陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プアなブログがまる1年

2009-09-30 08:58:52 | Weblog
このブログを書きはじめて丸一年。
飽きっぽいワタシにしては、よくぞ続いたものよ。
しかし、こんなくだらないブログに時間を費やすのではなく、
もっと生産的なことで継続すべきでありましょうなぁ。

このブログを目にされた方々は、世の中には様々なアホがいると思ってくだされ。
ブログの目的は、
  (1)何ゆえにワタシがプアであるのか?
  (2)そのプアを脱却する方法は何であろうか? を明らかにし、
  (3)世の各位はワタシを反面教師とするんですよ
というものであった。

その結果及び成果はどうであるか?
ジブンなりの結論は(もうとっくに)出ましたぞ。

(1)は、そもそもの能力不足、努力不足(努力の方向違いを含む)、運のなさ、でござろうなあ。
この三重苦をつらつら考えるに、
天に見放されたというより、もともと天から相手にされていないという現実でござったよ。
それならそれで結構。
ワタシも天を相手にしてやらないから、という子供みたいな心境でござる。
天は、天をあがめる者がいてはじめて存在し得ることを分かっとるのか?
誰のおかげで存在しとると思うとんや!
な~んて悪あがきはさておき、
ワタシの様なプアが「何故か」と自問すること自体が意味をなさない、
ということでござった。

(2)は、上を踏まえると、脱却方法なんぞあるワケがない。
方法がないとなると、努力してもムダであるし、
そもそも、ジブンなりに努力しても、その努力の方向が間違っているのであるから、
ただただ蟻地獄であがくだけでござる。
このあがきも努力というのでござろうかのう?

唯一の答えが、よく言われる様に、
プアはプアなりに、身の丈にあわせて生きるということで、
青い鳥は、山の向こうや、海のかなたにいるのではない、
よく見れば、ジブンの肩にとまっている、ということでござろうか。

それも一つの、或いは唯一の答えかも知れませんがのう、
ワタシャ、一年ほど前から肩が痛くて、
普通の人が容易に手が届くところでも、腕が回らんのでござるよ。
人は、ジブンの肩の青い鳥を手にすれば良いと言うが、
今では、そのささやかなこともできないのでござるよ。

以前なら簡単に腕が届いたのでござろうがのう。
さあ、どうしたものでござろうか。
まさに「貧すれば鈍す」を地でいっているのでござる。

若いときには簡単にできたことが、
トシをとると、もうできなくなる。
気づいたときにはもう遅い、ということでござろうなあ。
残念無念であるが、結局のところ、アホの典型の人生でござったよ。

一里先のおにぎりを食うべきか、
(別方向の)千里先にあるというフルコースのディナーを食すべく遠路にチャレンジするか。

80%の人間はおにぎりを口にし、
1%の人間はフルコースを食し、
15%の者は、途中で行き倒れて何も食べられないのでござる。
ワタシャ、結局は何も口にできないグループに入ってしまったのでござるよ。

え? 100%にならんではないか?
世の中には、世渡りがうまい人種がおってござってのう。
一里先のおにぎりを食べ、その後どうするのか知りませんがのう、
フルコースを食す者を見分け、その後にすがり、おこぼれをあさるヤカラがいるのでござるよ。
世の中には。
ハイエナの様な人種が。
いや違った。
「の様な」ではなく、ハイエナそのものでござった。
その筆頭格は官僚・役人。
このヤカラには、逆さになってもかないませんなぁ。
その貪欲さと、食べ物の臭いをかぎつける能力には。
腐っていようが、食べごろであろうが、関係なくガツガツと食うのですからなあ。
もっともらしい顔をして、
ジブンのものはジブンのもの、人のものもジブンのもの。
人の迷惑なんぞ知ったことか と。

この現実は、上の(3)に対する問題提起でござるよ。
あんたはんは、どのグループを選びはりますか?

ワタシは、今でも「梅干が入ったおにぎり」くらいは食べたいのだが、
ハイエナグループには入りたくないですなあ。
ハイエナの能力や貪欲さに欠けるから、なりたくてもなれないけど。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自民党葬祭選の結末 | トップ | 特色ある社会主義? »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事