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河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話143 / 涼っしーい! 

2024年08月15日 | よもやま話

暑いときに、熱いうどんを食べれば、さぞかし暑いだろうと思っていたら、今日の昼食は熱いうどんだった。
まちがいなく暑かった。
外は、四川風の味付けで、中華鍋で炒められているような暑さ。
噴出する汗。
そのせいか、クーラーの効きも悪い。
涼し気な音楽はないかと探すと、「ジャングルの朝」というヒーリング音楽があった。
ギャーギャーと鳥が泣き叫び、キーキーと猿が木々を渡る。
余計に暑くなった。

暑さで、久しく遠出をしていなかったので、涼しい所へ旅に出た。
年寄りに、海辺はハイテンポすぎるので、山あいの静かな旅館を予約した。
黒鉄も溶けよと照り付ける下を、フェラーリのクーラーをがんがんに効かして車は走る。
どこにもありそうな麓の街で昼食をとって、夏木立に囲まれた、ほの暗い舗道へと入って行く。
もはや、クーラーは必要なかろうと、車の窓を開ける。
隣の相方の膝に、ちょこんと座っていた犬のエンゼルが、窓から顔を出して、涼しい風に毛をなびかせる。
やがて、古びた屋根の一角が杉の梢に現れて、目的の宿に着いた。
ペット同伴可能だが、畳の間はご遠慮くださいと、部屋続きの、外に面した広縁に犬のゲージが用意されている。
レッグカバーとマナーパンツが用意されているので、寝るとき以外は犬と一緒に過ごしてもかまわないという暗黙の約束。
  ◇
風呂や食事には、まだ早いので、三人で外を散歩する。
見上げると、皆これ百年の古木で、滴る露の一つ二つが襟もとに落ちる冷たさ。
片方には、苔むした石清水が、溢れんばかりに玉の雫をほとばしらせて、今日までの暑さを吹き飛ばしてくれる。
それが珍しいのか、エンゼルが清水に近づき、右前足をそっとつける。
その冷たさに驚いたのか、クウと言って、私たちを見る。
その、なんとも言えない可愛いさ……。

また、やってしまった!
ペット? フェラーリ? トラベル?
そんな余裕なんぞ無い!
また……、妄想してしまった!
なんとも……物憂げな、お盆の昼下がりである。

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茶話142 / つき草

2024年08月14日 | よもやま話

えっ! 今頃、咲くのか!
その花の名前から梅雨の時期に咲くのかと思っていたので意外だった。
俳句でも秋の季語になっている。
 露草も露のちからの花ひらく /飯田龍太
「畑141 /春の日」で書いた露草。
なんとも清らかな青い花を、雑草の中に咲かせるのはもったいない。
そう思って、畑の畔に芽を出していたのを、家に持って帰って鉢に植えた。

畑でしょっちゅう見ている花だが、育ててみると意外なことだらけの植物だ。
横に根を伸ばすのかと思っていたが、直根で地中深くに根を伸ばす。
最初は小さな鉢に植えていたのを大きな鉢に植え替えた。
茎が土に触れると、あっという間に根を出す。
そこからまた茎を伸ばす。
綺麗な花を咲かせなければ、ずいぶんと厄介な雑草だ。

黄緑色した包葉(ほうよう)という、二枚貝のような変形した葉の中から花を咲かせる。
強い日光に当たるとしぼんでしまう一日花だ。
だと思っていたが、次の日に、また花を咲かせている。
なんのことはない、包葉の中には三つ蕾があって一日おきに咲くのだ。
鮮やかな青色を引き立てている黄色いのは飾り雄しべで、その下からにょきっと伸びている白い二分音符のようなのが本物の雄しべ。
黄緑と青、そして黄色と白が、この花の美しさを奏でているのだとわかる。

美しい青色は奈良時代から染料に使われていた。
布にこすりつけるとすぐに色が着く。
そこから「つき草」という別名がついた。
清少納言は『枕草子』の中で「つき草、うつろひやすなるこそうたてあれ(ツユクサの青色が、すぐに色あせてしまうのにはがっかりしちゃう)」と言っている。
色は着きやすいが、すぐに退色してしまうのだ。
だからといって、がっかりすることはない。
退色しやすいのを利用して、染物の下絵の絵の具に利用して発展したのが友禅染なんだから。

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茶話141 / 杞憂

2024年08月07日 | よもやま話

地球は丸いというのは常識だが、古代中国では「天円地方」、天は円(まる)く、地は方形であると考えられていた。
これを聞いた「杞」という国の男が、それなら、いつか天が落ちてきて、地が崩れてしまうのではと心配して、夜も眠れず、食事も喉を通らなくなった。
それを見かねた人が、「天は大気で覆われているから落ちないし、地は頑丈な土の塊だから崩れることはない」と説得した。
それを聞いて、杞の国の男は、無用の心配して憂えていただけかと、ようやく安心した。
中国の古典『列子(れっし)』の中にある「杞憂(きゆう=杞の憂え)」というお話。

明日何が起きるのかは誰にも分からないのだから、それを心配してもどうしようもない
しかし、何が起こるか分からないという危険に、無防備でいるのは無謀だ。
天地が崩壊することには対処のしようがないが、地震や台風などの被害には、予め備えることができる。
にもかかわらず、出来得る限りの防備をやっても、災害がおこらなければ、取り越し苦労になって杞憂だと言われてしまう。
そんな杞憂が何度か続くと、人は安心して無防備になる。
そのときに限って、杞憂ではないことが本当に起きてしまう。
我々は、杞憂と無謀(=無防備)の間(はざま)を常に彷徨(さまよ)っている。

