放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

砦より大陸を眺める 【マカオ】

2004年10月22日 | 澳門、香港
日本にキリスト教を伝えたイエズス会。
ヨーロッパではその後異端となり、追われるように澳門にやってきたという。

写真は、澳門随一の観光地でもある、聖ポール天主堂跡(中国語では大三巴)。

1835年教会は火事に見舞われ、建物正面の数カ所の壁と階段を残して焼失した。教会は、17世紀初頭にイタリア人修道士によって設計されたとされ、長崎から幕府の弾圧を逃れて渡ってきた日本人キリスト教徒も建設に加わっている。完成当時は東洋で最も壮大で美しい教会だったという。(マカオ観光局サイトより)

ファサードしか残っておらず、テレビ局の大道具さんがつくったようなハリボテ感満載だが、もし焼けずにすべてが残っていたら、どれほど大きかったのか、想像するだけで楽しい。
やはり観光客がビックリするほど多く、ファサード前の階段には、記念写真を撮るツアー観光客で超混雑。
お約束として、人が写真を撮っている後ろのほうから、目線をカメラに合わせたり、ピースサインをしたりして、しっかり写っておいた。

ファサードの後ろには、簡素な博物館と遺骨がそのまま放置された墓があった。場内は重い鉄の扉で外界の賑やかさからは遮断され、グレゴリオ聖歌がエンドレスで流されていた。なかには日本人修道士も含まれているという。信仰のために故郷を離れ、異国の地で死んでいった者の物言わぬ髑髏をじっと見つめていると、かつて瞳があった穴から一筋の涙が流れているような気がした。未来永劫、異国の地、聖歌のなかで観光客の視線を浴び続けなければいけない日本人! お前が信仰した宗教は、ハリボテと化して、人々に踏み荒されている!

気分が晴れない思いをかかえ、僕は聖ポール天主堂跡の隣にあるモンテの砦と呼ばれる丘に上った。

イエズス会修道士によって1617年~1626年に聖ポール天主堂の建築事業の一部として、街を外部からの攻撃から守るために築かれたものである。モンテ砦が栄光の記録を飾ったのは、1622年オランダ艦隊がマカオ侵略を試みた際の活躍ぶりである。砦に据え付けられた大砲の弾がオランダ軍艦の弾薬庫を爆破して、勝利を手中に収めたのだった。(マカオ観光局サイトより)

頂には強固な要塞があり、いたるところに砲台が放置してあった。
外部から身を守らなければいけない、と武装していく宗教。自衛のためだろうが、武装してまで頑なに信仰を守っていこうとする力。さきほど聞いた聖歌の調べとは真逆に位置している矛盾を感じながら、砲台を撫でると、日に照らされた鉄の固まりは熱く、弾を撃ち終わった直後のようだった。

見晴らしのよい高台から砲台越しに下を眺めると、手の届きそうな位置に1本の大きな河が流れていた。
隣にいた中国人が河の向こう側を指差しながら、あれが中国だ、と言っていた。
中国・珠海市。近い。近すぎる。
香港であれば、新界と呼ばれる広大な田園地帯を越え、中国につながっていく。しかし澳門ではたった数百メートル向こう側に広がっている紅い大国。
対岸に雨後の筍のように建つ高層ビル。眼下には、古ぼけた住宅と石畳の路地が入り組む、捨てられた土地。

砦は1発の弾も射つことなく、陥ちた。

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