿の雫か 濡れ」までが序詞です。これで「濡れ手で粟」を引き出します。
>川端の舟の竿の雫で濡れたのではないが、濡れ手に粟のことわざのように、思いがけなくやすやすと手に入るこの百両。
この百両は、お嬢吉三が夜鷹の娘を川に突き落として奪ったものです。
(呼び声)おん厄払いましょう、厄おとし
節分の夜だから「厄落とし」の呼び声がするのです。
ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 >
ほんとうに、今夜は節分だったのか。
「厄払い」の文句で「西の海(に)」とよく言うけれど、今回はそれより(てっとりばやくていいぞ、)川の中(に)。
落ちた夜鷹は厄落とし
「夜鷹」はこの時代の路上売春婦です。
お嬢吉三が夜鷹を斬って川に落としたのですが、水のあるところに落としたから「厄落とし」なわけです。
>(川に)落ちた夜鷹は、水に落ちたのだから自分にとっては厄落としだ。
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み
節分の夜、道に落ちてる包みは豆がたくさん入ってて、一文銭はちょびっとなわけですが、お嬢が手に入れたのはそれとは違って本物の金包み、そりゃ嬉しいです。
>節分の夜拾える、豆ばかりの中に一文の銭が入っている包みと違って、百両の金包みを手に入れてしまった。
しかも夜鷹がこんな大金持ってるとは思わないからお嬢的にはものすごく利益率の高い「仕事」だったわけです。なので
こいつは春から 縁起がいいわえ
>これはまあ、新春早々縁起がいいことだなあ
と、
こんなかんじの意味になります。
=本編解説=に戻る
=50音索引に戻る=
作品内の有名な「厄払い」のセリフの解説と全訳です。
主人公のひとり、美貌の女装青年のドロボウ、その名も「お嬢吉三(おじょうきちさ)」が、夜鷹(よたか、当時の路上晩春婦です)を殺して百両奪ったあと、
ゆったりと唄いあげる名文句です。
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
つきもおぼろに しらうおの かがりもかすむ はるのそら
冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと
つめてえかぜに ほろよいの こころもちよく うかうかと
浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
うかれがらすの ただいちわ ねぐらへかえる かわばたで
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両
さおのしずくか ぬれてであわ おもいがけなく てにいるひゃくりょう
(呼び声)おん厄払いましょう、厄おとし
おんやく はらいましょう やくおとし
ほんに今夜は節分か
ほんに こんやは せつぶんか
西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし
にしのうみより かわのなか おちたよたかは やくおとし
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み
まめだくさんに いちもんの ぜにとちがって かねづつみ
こいつは春から 縁起がいいわえ
こいつははるから えんぎがいいわえ
「厄ばらい」 と呼ばれる五、七調のセリフの代表です。
最後が「こいつは春から縁起がいいわえ」 というので有名な、あれです。
これは、江戸、佃島の成り立ちや、江戸の節分の風習だのを語らないと意味ががわかりにくいのです。
東京湾の埋め立て地である佃島にいた漁師たちは、将軍の命令で大阪の佃村から移住してきた漁業のエキスパートたちです。
江戸は好漁場だったのですが漁師があまりいなかったのです。
そして漁師たちは埋め立てた佃島をまるまるもらったかわりに、将軍に献上するお魚を捕ったのです。
冬にやってたのが白魚(しらうお)漁です 。
江戸湾の沖に夜、舟を浮かべて篝火を焚いて白魚を集めて捕りました。
これは江戸下町の冬の風物詩で、
真冬のこおるようにすみきった空気のむこうに海の上、ゆらゆらと冷たく美しく燃えるのが、「白魚の篝火」 だったのです。
広重も絵に描いています。
さて、このお芝居の舞台は、冬じゃなく春です。
