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河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話157 / 大胆不敵

2024年12月10日 | よもやま話

法事があって、終わった後に食事会があった。
一般的には「お斎(おとき)」というが、関西では「仕上げ」という。
少し酒が入ったので、帰りは知人(年下)に車で送ってもらった。
家の前で車を降りる時、一瞬、迷った。
お礼の言葉を何て言おうか?
100%の人間関係ある友人や年下の親戚なら「ありがとう」で済む。
50%ほどの人間関係で、年下の知人には何て言おうか?
「ありがとうございます」は丁寧すぎる。
「ありがとう」では失礼になる。
一瞬迷って出た言葉が、
「おおきに」

「おおきに」は、関西弁で〈ありがとう〉の意味になる。
古語の「おおきなり」の連用形で、〈大いに・たいへん〉の意味。
だから、関西弁の「おおきに」の正式な言い方は、「大きに、ありがとうございます」になる。
つまり、肝心な「ありがとう(タメ)」「ありがとうございます(敬語)」を省略しているのだ。
英語の「Thank You very much」の「very much」だけを言っているだけで、肝心な「Thank You 」が抜けているのだ。
だからこそ、相手との人間関係が関係なしに、タメも敬語も関係なしに遣える言葉なのだ。
なんとも大胆な省略だこと。

我々は、日々、相手との人間関係を考慮して会話している。
言葉が丁寧過ぎると、相手と距離をとることになる。
だが、短かく省略すると、距離が近づくことになる。
つまり、言葉の長短で敬意の度合いや親密度が変わるのだ。
関西商人は、それをよく知っていて、言葉を短くして客との距離を縮め、商売をうまく成立させていたのだ。
関西弁の「おおきに」は、関西商人(あきんど)」の知恵が詰まった言葉なのだ。
まあ、なんとも大胆な省略だこと。

昭和の昔、八百屋でキュウリを1本買うと、「毎度! おおきに」と返ってきた。
「毎度、お越し下さいまして、大いに、ありがとうございます」
まことに、なんとも大胆な省略だことよ!

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茶話156 / わわわわわ

2024年12月03日 | よもやま話

わわわわわわわわわ……。
日曜日に孫たちが来て、パソコンで記事を書いている私の周りをキャツキャと走り回る。
自分の子どもだつたらなら「こら! うるさい!」と怒鳴る。
しかし、我が子のようで我が子ではない、ペットのような孫だからそうはいかない。
回転椅子から振り返って「危ないがな」と優しく言う。
その瞬間、回転椅子の背もたれが、パソコンディスクに当たって、置いていたコーヒーカップが倒れた。
それもキーボードの上にたっぷりと。
わっ!
驚いて、慌てて、キーボードを逆さにして、水、いや、コーヒーを流し落とす。
パソコンを終了して、ドライアーで乾かす。

わわわわわわわわわ……。
次の日、ワードを開いて入力してみると異常がない。
よかったよかった吉永小百合と、機嫌よく記事を書いてく。
ところが、突然、どのキーを押しても入力出来なくなった。
わっ!
「な」と打っても、「ん」と打っても、「で」と打っても、まったく反応しない。
なんで?
それどころか、ワード自体を終了することができない。
ということは、パソコンが終了できない
なんでやねん?
結局、強制終了。

わわわわわわわわわ……。
そして、今日、パソコンを起動させると、いつものように立ち上がった。
ワードを開いて入力してみると異常がない。
よしよしよしの吉幾三と、書き残した記事を書いていく。
ところが、ある時、「わ」と打ったら……、
わわわわわわわわわ……
……「わ」がひたすら暴走していく。
Enter押そうが、Esc押そうが、止まらない。
わっ! わわわわわっ!
どないしよ!
わけわからん!
結局、またしても、強制終了。

