河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

その25 江戸――俄の始めは河内の俄④

2022年07月29日 | 歴史

 又六、市助、弥平の三人が、次に住吉に向かったのは、田植えが済み、綿花も植え終えた七月の初めっ方や。

 例のごとく、毎日、おとらの婆さんをおちょくって一か月がたった。ほんでもって明日は喜志に帰るという最後の日のことや。

 

 真夏の日照りの下の作業を終えて、宿舎でぐったりとしていると、そこへ加賀屋甚兵衛さんがやってきた。

  「今日から、住吉さん(住吉大社)の夏祭りじゃ。酒と肴は存分に用意したし、里への土産も付け添えた。皆も祝い願うて、身を休めてくだされ。このひと月、ごくろうさんでしたなあ」

  いつもとは違うごっつぉ(御馳走)が出て、皆はどんちゃん騒ぎの大騒ぎや。

 その時、遠くの方から夜風にのって祭囃子が聞こえてきた。

 すると又六が、「祭りや! どないや、ひとつ俄でもしに行こか」と言うと、市助、弥平も賛成せんはずがないがな。

 甚兵衞さんが用意してくれた土産物の中から子どもがまたいで遊ぶ「春駒」という馬のおもちゃを見つけ、それに飲みあかした酒樽をくくりつけた。それを又六がささげ上げ、市助が米びつの底をしゃもじでたたき、弥平が大根持って、祭りの参詣人でごったがえす住吉大社の参道へ走り出しよった。

 ほんでもって、人ごみの中を踊りながら大きな声で囃し立てた。

 「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ。思い出した。にわかじゃ、にわかじゃ!」

 なんのこっちゃ分からんやろうけど、今のような地車(だんじり)が出来るまでは、祭りになると、大八車に、神社に奉納する酒や米・野菜を積んだのを馬に引かせた地車(だんじり)で、村人総出で、太鼓たたいて「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ」と囃し立てて宮入をしてたんや。それをおもちゃの馬と酒樽・米びつ・大根で見立てよったわけや。

 これがえらい受けて、周りの人も三人に付いて行って踊り出したというこっちゃ。

 実は、この話は江戸時代の『古今俄選』という本に書かれていて、今の漫才や新喜劇の元となった大阪俄は、三人がやった俄から生まれたとされてるんや。

 つまり、大阪俄の元となったのは河内俄ということや

 ええか、加賀屋甚兵衛さんは、店を大きくして、世のために新田開発しやはっただけではなく、大阪俄も作らはったというこっちゃ。

 そんな偉いお人が喜志の村にいたはったんや。それを見習うて、えげつない悪さするんやないぞ。

 そう言って春やん、赤い風呂敷に包んだ折箱を提灯のようにして、「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ。にわかじゃ、にわかじゃ」と囃し立てながら帰って行かはった。


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