旧暦のお正月(今の2月はじめ)がちょっと過ぎて、節分の夜です。
ところで、江戸時代、上方ではふつうに立春の前日に節分をやったのですが、
江戸の街では年末年始にかけて「節分」を3回やりました。
江戸時代なので暦は「太陰暦」ですが、「立春」「や「春分」は今と同じ、太陽暦での日付です。
旧暦(太陰暦)と太陽暦を並べると、毎年日付がずれていきます。
旧暦の暦をメインに生活していると、立春は毎年日がずれるのでわかりにくいのです。
なので、実際の節分には関係なく、旧暦の12月30日と、明けて1月の6日と14日を「節分」だと決めたのです。
お芝居のこの場面は正月14日の節分の夜です。舞台にも満月に近い十四日の月が出ています。
場所は大川(今の隅田川)端です。
旧暦の睦月の14日というと、だいたい今の2月下旬です(年によって3月上旬にずれこむ)。
まだ寒いけど日照時間は延びていますから、海や川はあたたまって水蒸気が発生します。
海には霞が立つし空の月はおぼろ。
真冬には冷たく光る白魚の篝火も今夜はかすんで見えますよ。
それを見て春だなあ、って実感するような、そういう気候です。
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
冬から春への季節感のビミョウなうつりかわりを、出だしのこのセリフは見事に表現しているのです。
というわけで「キレイで調子はいいけど、文章としてはてきとー」と思われがちなこのセリフなのですが、
江戸の町の節分行事についての知識が多少あると、全てに意味が通った文章なことがわかります。
では全文の解説です。
といいつつ、江戸の節分の説明をもうちょっとやります。
今みたいに「鬼は~外」と派手にやったのは遊郭とか、一部の場所だけだったらしいです。
関係ないですが、紀伊国屋門左衛門その他当時のお金持ちが「豆の代わりに小判を撒いた」というのはウソです。
撒いたのは「小粒金」です。豆にそっくりなカタチと大きさの金の粒です。
これは両替商でも重さを量ってから他の貨幣に両替するもので、正式には「貨幣」ではありません。
むしろただの金塊です。
「金で作った豆」と言っても通るのです。
小判を撒いたらただの成金ですが、「金でできた豆」ならギリギリしゃれになります。
さて、市中の節分風俗なのですが、
年の数の豆と一緒に一銭、または十二銭を(一銭は10円くらい)、紙や古い褌(フンドシ)に包んで、家の外に捨てました。
それだけだったようです。ジミです。
で、これを拾い歩いたのがアウトドアライフのかたがたです。
一年のまだ寒い時期に3回もやったことからしても、季節のイベントというか、喜捨のような意味合いが強かったのではないかと思います。
そのかたがたが歩きまわりながら「おん厄払いましょう」といいつつ、「厄払い」の文章をいいました。
「厄払いの文章」というのは、「月も朧に…」のこのセリフがお芝居の世界では代表的なわけですが、
実際には七五調のひとくさりの文章であればなんでもよく、特に内容は決まっておらず、
なにかおめでたいコトを上手く語呂を合わせて言えばよかったのです。
最後は必ず、
(厄を)「西の海にさらり」または「西の海ではないけれど、○○(水のある地名)にさらり」
という文句でしめくくりました。なので「厄払い」なのです。
「西の海」というのは九州の海のことですが、
この場合、〝地の果て=ここに流しちゃえば自分には関係ない場所〟、みたいなニュアンスです。
縁起ものなので、てきとうです。
この「厄払い」の声がしたら表にアウトドアのヒトがいるわけですから、
みんなその声が聞こえたら豆と一文銭を外に投げたのです。
という当時の生活習慣をふまえると、このセリフはとても首尾一貫した文章なのがわかります。
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
>月もおぼろに見えて、江戸湾でやっている白魚漁のための篝火もかすんで見える、すっかり春っぽく霞がかかった今夜の空
冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと
>(真冬ほどではない、程よく)冷たい風が、ほろ酔いの火照った体が気持ちいい。そんな風に当たりながら気持ちよくうかうかと、
浮かれ烏(がらす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