株価が大きく下がった。
世界的な金融危機でもないのに、日本だけがパニック売り。
高度経済成長期や今回のように株価が上がり続けたとき、人は無防備になる。
『アリとキリギリス』のキリギリスのようなもので、夏秋にさんざん遊び惚けて、冬が来たときにあたふたとする。

 あやまちはくりかへします秋の暮 /三橋敏雄
「あやまちはくりかえしません」という広島の平和の誓いをもじって、ふざけているようだが、季語の「秋の暮」には覚悟のようなものが感じられる。
人間は同じ過ちを繰り返してしまうものだが、絶対に「あやまちはくりかへしてはならないのだ」と居直っているのだ。
 忘れちゃえ赤紙神風草むす屍 /池田澄子
赤紙は召集令状,神風は特攻隊,草むす屍は未だ遺族のもとに戻らない戦死者の亡き骸をいう。
あのとき、守りたくても守れなかった。それを忘れようとしても忘れられない人々がいる。
一方で、戦後何十年も経つと、戦争の思いは少しずつ風化して忘れ去られていく。
「忘れちゃえ」の投げやりでぶっきらぼうな言葉には、戦争というものに無防備になっていく人々への批判がある。
「忘れたきゃ忘れなさいよ。どうなってもしらないから」という現実に対する抵抗の精神が伝わってくる。
むやみに杞憂するのはよくないが、無防備はもっとよくない。
 泉あり 子にピカドンを説明す /池田澄子

※三橋敏雄=1920年11月8日 - 2001年12月1日)の俳人。池田澄子=1936年3月25日 - )の女性俳人。

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茶話140 / 四季

2024年08月03日 | よもやま話

こぼれ種で畑のあちこちに生えている松葉牡丹。
「畑タコ」で書いた雑草のスベリヒユの仲間だから、この暑さの中でも剛健に育つ。
写真には写っていないが何十匹ものミツバチが飛んでいる。
近くに寄っても刺してこない。
クマのプーサンになった気分。
みんな、後ろ足にコロッコロにした花粉を抱えている。
野生化して、どこかに巣をつくって蜂蜜をいっぱい蓄えているのだろう。

そういえば、今日は8月3日……はちみつの日。
明日4日は新月。
ということは、旧暦の7月1日(朔日)。
旧暦では1月、2月、3月が春で、4月、5月、6月が夏。 秋は7月、8月、9月で冬が10月、11月、12月となる。 
今年は、少し遅れて7日が立秋。
とはいえ、季節なんぞはゆっくりと移ろうもので、少しずつ秋が感じられますよ……というのが立秋。

四季があることは味わいがある。
日本だけではなく、日本と同じ緯度の国なら四季がある。
しかし、日本の四季は春夏秋冬がはっきりとしている。
春はハナミ 夏はスズミ 秋はツキミ 冬はユキミ……で酒が飲める。
すこし難しくいえば、春山は笑うが如く 夏山は滴るが如く 秋山は粧(よそお)うが如く 冬山は眠るが如し……である。
人生にも四季があるのだとか……。
 目はかすみ 耳に蝉鳴き はは落ちて 頭に雪の積もりけるかな

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茶話139 / よどむ

2024年08月01日 | よもやま話

晴天が続いて畑に田んぼの水を入れた。
野菜はさることながら、雑草も待ってましたとばかりに息を吹き返す。
焼けつくような陽射しにもめげることなく、植物はぐんぐんと大きなる。
植物が我が物顔にはびこっているのに、逆に、人はぐったりとしなびている。
炎暑の昼は、クーラーを利かした暗い部屋でじっと淀む(澱む)しかない。
夏の炎天下に虚しく過ごす時間の何んと長いことか。
生ぬるい水の底に沈む泥のように澱んでいる。

よどむ……。
川の流れの滞る場所を意味する「よど(淀・澱)」に、動作を表す「-む」がついて「よどむ(滞る・沈む)」という動詞ができた。
 洗ひ衣(きぬ)取替川(とりかいがわ)の川淀(かわよど)の淀まむ心思ひかねつも  /万葉集
(洗いたての着物に着替えるかのように、他の女に乗り替えでもしたのかしら……。だから、私の所へ通うのをためらっていらっしゃるのね。そう思うと、悲しくて耐えられないわ)
取替川は鳥飼川のシャレ。鳥飼川は淀川の別称。淀川に架かる鳥飼大橋はその名残。
男が心変わりしたのか、女の所へ通うことが滞る(淀む)。
それを思うと女の心は沈む(淀む)。
二人の関係に澱みができる。

「流れる水は腐らない」という諺(ことわざ)がある。逆に、「淀む水に芥(あくた)たまる」ともいう。
何ごとにつけても、流動、活動しているものには、沈滞とか腐敗といった現象は起きない。
日々の生活が常に同じ状態だと、いろいろな問題が起こってくる。
流れてやまない川の水のように、刻一刻、新たなものにしていかなければならない。
昨日より今日、今日より明日なのだ!
しかし、昨日も今日も、明日も暑い!

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