野菜通信@畑の中心で愛を叫ぶ・・

長崎県・西海無農薬やさいの会生産者の一人、
フッチーが気ままにつづるブログです。

石木ダムー2019/12/24 西日本新聞「石木ダム強制収用、苦悩する前町長 今秋、反対派団体に参加」

2019年12月24日 21時38分25秒 | 石木ダム

今日の西日本新聞の記事です。

「いまさら何を」という気もしないでもありませんが、「強制的に進めるということに対する疑問」を
「石木ダム・強制収用を許さない県民ネットワーク」に加わるという行動につなげたことは評価したい。


 石木ダム強制収用、苦悩する前町長 今秋、反対派団体に参加

    ■地域の人間関係分断招いた

    長崎県川棚町の石木ダム問題で、町長在職中は事業を推進してきた竹村一義さん(72)が今秋、
    反対派の市民有志でつくる「石木ダム・強制収用を許さない県民ネットワーク」に加わった。
    ダム事業自体には反対ではないが、用地の強制収用が可能になった今、予定地で立ち退きを拒む
    13世帯を公権力で排除することには疑問を抱く。複雑な胸中を語った。

    竹村さんは町議を経て、2002~10年に町長を務めた。事業主体の県と同県佐世保市が09年10月、
    土地収用法に基づいて、強制収用が可能になる事業認定を国に申請する際には、知事や市長と並
    んで記者会見した。「半ば無理のある話し合いをしてでも、早く解決させた方が地権者にとって
    よいのではないか」と考えていた。

    それから10年間、反対住民と県が話し合う場はほとんどなかった。今年9月には法に沿って、予定
    地の所有権が住民から国に移った。県は住民を強制的に立ち退かせる行政代執行ができるようにな
    り、両者の溝は深まるばかりだ。

    県も09年当時は「話し合いを進めるための事業認定だ」と説明していた。「住民を説得できなかっ
    た力不足を、今となって強い権力に頼るしかないのか。あのときの説明に立ち返れば強制収用はで
    きないだろう」

    川棚町で生まれ育った。立ち退きを拒む13世帯の中には中学時代の同級生がいる。予定地から移転
    した住民にも知り合いがいた。狭い地域の人間関係は公共事業によって分断された。「ダム計画が
    なければ遭わなかった苦しみ」を知るからこそ、やり切れない。

    ダム事業そのものには反対ではない。大規模化する集中豪雨被害や、佐世保市民が苦しんだ渇水を
    防ぐ効果はあると思う。それでも、強制的に進めるのは釈然としない。

    9月、県民ネットワークに加入した。「『今更なんば言いよっとか』と言う人もいるだろうが、ささ
    やかな意思表示だ」。町長退任後、石木ダム関連の取材に応じたのは初めてという。
    中村法道知事は「強制収用は最後の最後の手段。その前にご理解いただける機会があれば、努力を重
    ねたい」と話す。だが、竹村さんは首をかしげる。これまで住民や県民が、理解できるような努力を
    してきたのか疑問を覚える。
    石木ダム事業が国に採択されて来年は45年になる。「いよいよダムができるところまできた、とは思
    わない。本当にできるだろうか」。探るように言葉を継いだ。 

 

 


石木ダムー最近の長崎新聞の投書欄より(その26)

2019年12月23日 23時24分54秒 | 石木ダム

紹介するのを忘れていました。
11月23日の長崎新聞の投稿欄からです。

たまには、「石木ダム必要!」という方の投稿が載らないものかと期待しているのですが、
なかなか載りませんね~(笑)。

まあ無理でしょうね~。推進派の論点は法廷などでもほとんど論破されているので、一般の方が
説得力のある必要論を展開するのは不可能でしょう。

でも何とか投稿してほしいな~。でないといったいどういう理由で必要だと思っているのか
わからないので・・・。




2019.12/15の日の出~サンピラー現象

2019年12月16日 12時33分45秒 | 気まぐれ写真館

昨日の日の出直前の写真です。我が家から雲仙・普賢岳方向。


サンピラー現象*というそうです。

   太陽柱(たいようちゅう)、サンピラー(英語:sun pillar)は、大気光学現象の一種であり、
    
日出または日没時に地平線に対して垂直方向へ、太陽から炎のような形の光芒が見られる現象を言う。
    ダイアモンドダストでも同様の
現象が起きる。






2019-ツワブキの花

2019年12月11日 12時25分40秒 | 季節の花

庭の石垣のところに群生するツワブキの花。


群生といっても自然に生えたものではなく、亡くなった父が、むきつわにして近所の直売所で売って家計の足しにしようと
植えていたものです。


しかし今ではそんな手のいることをしようとする家族は誰もおらず、観賞用になってしまっています。