つれづれ小平

忙中閑あり。
徒然のひとときに、自分探しの旅へ。

ルミナ・キュービック

2011年02月12日 19時02分32秒 | Weblog

3x3x3だが、回らないキューブである。

各面の色はLEDの光で表現され、脇のボタンを押すと、通常のキューブと同じように、
しかし、色だけが「回る」。

キューブとしてだけではなく、ミニゲームも出来るが、はっきり言って面白くない。

このおもちゃの本質は、暗いところでキュービングすることに尽きる。

電池は単4×3。
エネループでもないと勿体ないかも。

「BBC番組がいかに二重被爆者を取り上げたか 彼らは何と言っていたのか」

2011年02月12日 01時59分03秒 | Weblog
1月22日の3つの記事でBBCの番組"QI"が巻き起こした問題について触れた。

主に英文記事に関して、gooでコラムを書いているコラムニストが、
この問題について、1月25日に、
「BBC番組がいかに二重被爆者を取り上げたか 彼らは何と言っていたのか」
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110125-01.html
というコラムを書いている。

その論調は、あの番組についてのイギリス人の一般認識を代弁するものだった。
「イギリス人が「だってあれはイギリスの鉄道をバカにしてたのに」と当惑する理由が、これで少しでも伝わったならいいな、と思います。」

所沢ダイオキシン騒動を巻き起こし、
もんじゅの停止(フェイルセーフ)を煽情的なニュースにする
マスコミの科学への無理解に似ている気がした。

そして無理解は、不正確な表現につながる。

マスコミや文筆家が、小説でもないのに、不正確な表現をするのだから、罪が重い。

改めて、BBCの番組"QI"について何が問題だったかを踏まえて分析しつつ、意見を述べよう。

---
番組を見た訳ではないが、番組の流れからは、
山口さん自身に対してのわらいではないが、
山口さんの体験を起点にした、あるいは更に派生した軽妙なジョークと笑いを楽しむイギリス人たちの姿が浮かんできた。

笑いではなく、原爆の「悲惨さ」への無理解が、結果的に日本人遺族、関係者の怒りを買い、ニュースを見聞きした一部の日本の人たちも怒りを覚えた。

ただ、原爆の「悲惨さ」への理解や、その態度を、
国民感情、加害者/被害者の思いの差や、文化・習慣の差による帰してしまうと、
上記コラムや、
http://d.hatena.ne.jp/machiaruki/20110127/p2
のような論調に終始してしまい、いつまで経っても溝は埋まらない。

こうなる理由は、科学的な理解とそれに基づく正確な表現が足りないからだ。

確かに、日英で、ものの見方、感じ方は違うかもしれない。
しかし、山口さんの身に起きたことは1つである。
それを科学的に理解し、正確に表現しようとする努力と知識が、
QIの出演者、司会のフライ氏にも、上記コラム等でも足りない。

少し考えてみよう。

「悲惨さ」には、悲惨さの原因となった原爆の「機能」がある。
原爆の機能は主に
1.爆弾 2.放射能 3.脅し
と考える。
抑止力はこのうちの3の脅しの機能に相当するが、
脅しの機能は、もちろん1,2の機能から想定される効果から来るものだから、
1、2についてのみ考える。
1と2の機能のうち、通常爆弾は1の機能を持つが、2の機能を持たない。
2の機能を持つのは、原爆、水爆、中性子爆弾、劣化ウラン弾などのみだ。
大戦後も悲惨さが続いたのは、まさに原爆の2の機能であり、被害者と遺族はこの機能に苦しめられた。

以上のことは、日本人には常識だが、
今回のニュースで、イギリス人の多くが理解していない可能性が高いことがわかる。

まず、「爆弾がその人の上に落ちて、跳ねとんだとか。」という発言も
上記1の機能しか念頭にないジョークだ。

事実は、上記1の機能が鉄道に及ばなかったから、原爆が落ちた後も鉄道は使えた、ということだ。
つまり、仮に、イギリスで同様のことがあっても、条件が同じなら、鉄道を使うことは出来たわけで、
そこに、今回笑いが起きたような、日英の差をみとめることはできない。

当時の日本人も、上記2の機能を知らなかったのだから
現代のイギリスの番組参加者と変わらない理解だったのだ。

いまや我々日本人は上記2の放射能の悲惨な機能を知っている。
少なくとも教わってきたはずだ。

その点、「原爆投下後も鉄道が動いた」というところに敏感に反応してジョークにしたイギリス人は、やはり無理解と言わざるを得ない。

そして、日本でも、
山口さんを「二重被爆者」と誤表記したコラムニストや一部マスコミも無理解と言われかねない。
今回の件では、山口さんは「二重被爆者」ではなく、正確には
「二重被曝者」または「二重被ばく者」である。
被爆者が鉄道に乗ってもう1回被爆することは考えられないから
「二重被爆者」という表現はまずあり得ない。

被爆者よりも被曝者(被ばく者)が多く苦しみ、死んでいった事実を心底理解していないのではないか。

多くの視聴者・読者に影響を及ぼす、言葉を扱う商売(特にマスコミ)が、
事実を科学的に理解せず、言葉を不正確に使うのは犯罪に近い行為だとつくづく思う。