河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史35 昭和――春やん戦記➆

2023年08月16日 | 歴史

4月11日にバターン半島を攻略したが、半島尖端から4キロの距離に浮かぶコレヒドール島の攻略という難関が待ち受けていた。
東西7キロほどのオタマジャクシのような形をした島なんやが、周囲6キロの島は断崖絶壁で、その上にコンクリートに鉄板を張り詰めた陣地を巡らし、オタマジャクシの頭には、十六インチ要塞砲や三十サンチ加農砲、高角砲などがズラリと砲口を並べている大要塞や。
そんな「浮沈軍艦」と呼ばれたコレヒドール島攻略作戦に、我々の部隊にも出動命令が出た。
島の攻略に歩兵が刈り出されるということは、最も危険な敵前上陸をせよというこっちゃ。
小さな島の敵の懐に上陸したんでは逃げることも出来んがな・・・。
こら、ほんまにアカン!
三日後の5月4日は、半島の突端のジャングルの中で夜を過ごした。夜空に輝く南十字星を見ながら、いよいよ明日が最期かと、小春に別れを告げた。

次の日の夜の11時前に、半島の南端に設置された100門の砲撃と、空からの爆撃機の攻撃が始まった。
耳をつんざくような爆音の中、わしらにも出撃命令が出た。
砂浜から10mほどの所に停泊している大発艇(上陸用のボート)に乗り込むために道を急いだ。
そのときや! 
待ってましたとぱかり、要塞から一斉に照明弾、曳光弾が打ち上げられた。
空が明るくなったと思たら、50センチほどのドラム管のような爆弾が飛んでくるのが見えた。
・・・わしが覚えているのはそこまでや・・・。

5月5日の上陸から三日後の7日、米極東軍司令官が無条件降伏を申し出て、フィリピン島は完全に攻略された。
それを知ったのは、マニラの病院あった。
病院というても、ベッドに寝かされるのは将校で、わしら星一つ(一等兵)は、教会のような大部屋の床の上あった。
敵の砲榴弾(爆発と同時に散弾が飛び散る爆弾)を受けて、左目は包帯で巻かれていた。
その他にも、左腕と左足膝をやられていた。
幸いにも急所を外れていて意識ははっきりしていたのやが、疲れで二日間眠ってたそうや。
ああ、腹が減った・・・そう思うと同時に・・・ああ生きてるんやと思た。

十日もすると手足を動かせるようになった。左目もうっすらと見えるようになってきた。
それでマニラに野営している部隊にもどったんや。
一か月ほどした六月の末に復員命令が出て、7月7日に大阪に帰ってきた。
彦星が織姫と逢える日やと思うて聖天坂の家に帰ったが、小春は居らんかった。
隣の天外さんの奥さんに訊いたら、四国へ巡業に行ってるということあった。
奥さんが知らせてくれたんやろう。しばらくしたら小春からハガキがきた。

「前略 〇〇で負傷されたと聞いて驚きましたが、たいしたこともなく〇〇にご帰還されたこと嬉しく思います。今は〇〇中で、〇〇の劇場を中心にして、〇〇〇〇を巡業しております。
八月日ぐらいには〇〇に帰れることと思います。〇〇〇〇〇・・・。かしこ」
なんやこれ、黒塗りだらけやないかい! と思たが、最後に「🍊💧💧」ミカンから雫が垂れてる絵が画かれてた。
なんのこっちゃ?
ミカンの雫・・・? ミカンの汁・・・? 
あっ!
ためしや思て、炭火でハガキをあぶったら、文字が浮き出してきよった。あぶり出しあったんや!
「生きて還ってこそ日本男児。ほんまに嬉しい。早く逢いとうおます」

拠点にしている四国の劇場の住所を訊いて、わしもハガキを送ったった。
「はからずも負傷し、御国のために名誉の戦士ができず誠に無念なり」
その後に「蜜柑の汁」の絵を画いて、あぶり出しで大きく書いたった!
アイラブユー!

※『沈まない軍艦 : 中級向』 鈴木栄二郎 絵 (国立国会図書館デジタル)
※竹久夢二 (国立国会図書館デジタル)

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2023-08-18 22:16:50
春やん戦記、夢中になって読ませてもらいました。
執筆ありがとうございました。
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Unknown (上水分の元氏子)
2023-10-18 18:40:07
南河内で育ち、社会人になるとともに南河内を離れた者です。
仕事の関係で地元を離れざるを得ず、早や15年以上すぎました。

歳のせいか、最近、故郷である南河内のことを思い出すことが増え、地元の歴史などについてネットで調べてみたり、記事を読んだりするとが増えました。

先日、偶然、このブログに出会い、
春やんの歴史物語を読んで、自分の知らない南河内の歴史やいろいろなことが書かれていて、夢中で読ませていただきました。
これほど惹き込まれる文章というのも感動でしたし、
春やんが幼い頃に友達の家に居たきつい河内節じぃちゃんでとても懐かしく、そして、河内のおっさんでこういうぶっきらぼうでも暖かかったなぁと思い出しました。

今週末は下水分神社も秋祭りですね。
自分は上水分神社の氏子として、若い自分はだんじりも曵かせてもらいました。
今週末、川面町さん含め、喜志地区のだんじりを見に喜志の宮さんへ初めて行ってみようと思います。

春やんのブログ、楽しみにしています☺️
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Unknown (Unknown)
2023-10-19 08:44:28
ご好意的な感想ありがとうございます。
泥臭ーい中にも清らかなものがある。いっちょかみながらどっしりとしたものがある。そんな河内のおっさん、おじんになれたらなあと思っています。
ワクワクとする歳ではありませんが明日から秋祭り。こっちは逆に上の祭りや俄を見に行きたいのですが、日にちが重なっているので、なかなか叶いません。
ありがとうございました。今後ともよろしく頼んます!
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