紅桜篇映画化決定のお祝いに書いたものです。てか、これ紅桜篇の感想文ですよね氷輪(ひょうりん)とは秋の月の呼び名のひとつです。この前の子銀と松陽先生の話とは違う月のイメージで書いてみました。月って、いろんな情景が浮かびますよね
『氷輪』
満ちるには二日ばかり足りぬ。
薄く張り始めた氷のように未完成な月が、濃灰の空に張り付いている。
危ういほど研ぎ澄まされた光。
じわりと溶け出でる柔らかな色。
秋の月は、不安定な夜色を創り出す。
月光をちらちらと落とす森は銀時の姿を斑に見せている。
乾いた音。
積もり始めた朽葉の道を、銀時は歩く。
夏の勢いを失った木々は、容易に風に貫かれ、葉を落とす。
軽い音と共に降り注ぐ朽葉に、銀時の姿は、なお曖昧になった。
都会には珍しく、人を遠避けるほど鬱蒼とした森。
月明かりがあるとはいえ、夜更けに足を踏み入れるのは、己が身を守る術を持つ者だけかもしれぬ。
山の神を祭る小さな社が目に入った。
戦で夜露を凌いだ蓬生(よもぎう)の社を思い出させる。
ひとり見張りに夜居すると浮かび来る、血に染まりこと切れる戦友たちの顔。
そのとき囚われた虚しさが息を吹き返し、胸に黒い靄が渦巻く。
昨晩。
旧友の夢を見た。
もう、友とは呼べぬ、その影。
代々藩の要職に就く厳格な家の嫡男でありながら、放れ牛と称されるほど気が強く奔放で、真っ直ぐな子だった。
頬杖をつき気だるげに師の話を聞く姿とは裏腹に、誰より師に傾倒していたことを、銀時や桂は承知していた。
喧嘩ばかりしながらも、師を想う心は確かに繋がっていた。
今。
その男は真っ直ぐな光で獣たちを導き、己は憎悪に呪縛されている。
大切なものを得ることを拒み、残り陽を護ることをも拒む。
今も。
師を慕う気持ちは、違(たが)ってはおらぬはずであるのに。
もう友ではないと言いながら、師を想うとき、その後ろに桂と共に在る顔。
――― 高杉・・・
名を口にするのが怖ろしい。
怒りに抑えられた憂いが、漏れ出でるようで。
友であるからこそ刃を交えねばならぬこともある ―――
そんな綺麗ごとで、どうして収まりきれようか。
だからこそ。
全力で。
そう、桂と共に叫んだ。
それは、揺らいではならぬ決め事となった。
たとえ、理不尽に師を失った憤りの凝った闇が、高杉と同じ闇の固く鋭利なかけらが、身体の内奥で転げ回り、ぢくぢくと臓物を刺すことがあろうとも。
風が抜ける。
夜色に白く浮かび上がる芒(すすき)は幾重にも交差し、風にうねる。
葉を鳴らし、消え入らんばかりに細いけもの道を抜けると、途端に視界が開けた。
風景をふわりと包む薄闇。
耳障りな静寂。
街を見下ろすこの千草の原は、銀時が縋る場所であり、嫌悪する場所でもある。
貪欲に天を目指すターミナルは煌々と光を放っている。
取り囲み、傅(かしず)くように立ち並ぶビル。
それでも。
その外に広がるのは肩を寄せ合う瓦屋根。
そこには確かに、昔から変わらぬ人の営みが在る。
地に張り付いた歓楽街の明かりもそこに在る。
かぶき町。
前を見て歩こうと思わせてくれた場所。
護るべき荷を、再び背負わされた居所。
今居る場所で、自分であればよいのだと思う。
何処に在っても、師の教えが自分の芯を支え、血肉となってくれる。
ただひとつ。
囚われ逃れられぬ恐れがある。
――― また、護れなかったとしたら・・・
闇が増幅し、今度こそ、人には戻れぬ夜叉と成る。
だから。
――― 高杉、俺がおまえを止めてみせる。
それは、己が腹に有る闇のかけらへの言葉なのかもしれぬ。
2009.11.05