ガンジス河をずっと眺めていた。
飽きない景色だった。雨季のころに比べると、ずっと水量の減った河は静かに眼前を流れ、小舟が行きかっている。
ガートという階段状の川岸に腰掛け、チャイなんかをすすりつつ、ただ座っているだけだが、頭の中では本当にいろいろなことが浮かんでは消え去っていく。
まるでこのガンガーのように。
ここに来る直前で知らされた祖父の死。
目の前では死体が焼かれて、肉が燃える煙が天に昇っている。
生きるってなんだろう。
死ぬってどういうことなんだろう。
思春期真っ只中の高校生のような自問自答を繰り返し、結局答えなんてそう簡単に見つかるわけもなく、思考を停止させ、目の前のチャイをまた一口すする。
犬が足元で寝転がっている。
物売りたちがひっきりなしに声をかけてくる。
修行僧が半裸で目の前を通り過ぎていく。
手を広げれば両側の壁についてしまうほど狭い路地に入る。
牛が我が物顔で徘徊している。
その横を野菜をどっさり載せた台車がせわしなく行き交う。
世界のどこにも見当たらないような「特別」な光景。
でもここでは何百年と繰り返されてきた「当たり前」の世界。
そんな街に2週間ほどいた。
ガンガーの対岸は不浄の地と呼ばれ、人はアウトカースト以外住んでいない。
砂漠のような不毛の地が広がっている。
雨季には河に飲み込まれ消滅してしまう、儚い土地。
対岸からボートに乗って、上陸した。
野良犬がうろついている。カラスがえさをついばんでいる。
対岸の繁栄が幻のように見えてきた。
どっちが本物で、どっちが幻なのか。
どちらも現実で、僕一人夢の中にいるのだろうか。
それとも、すべてが幻なのか。
藤原新也の犬が人を食う写真のイメージが最後まで頭から離れなかった。
僕自身の写真は結局撮れずじまいだった。
僕は、まだ、幻の中にいる。
飽きない景色だった。雨季のころに比べると、ずっと水量の減った河は静かに眼前を流れ、小舟が行きかっている。
ガートという階段状の川岸に腰掛け、チャイなんかをすすりつつ、ただ座っているだけだが、頭の中では本当にいろいろなことが浮かんでは消え去っていく。
まるでこのガンガーのように。
ここに来る直前で知らされた祖父の死。
目の前では死体が焼かれて、肉が燃える煙が天に昇っている。
生きるってなんだろう。
死ぬってどういうことなんだろう。
思春期真っ只中の高校生のような自問自答を繰り返し、結局答えなんてそう簡単に見つかるわけもなく、思考を停止させ、目の前のチャイをまた一口すする。
犬が足元で寝転がっている。
物売りたちがひっきりなしに声をかけてくる。
修行僧が半裸で目の前を通り過ぎていく。
手を広げれば両側の壁についてしまうほど狭い路地に入る。
牛が我が物顔で徘徊している。
その横を野菜をどっさり載せた台車がせわしなく行き交う。
世界のどこにも見当たらないような「特別」な光景。
でもここでは何百年と繰り返されてきた「当たり前」の世界。
そんな街に2週間ほどいた。
ガンガーの対岸は不浄の地と呼ばれ、人はアウトカースト以外住んでいない。
砂漠のような不毛の地が広がっている。
雨季には河に飲み込まれ消滅してしまう、儚い土地。
対岸からボートに乗って、上陸した。
野良犬がうろついている。カラスがえさをついばんでいる。
対岸の繁栄が幻のように見えてきた。
どっちが本物で、どっちが幻なのか。
どちらも現実で、僕一人夢の中にいるのだろうか。
それとも、すべてが幻なのか。
藤原新也の犬が人を食う写真のイメージが最後まで頭から離れなかった。
僕自身の写真は結局撮れずじまいだった。
僕は、まだ、幻の中にいる。
インドに行くという事だけでかなりの覚悟がいりますよね。僕も最初のときはそうでした。でも、きてみると案外普通の面もあったりするんです。
今ダージリンにいますが、標高高いため死ぬほど寒いです。
moriさん>
おお、もうプリーですか!
早いなあ。そして、プリーは楽しそうですね。正月を迎えにこれから南下しますので、待っててね。
池田さん>
コルカタ、プリーで正月迎えましょう!
待ってます!
sekiさん>
おひさしぶりです。
ああ、みんないろいろ変わっていくんだなあ。としみじみヒマラヤの麓で思いました。田村さんにおめでうとお伝え下さいませ。
まささん>
砂漠のなかですか?
僕はまだヒマラヤです。
暖かいところがうらやましいです。ゴア、物価高いみたいですね。おきをつけて!
おいらはジャイサイメールっすよ。
早くゴアに行きた~い…
昨日ゴア来ちゃいました、、、
宿高くて困ってます、もう出よーか迷いどころ、、、
バラナシでましたか~。また僕もインド余裕あるんでもう一度コルカタ、プリーに戻るかも?
ご苦労サンです。
俺っちは、すでにプリーに到着してしまいました。
噂どうりの所ですぜ。サンタナロッジ。
居心地良すぎっ。
もう既にプリー年越し組みは待機している様子なのだ。
でも、行けなかったですね。
なんでだろう?
受け入れられそうになかったのかな。
身内の死を経験した時初めて死について考えました
それは私にはとても遅い経験でした。
一緒に暮らしていた祖母の姉をなくしたのは25歳の時
それまで死に直面したことがありませんでした。
結局答えはないですよね。
でも今を一生懸命生きなきゃとは思います
いつかはやってくる死ではなく、生と死は隣り合わせ何だから。
写真楽しみにしてま~す。
日本はとてもとても寒いですよ。
だってもう11月もあと1週間で終わっちゃいますものね