元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.779  「吉林省・延吉の旅 = 寝台列車」(その1)のお話。

2012年06月24日 | 日記

「吉林省・延吉の旅 =  寝台列車」(その1)のお話。     中国・吉林省と北朝鮮の国境に位置している≪長白山の「天池」≫を訪ねる目的で、私たちはハルビン駅を夜7時37分発の寝台列車に乗り込んだ。切符には「加1号車」と印字されていたので、1号車の隣りの客車と思っていたら、そこに連結されていたのは、 「加1号車」の寝台車ではなく、「2号車」で普通の客車であった。ホームを歩き、 「加1号車」を探すが見つからない。5~6号車歩いた所いた駅員に尋ねたら、駅員が立っていたその客車が、私たちの乗る寝台車であった。

今回の「旅」の参加者は、黒龍江大学日本語教師の大島先生と、当大学最年長留学生、74歳の遠藤さんと私の3人。遠藤さんは「マラソン」などで鍛えた足腰で山登りは問題のない方。問題は、65歳の私の方。寝台車が定刻に出発すると、約10分ほどで停車した。今まで特急クラスの列車に乗っていた私にとって、あまりにも早い停車であった。一緒に乗り合わせた延吉まで出張されるという女性客に聞いてみた。

「この列車は≪各駅停車≫の寝台列車ですよ。」との返事が返ってきた。このあと、1時間以上時間が経過し、5つくらいの駅に停車したが、まだハルビン市内であった。私が先程の女性客に「ハルビン市は広いですね」と話すと、「ハルビン市が広いのではなくて、列車のスピードが遅いだけですよ」と答えられた。この日は午前と午後の授業に、人ごみにもまれた疲労も加わり、午後9時過ぎには眠りについた。

寝台列車は、定刻の翌朝6時53分に「延吉駅」に到着した。これからどんな「旅」になるのだろうか。(今日から7回にわたって連載予定。)      

「延吉の旅 =  寝台列車」       多くの人々でいつも混みあっている「ハルビン駅」前。

「延吉の旅 =  寝台列車」         ハルビン駅前は、大きな荷物などを持った人々などで、ごった返していた。

「延吉の旅 =  寝台列車」          ハルビン駅の待ち合わせ場所「大時計」の下。

「延吉の旅 =  寝台列車」          「ハルビン駅」から「安图駅」経由で「延吉駅」までの切符。

「延吉の旅 =  寝台列車」        黒龍江大学の大島先生(左)と一緒に乗り合わせた女性客。

「延吉の旅 =  寝台列車」        「图們駅」行の寝台列車。

乗車すると間もなく、車掌が「切符」と引き換えにこの「カード」を持ってくる。下車する30分くらい前に起こしに来てくれる。

「延吉の旅 =  寝台列車」

途中の停車駅の「安图駅」。当初、この駅で下車する予定であったが、道路が交通止めのため、「延吉駅」まで行くことに。

「延吉の旅 =  寝台列車」         延吉駅のひとつ前の駅の「朝阳川駅」。

「延吉の旅 =  寝台列車」      目的駅の「延吉駅」に定刻に到着した。

「延吉の旅 =  寝台列車」         「延吉駅」正面。




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