陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

シナンケ

2010-11-10 09:01:12 | Weblog
今年のノーベル平和賞は、劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏だが、
その授賞式について、中国は、
「日本政府関係者の出席を控えるよう求める」旨の申し入れを日本政府にしたそうな。
欧州各国にも同じことを求めているという。

劉氏の受賞を中国がどうとらえるかは中国自身の問題であるが、
他国にも同調を呼びかけるなんぞ、
アタマが狂っているのではありませぬかなあ。
マ、この受賞は、中国の体制そのものへの批判であるから、
自身への批判を否定しないと、おおごとになる可能性がありますからなあ。

報道によると、最近、中国メディアは、劉氏への批判報道を活発にしているそうな。
御用記事、体制擁護のよいしょ記事は、お国がらですからなあ。

う~む。
痛感させられるのだが、この世は、「逆鱗」に触れてはなりませんのぢゃなあ。
逆鱗の「鱗」は龍の(あごの下の)鱗だが、
しかし、今の時代の龍は、何やらおどろおどろしい存在ですなあ。

これは、過日書いた、オランケと同じイメージでござります。
つまり、何やら、おどろおどろしい、邪悪な、あらがいきれない、といった語感。
その連想から、過日のブログでふと「シナンケ」の言葉が出てしまったのでござりますよ。
(勿論、造語でござります。)

世には、オランケを蔑称とする説明もある様だが、
それは少し違うと思いますがなあ。
ワタシも蔑称の意で「オランケ」「シナンケ」と申すのではござりませぬ。

申すまでもなく、シナとは、支那でござります。
つまり、支那のオランケでござりますなあ。
中国共産党は。

ここで、再び「支那」は蔑称、差別用語だとする言が出る可能性があるが、
それも少々違いますなあ。
ワタシの見解では。
蔑称で使う者、場合もあるだろうが、それは一部でござります。
支那は一つの呼称で、国名を超える呼称でござります(「中国」は国名)。

異をとなえる方は、勝手にとなえれば宜しいが、
予想される異論に対して、数点だけ書きまする。
(ワタシは議論するつもりはありませんのぢゃよ。)

①清朝が倒れ、現在の中華人民共和国が成立するまでの間、彼の地域を何を呼べば宜しいのぢゃ?
国号としては中華民国になるのであろうが、
しかし、内戦もあり、中華民国政府が全土を支配していた訳ではござらぬよ。

②支那は「秦」に由来するが、英語やフランス語の China や Chine は差別用語なのでござりますかや?

③支那竹や支那そばは、何と言えば良いのでござろう?
東シナ海やインドシナ半島は、何と表現するのでござろう?
東中国海?
将来、中国という国号が変わったら、また変えるのでござるか?
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