「浮かれ烏」に後出の「夜鷹」に対して男色の売春の意味合いがあるか一応調べましたが、ないようです。ちぇ。
浮かれ烏は月夜を昼間と勘違いして飛び歩くカラス。ここでは月夜に遊び歩くお嬢吉三自身を指します。
>(うかうかと)飲み歩いて、ひとりでねぐらにしている場所に帰る、そのときに通る大川(隅田川)端で、
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両
和歌の「縁語」と「序詞」の世界です。上の行の「川端」の縁語で「竿」を引き出し、「竿の雫か 濡れ」までが序詞です。これで「濡れ手で粟」を引き出します。
>川端の舟の竿の雫で濡れたのではないが、濡れ手に粟のことわざのように、思いがけなくやすやすと手に入るこの百両。
この百両は、お嬢吉三が夜鷹の娘を川に突き落として奪ったものです。
(呼び声)おん厄払いましょう、厄おとし
節分の夜だから「厄落とし」の呼び声がするのです。
ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 >
ほんとうに、今夜は節分だったのか。
「厄払い」の文句で「西の海(に)」とよく言うけれど、今回はそれより(てっとりばやくていいぞ、)川の中(に)。
落ちた夜鷹は厄落とし
「夜鷹」はこの時代の路上売春婦です。
お嬢吉三が夜鷹を斬って川に落としたのですが、水のあるところに落としたから「厄落とし」なわけです。
>(川に)落ちた夜鷹は、水に落ちたのだから自分にとっては厄落としだ。
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み
節分の夜、道に落ちてる包みは豆がたくさん入ってて、一文銭はちょびっとなわけですが、お嬢が手に入れたのはそれとは違って本物の金包み、そりゃ嬉しいです。
>節分の夜拾える、豆ばかりの中に一文の銭が入っている包みと違って、百両の金包みを手に入れてしまった。
しかも夜鷹がこんな大金持ってるとは思わないからお嬢的にはものすごく利益率の高い「仕事」だったわけです。なので
こいつは春から 縁起がいいわえ
>これはまあ、新春早々縁起がいいことだなあ
と、
こんなかんじの意味になります。
=本編解説=に戻る
=50音索引に戻る=
いつもこちらに大変お世話になってます。
今月の新橋演舞場に三人吉三がかかってますが、
お嬢吉三の菊之助さんがこのセリフを言うとこは、とってもかっこよくて、そして聞き取りやすいステキなお声なので、
すっごくその意味が知りたくなり、またそれを自分もおんなじように暗誦したくなってしまいます。
こちらのページをじっくり読んでいきました。
これが分かりやすくて頭に入りやすくて、こちらのおかげで解けた問題がかなりありました!
もう、感謝感激です!!
これからも親切で優しい解説、よろしくお願いします!
ってか、出版してほしいくらいです(笑)
本日たまたま、このブログを訪問しました。
大変丁寧に作っておられ楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。
今年の正月に、テレビ観劇いたしました。
話がなかなか複雑です。
登場人物の人間関係がややこしい。
ところで、関西落語の重鎮、桂米朝のネタで、厄払いという落語があります。
一度お聞きになられることをお勧めします。
7、5、3の台詞はすっかり覚えました。
楽しい歌舞伎ですね。
お聞きしたいことは数々あれど、けっこう長く不思議に思っていることから。
歌舞伎の内容とは直接関係ないことですが、
仁左衛門さんとか吉右衛門さんの名前の読み方なんです。
「左衛門」の左は読むのに、なぜ「右衛門」は「うえもん」と読まないのか、、、
よろしくお願いいたします。
「右衛門」ですが、
辞書で「えもん」をひくと、「衛門」と「右衛門」が両方出てきてしまうように、
これはもう完全に、音便として「う」と「え」が一体化しているのだと思います。
もともと、「右衛門」「左衛門」は、ご存知のように平安期のお役所お名前です。
「衛」の読みは、ひらがなだと「わ行」の「ゑ」になり、
「ぅえ」のような音です。
平安期は「あ行」と「わ行」の各音の発音の区別が今よりも明確でした。
「うえもん」の発音は、必然的に「ぅえもん」と同じになってしまったのだと思います。