陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

地震(14)-戦時下の匂い

2011-03-25 08:56:52 | Weblog
この前の日曜日、新聞を手にし、
原発の動向や被災地の状況の記事を読んでいたら、奇妙な感覚になりましての。
何かと申すに、
記事の雰囲気が、戦時中の新聞記事に似ているのでござりますよ。
何が似ているかと言うても、うまく説明できないのだが、
暗いというか、湿り気と閉塞感の中で、小さな明るさを必要以上に誇張している、鼓舞している、
そんな感じなのでござります。
それだけならまだしも、
時の社会(含む為政者)に迎合している匂いを感じたのでござります。

申すことが分からないなら、
一度、大きな図書館へ行って戦時中の新聞を読んでごらんなさいな。
開戦前から、戦時中、そして戦後と、
ざっとでも良いから読み進めると、時代の雰囲気が何となく分かりますぞ(そういう気になる)。
そして、新聞社の体質も。
内容だけでなく、紙の質や枚数からも、時代と状況を感じることができますからなあ。
お勧めしますぞ。

何故に、そんなことを書くかというに、
現下の状況は、勿論事象は違うが、戦時中に似た側面が多々あるからでござります。
今はまだ表面的ですがね。
次第に内面も似てくるのかどうか、懸念がありますなあ。
まあ、似たとしても当然といえば当然なのでござりますがね。
ワレワレは同じ遺伝子を受け継ぎ、マスコミも結局は日本の組織ですからなあ。
短い間では変わりようはござりませぬよ。

地震後の日本社会 【仮説】
お、新聞によると、
地域によっては、小学生には、登下校時に防災ずきんをかぶらせているそうですなあ。
やはり、今は戦時中と同じなんですなあ。

いや、違いますぞ。
同じではござりませぬなあ。
ワタクシめは、この2週間、つらつら考えたのでござりますよ。
朝晩の通勤時、風呂に入っているとき、床に入って寝るまでの間、考えに考えたのでござります。
今朝は、その結論をこのブログに書くことといたしましょうぞ。

考え抜いた結果、次の結論に到達いたしました。
今の日本社会は、地震でタイムスリップしてしまったのでござります
問題なのは、単に昔へタイムスリップしたのではなく、
今と昔が重なる、
例えば、透明のガラスに描いた昔の絵と、今の絵を2枚重ねた二重写しの社会になってしまったのでござります。
結果、様々なものが混線し、物事がからんでしまい、
なにが何だか分からん状態になってしまったのでござります。
政府や東電を見ていると、そうとしか思えませんなあ。

地震→(タイムスリップ)→(二重社会出現)→津波→原発事故→放射能漏れ→社会の混乱

現在はここまでの状態だが、
今後はどう展開するのでござりましょうなあ。
その展開と共に、仮説の検証が必要でござりますなあ。
そして、どなたか、この仮説を証明してくださいな。

▼昨夜の帰路、久しぶりに駅前のスーパーに入りましたがな。
普段は夜11時まで開いているのだが、14日以降の夜はいつも閉まっている。
それが、昨夜は開いていたのでござります。
弁当や惣菜類:なし、 水:なし、 米:少しあり の状態でござりました。

ワタシは、水が欲しいのでござります。
世の、水道水の放射能汚染対策とか、緊急時の備蓄用ではなく、
家人に必要なのでござります。
家人は、病院での治療を受けた後、大量に水を飲まねばならないのでござります。
(↑こう書くと、何の治療か、分かる人には分かるでござりましょう。)
次の治療は月曜日のため、それまでに最低ペットボトル数本の水を用意しないといけないのだが、
それが全く入手できないのでござります。
家人が、ネットで探してやっと通販で注文したそうなのだが、届くのは火曜日の予定。
間に合いませんがな。
それまでに、何とか入手しないといけないのだが、困りましたなあ。
乳児以外にも、そして被災者以外でも、水を必要とする者はいるのでござりますよ。

欲しいものが無いため、レンジで温めれば良いごはんを3個買いましたがな。
次回、家人が入院し、いなくなったときにワタシが食べるためでござります。
緊急備蓄用ではござりませぬ。

以前から、買い物難民の話しをよく聞くが、
買いだめに走ることができる者はまだ幸いでござりますなあ。

▼知事選の告示がありましたなあ(12知事選)。
東京の立候補者はというと、
ワタミ、石原、ドクター、東コクバル、小池など。
ワタシは都民ではないが、ここで東京の勝敗を予想してみましょうかのう。

う~む、うむ、うむ。
え~い! がらがらポン。
出ましたぞ。
石原(慎)でござりましょう。

低投票率の下で、石原が勝つ主要因は、ひとえに民主党にござります。
本来であれば、(ワタシと同じく)石原に反発する者も多く、多選であるから、
陽の目をみることはないのであるが、
現下の、あかんたれ民主、そしてカンやエダノを見るにつけ、
偏りはあるも、動じない点が拠りどころなり、安心感を生むのでござります。
つまり、平時の政治家と非常時に強い政治家、の選択なのでござります。
今の生活、そして今後に不安感を覚えれば覚えるほど、
人は、多少の問題はあっても、安心感をかうのでござります。

この予想は、まず外れることはないと思いますぞ。
その選択が凶か吉かは知らないが、非常時ではそれしかないでありましょうなあ。
これまた戦前の、そして戦時下の匂いがしますがね。
へんてこなタイムスリップのせいでござりましょう。
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