延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

レヴィ=ストロースが亡くなった。

2009-11-04 07:20:53 | 本と雑誌

大学へ入った際、当初から先史時代研究を行おうと思い、国内の古典的な書物や研究論文を読んだ。僕の母校は助手や大学院生が厳しく学部生を指導していたので、1年生の頃からかなりの数の文献を読み込んでいた。

ただ、少しだけ同級生とは違う事を考えていた。それは予備校の頃だったか課題で出た国語の長文読解の文章が文化人類学者が書いたもので(今思えば川田順造先生あたりだったか?)、とても面白く、文明社会といわゆる未開社会との差とは一体なんなんだろうと思わせるものであった。そして僕はそういった分野を自分の中に取り込もうという野心を持っていた。

振り返ってみると、院生達の会話から最近の欧米の研究動向なんかが聞こえてくる。人類学や現代思想における理論が必要なんだという事をしゃべっている。無謀にも、イギリスの理論系研究者の初期の土器研究なんかを2学年上の先輩と2人で読んでみたが、ほとんどわからなかった。しかしながら、どうやら日本の土器研究とは違う、言語学なんかの理論が使われているのだな、という事だけは理解した。

本屋に行くと"現代思想"という雑誌があり、どうも欧米の研究とつながりがあるし、自分の興味がありそうな事でもあるな、と直感した。

しばらくすると、浅田彰の"逃走論"の巻末に書かれている、現代思想を理解するためのリストに従って、ソシュールの"一般言語学講義"からはじめ、現代思想にかかわる基本図書を順番に読み進んでいた。

人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著書にようやくたどり着いたのは、大学3年生の頃であった。はじめに"親族の基本構造"を読んだがちんぷんかんぷんだった。だが"悲しき熱帯"の叙情的な文章に触れ、そして"野生の思考"からブリコラージュという言葉を知り、文明・未開の差は無く、全ての社会にはそれを上手く動かしていくための構造というメカニズムが複雑に組み込まれているという事を知った。

この"不可視の構造"というものの存在を理解すると、世界の全ての仕組みが、おぼろげながら自分の中でわかるようになっていった。

後にジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリの"熱い社会"の"マシーン"という概念を知り、マーシャル・マクルーハンの"メディア論"なんかを読み、さらにはインターネットの登場と現在につながる高度情報化社会を理解するにつれ、あるいは今また地域性の強い複雑な社会の中へ飛び込んでいくにつれ、現在でもレヴィ=ストロースが述べていた"冷たい社会"の"不可視の構造"が自分の中で最もベースになっている事がよく理解出来るのであった。

そういえば、研究仲間がまとめた北方系狩猟採集民研究の書籍の評論文を僕が書いた際、"冷たい社会をこえて"という気取ったタイトルを付けた事があった。今思えば恥ずかしい...。

合掌。

Levi_strauss


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