延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

出張先で買った本。

2009-02-11 06:30:11 | 本と雑誌

51rqb2c7u8l_ss500_ "廃墟建築士"(三崎亜記著:集英社)
現代小説はほとんど読まない。作者には申し訳ないが、ペンネームも別の人を思い出してしまいあまり好きじゃない。ただ、完全にタイトルに萌えた。そんで、中身をチラ見してみたら意外と面白そうであった!!



51favyyk9jl_ss500_ "認知症と回想法"(黒川由紀子著:金剛出版)
我が国における回想法研究の第一人者の黒川先生の著作。




7andy_31615261 "昭和28年、41年の熊本市と現在の熊本市"(塔文社編・発行)
古い地図と現在の地図を比較するという試み。
延岡の地図も出版したいなあ...。




41cfbpimm5l_ss500_ "東京の貝塚を考える"(品川区立品川歴史館編:雄山閣)
我が国近代考古学の発祥である大森貝塚の歴史的意義についての同館での企画展示に際して行われたシンポジウム成果をまとめたもの。

我が恩師がこの本に"モースの科学的精神"というタイトルでエッセイを書かれているという事もあり、久々に縄文後晩期ネタの本を買った。西南戦争が勃発した明治10年に来日し、大森貝塚を調査したエドワード・シルベスター・モースは、日本ではじめて進化論を講義した人物でもある。

思えば恩師の"考古学演習"で最初に購読したのがモースによる報告書"Shell mounds of Omori"であった。モースが出土資料に対して形態的ではなく機能的分類を行っていた事、岡倉天心とともに日本美術を体系化し、文化財保護行政に大きな影響を与えたアーネスト・フェノロサが日本美術に関心を寄せた事自体、もろにモースの影響であった事。さらにこれら一連の動きが、日本の近代化という大きなうねりの中で展開されていった事等々...。

この講義で学んだ事は、卒論のみならず、その後の研究活動にも大きなインパクトを与えたのは言うまでもない(実際にこの点についてのペーパーも書いている)。

また、一旦考古学の側から近代を通観した後、今度は美術の側から同じ内容を見直す機会に恵まれた事は、クロスオーバーを目指していた自分にとっては幸いだったのかもしれない。


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