次にご紹介する画像は、信越線高崎-横川間で限定運用されていた新前橋電車区のクハニ67とモハ30です。
写真を撮りに行った1975年10月当時、TgcMMc (クハニ67+モハ30+クモハ41)の3両編成で、横川-高崎-新前橋間に限定的に運用されていました。当時、基本、横川-高崎間のローカルは、横軽直通列車を除いてこの編成で運用されていたと思います。
クハ67は当然オリジナルではなく、クハ55を改造した900代。このうち偶数向きは新前橋に、奇数向きは飯田線・伊那松島機関区に配属され、北部限定で運用されていました。
モハ30は、首都圏の増客増に対応してクモハ40を中間電動車化したもの。首都圏国電から追い出された後、2両はここ新前橋に、残りは片町線・淀川電車区に転属しました。ただ片町線の車両は、私が片町線に写真を撮りに行った時は既に廃車となっており、見ることができませんでした。クモハ40のままであったらもうちょっと延命できたかも知れません。
なお、このTgcMMc編成は、輸送量不足が問題視されたか、あるいは手荷物の取り扱いが廃止されたか取扱量が減って代用荷電で十分と判断されたかは良くわかりませんが、高崎ローカル旧国の新性能化前、おそらくこの写真を撮ったすぐ後の75年暮れか76年3月には運用が115系TcMMTcの4両編成に置換えられ、一足早くクハニ67もモハ30もなくなってしまいました。
因みに新前橋には高崎-水上ローカル限定の73系も配属されていました。今に例えれば107系のような存在ですね。これも横川ローカルからクハニ67+モハ30が消えたのとほぼ同時に運用がなくなったように思います。
なお、新前橋のクモハ41については別の機会に紹介したいと思います。
クハニ67900 (高シマ) 改造クハニ67のトップナンバーで運転台側窓がHゴム化されているのが特徴です。

こちらは反対サイド。

そしてクハニ67902 (高シマ)。運転台窓枠がオリジナルです。

クハニ67902の荷物室内。窓越しに撮影したので外景が反射して見にくいですが...

こちらは中間電動車モハ30001(高シマ)。今でしたらフルサイズ相当で24~28mmぐらいのレンズで狙うところですが、当時は固定焦点のオリンパスペンしかなく、かつホームの柱配置の制約から... 中間車の写真はすべていまいちです。

反対サイド。

そしてモハ30003 (高シマ)。

こちらは客室内部の写真です。左側はモハ30003のパンタグラフ側の妻面。左側の窓がなく、制御盤かスイッチボックスのようなものが設置されているのが分かります。
右側はクハニ67902で客室側から荷物室側を見ています。今のローカル線と異なり車内のつり広告が多いですね。
新前橋電車区の旧型の検修は大井工場の管轄でしたが、それにもかかわらず首都圏の旧型とは異なりニス塗りが維持されていたのが分かります。また客室内ペンキ塗りのケースもありましたが、その場合は、やや暖色系のクリーム色でした (下の写真の貫通路扉と同じ色です)。
首都圏の旧国がモスグリーンのペンキ塗りのケースが多かったのは、おそらく、酷暑の夏のラッシュ時に冷房もなく超満員の乗客を詰め込んでいたので、せめて色だけでも涼しめにとの配慮だったのではないでしょうか?

写真を撮りに行った1975年10月当時、TgcMMc (クハニ67+モハ30+クモハ41)の3両編成で、横川-高崎-新前橋間に限定的に運用されていました。当時、基本、横川-高崎間のローカルは、横軽直通列車を除いてこの編成で運用されていたと思います。
クハ67は当然オリジナルではなく、クハ55を改造した900代。このうち偶数向きは新前橋に、奇数向きは飯田線・伊那松島機関区に配属され、北部限定で運用されていました。
モハ30は、首都圏の増客増に対応してクモハ40を中間電動車化したもの。首都圏国電から追い出された後、2両はここ新前橋に、残りは片町線・淀川電車区に転属しました。ただ片町線の車両は、私が片町線に写真を撮りに行った時は既に廃車となっており、見ることができませんでした。クモハ40のままであったらもうちょっと延命できたかも知れません。
なお、このTgcMMc編成は、輸送量不足が問題視されたか、あるいは手荷物の取り扱いが廃止されたか取扱量が減って代用荷電で十分と判断されたかは良くわかりませんが、高崎ローカル旧国の新性能化前、おそらくこの写真を撮ったすぐ後の75年暮れか76年3月には運用が115系TcMMTcの4両編成に置換えられ、一足早くクハニ67もモハ30もなくなってしまいました。
因みに新前橋には高崎-水上ローカル限定の73系も配属されていました。今に例えれば107系のような存在ですね。これも横川ローカルからクハニ67+モハ30が消えたのとほぼ同時に運用がなくなったように思います。
なお、新前橋のクモハ41については別の機会に紹介したいと思います。
クハニ67900 (高シマ) 改造クハニ67のトップナンバーで運転台側窓がHゴム化されているのが特徴です。

こちらは反対サイド。

そしてクハニ67902 (高シマ)。運転台窓枠がオリジナルです。

クハニ67902の荷物室内。窓越しに撮影したので外景が反射して見にくいですが...

こちらは中間電動車モハ30001(高シマ)。今でしたらフルサイズ相当で24~28mmぐらいのレンズで狙うところですが、当時は固定焦点のオリンパスペンしかなく、かつホームの柱配置の制約から... 中間車の写真はすべていまいちです。

反対サイド。

そしてモハ30003 (高シマ)。

こちらは客室内部の写真です。左側はモハ30003のパンタグラフ側の妻面。左側の窓がなく、制御盤かスイッチボックスのようなものが設置されているのが分かります。
右側はクハニ67902で客室側から荷物室側を見ています。今のローカル線と異なり車内のつり広告が多いですね。
新前橋電車区の旧型の検修は大井工場の管轄でしたが、それにもかかわらず首都圏の旧型とは異なりニス塗りが維持されていたのが分かります。また客室内ペンキ塗りのケースもありましたが、その場合は、やや暖色系のクリーム色でした (下の写真の貫通路扉と同じ色です)。
首都圏の旧国がモスグリーンのペンキ塗りのケースが多かったのは、おそらく、酷暑の夏のラッシュ時に冷房もなく超満員の乗客を詰め込んでいたので、せめて色だけでも涼しめにとの配慮だったのではないでしょうか?
