YAMAKOME

気まぐれ山・旅日記

白糸の滝

2014-07-15 08:47:46 | Weblog
白糸の滝
H26.07.14 曇り
台風は比較的静かに通り過ぎてくれた。梅雨前線が台風に押し上げられて、これで梅雨明けとなるのが一般的だが、蒸し暑くはっきりしない天気が続く。ところで自宅近くにある白根神社の境内を川(中堀川)が流れている。そこに幅7メートル、落差3.2メートルの滝がある。この滝が横浜市内で最も大きな規模の滝だというから驚きだ!枝葉のきれいなモミジがありとても落ち着く場所だ。近くの図書館の帰り道は必ずここを通り、急な坂を登って神社に二礼二拍一礼し、何やら神頼みをして帰るのだ。(写真:白糸の滝。白糸の滝は全国どこにでもあるが、ここは、夏は間近で涼めるいい場所だ)
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大塚遺跡5(高床式倉庫)

2014-07-04 20:45:49 | Weblog
大塚遺跡5(高床式倉庫)
H26.07.03 曇り
 収獲した穀物等を保存する高床式倉庫の復元があった。穀物等を湿気から守る、ネズミから守るなどのため高床式になっている。土台柱には1メートルぐらいの所にネズミ返しがついている。集落ごとにこのような倉庫が作られていたようだ。それにしても昔のネズミはジャンプ力がなかったのかなあ。現代ネズミなら1メートルぐらいは簡単に飛び越すと思うがなあ。(写真:高床式倉庫)
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大塚遺跡4(竪穴式住居内部)

2014-07-04 20:42:08 | Weblog
大塚遺跡4(竪穴式住居内部)
H26.07.03 曇り
 小学校6年生が社会見学で40人ほど来ていた。子供たちは住居内に入り、「くさい!」「カビが生えている!」と言って住居から飛び出してきた。昔は、火を起こして煙を出して生活していた時代は、さぞかし快適だったことだろう。今は人が住んでいないので、臭い、カビは当然のことである。長期保存に努めるよう、工夫が必要だ(担当者を配置して、煙でいぶしたほうがよいと思われるが)。(写真:竪穴式住居内部。天井等がとても綺麗だが、虫の住み家になっていることだろう)
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大塚遺跡3(竪穴式住居)

2014-07-04 20:22:53 | Weblog
大塚遺跡3(竪穴式住居)
H26.07.03 曇り
 住居跡は小型、大型の住居が27軒発掘されたが、そのうち7棟が復元されて建っている。この維持管理は大変なことであろう。昔、住居では木を燃やしたり、藁を燃やしたりして、住居内に煙が充満していたことであろう。この煙が茅葺きの屋根には重要なのである(虫よけ等)。(写真:大型の竪穴式住居)
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大塚遺跡2(竪穴式住居跡)

2014-07-04 20:19:38 | Weblog
大塚遺跡2(竪穴式住居跡)
H26.07.03 曇り
 竪穴式住居は大塚遺跡のほぼ中央で発見された。表面をガラス繊維強化セメント樹脂で再生し、表面の色は調整モルタル、保護樹脂を塗布している。発掘当初の構造、空間を体験できるようにしたのだそうだ。われらの御先祖様に敬意を表したい。また、保存に努力された方々にも敬意を表したい。(写真:竪穴式住居跡)
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大塚遺跡1

2014-07-04 11:03:37 | Weblog
大塚遺跡1
H26.07.03 曇り
 博物館の隣に大塚・歳勝土遺跡公園があった。弥生時代の竪穴住居・環濠・墓地などが復元されている。横浜市域は、縄文晩期から弥生前期には住む人が少なくなったが、弥生中期頃からたくさんの人々が移住してきたと考えられている。土器の類似から神奈川西部、静岡東部からの移住とも言われているが定かではない。海から離れた高台に住居を構えた。低地の水田、海との行き来、毎日がハイキング(?)で、当時の人は足腰が丈夫だったんだろうなあ!(写真:大塚遺跡の住居群)
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横浜市歴史博物館3

2014-07-04 11:00:41 | Weblog
横浜市歴史博物館3
H26.07.03 曇り
 歴史博物館は「横浜に生きた人々の生活の歴史」をテーマに、2万年にわたる市域の歴史を6つのブースに分けて丁寧に展示・説明がされていた。2万年前は氷河期で地球が寒い時代であった。海面が今よりも約100メートルも低かったというから、今の東京湾(最深部は約70メートル)はすべて陸地であった時代だ。いろいろ勉強になる。それにしても入館者が少ない。勿体ないことだ。(写真:歴史博物館内の一部。横浜市民はどんどん利用しよう!特に高齢者、濱ともカード提示で無料ですヨ!)
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横浜市歴史博物館2

2014-07-04 10:40:26 | Weblog
横浜市歴史博物館2
H26.07.03 曇り
 佐久間象山展をやっていた。佐久間象山は信州(長野県)松代藩出身で若いころから学問に長けており、西洋の科学技術を取り入れるなど素晴らしい才覚を持っていた。また医学にも興味を持ちいろいろな医療を実践した。象山は江戸で塾を開いた。その門下生に勝海舟、吉田松陰がいる。ちなみに象山は42歳で25歳年下の妻・順子(勝海舟の妹)と結婚した。ペリー来航後の日本の開港は下田と決まったが、これを「横浜にすべし」と進言したのが象山だ。後に幕府は象山の説を受けて横浜を通商交易港として開港した(象山は通商交易目的ではなかったが)。(写真:横浜歴史博物館入口。象山は数学に興味があった。また地震予知器を開発、オランダ語辞書作成など多彩な分野で活躍。53歳で京都で暗殺された)
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横浜市歴史博物館1

2014-07-04 10:32:31 | Weblog
横浜市歴史博物館1
H26.07.03 曇り
 畠山重忠公生誕850年のいろいろな行事が横浜市旭区で行われている。7月1日に旭区民文化センター(二俣川)で重忠公の講演会が行われた。講演者は横浜市歴史博物館副館長、平野卓治氏であった。「横浜市歴史博物館に行ったことのない人はいないですよね・・」とひねくられた。正直、長年横浜に住んでいながら、歴史博物館が何処にあるのかすらわからなかった。(写真:横浜歴史博物館。横浜市営地下鉄(グリーンライン)センタ―北駅から徒歩5分程度)
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