早速、ジョーシン電機へ。
新しいの買ってきて、今は快調に入力できる。
しかし、あの時の恐怖で頭の中では……、
わわわわわわわわわ……が暴走している。

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茶話155 / 秋の遠足

2024年12月01日 | よもやま話

今週は日・火・木と雨が降って畑に入ることが出来なかった。
今日(金)も雨模様で、もはや冬眠状態。
我が相方に、「遠足(弁当を買ってドライブ)に行こうか」と言うと、返事もしないで着替えに行く。
その間、前の遠足は何時だったかと……思い出そうとしても思い出せない。
遠足から帰って日記を見たら6月14日以来。
なるほど、掛かりつけ医が引退して、薬を飲まなくなった時と一致する。
そのあたりから血圧が180まで上がっていて、運転がおっくうになっていたのだ。
それが、四日前に半年ぶりに医者に行って、薬をもらって、血圧が下がって、気分がよくなって、遠足に行く気持ちになったのだと納得した。

とりあえず、あてもなく、竹ノ内峠を東へ(奈良方面)。
唐楓の並木が見事に紅葉している。
二上山の頂上の紅葉も綺麗だ。
ならば、吉野の方へ向かおう!
途中のスーパーで弁当を買って、まずは明日香のキトラ古墳へ。
といっても、中心施設の壁画体験館四神の館へは行かない。
500mほど手前にある檜隈寺跡前休憩案内所に向かう。
ここは来る人が少ない。
冷暖房が効いたガラス張りの広い休憩室で、きれいな景色見ながらのんびりと食事が出来る。
自分の身体と身の程を思うと活動範囲も活動場所も、だんだん限定的になってくる。
歳をとるとは、こういうことなんだと……徐々に納得できるようになる。

休憩所を出て、いざ吉野へ!
途中の寄り道は、道の駅 吉野路大淀iセンター。
 ここにも冷暖房の効いた広い休憩所がある。
弁当をキトラにするか大淀にするかは、その時の時間次第で変更する。
20分ほど、ぶらぶらとヒヤカシて、結局買ったのは、いつものキュウリの古漬け。
オカイさんと食べたら絶品のグルメになる。

道の駅を出て、いざ吉野へ!
ところが、半年も2時間以上の運転してないので疲れてきた。
そこで、10分ほど先にあるライフ大淀店へ。
おそらく吉野町で一番大きいスーパーだろう。
なんといってもエレベーターが有って、イオンみたいに何でも売っていて、たまにミスドのドーナッツなんかも売っている。
新しく出来たセリアで安い買い物して、いざ吉野へ!

しかし、やっぱり辛どい!。
もはやこれまで、吉野の紅葉は来年にして、帰り道にある「いちごんさん」の紅葉を見に行こうと奈良の御所へ向かう。
大和葛城山麓にある神社で、正式には葛城一言主神社(ひとことぬしじんしゃ)という。
杉木立の参道を抜けると、境内へ上るもみじは真っ赤。
境内には樹齢1,200年の大イチョウがあって、これも真っ黄色。
イチョウの葉っぱに触れてパワーをもらってお参りだ。
ここの神様への願い事は、その名の通り「一言」でなければならないという。
そんなこと言われても願い事はたくさんある。
ええーい、ままよ。
「私の願いを全て叶えてくださいますよう」

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茶話154 / 友達たくさんできるかな

2024年11月27日 | よもやま話

6月に、小学校の同窓生の掛かりつけ医が、もう歳だからと引退した。
「すまんけど、他の医者を探してくれるか」と言われていたが、しばらく経っても異常がない。
家で血圧を測っても、140前後の歳相応の数値。
こりゃ、案外、薬を飲まなくても大丈夫なんだと自己判断。
「薬から病を起こす 」「薬は身の毒」なんてことわざが有馬温泉。
半年近く医者通いせず。
薬も飲まずに放ったらかしにしていた。

ところがどっこい北の湖。
10月頃から歯が痛い。
肩をボキボキ、首をネジネジ、調子がへん。
耳も詰まった感じがする。
なんてーこったい肩こったい。
こいつぁー駄目だと勘念して、半年ぶりに新しいクリニックへ。
診察を待っているのは年寄りばっかし。

まずは「血圧を測りますね」と優しく言われて腕まくり。
シューシューと空気が入る。
さて、どのくらい?
と、思ったら、空気が抜かれて測り直し。
こんな時は毒なことはない。
これだけで血圧が上がる!
測り終わって医者が一言「180」。
な、な、なんと、南都は奈良の興福寺!
体の裏表に聴診器当てられ、おまけに血を抜かれて血糖検査。

結果、「前と同じ薬を出しときますから、しばらく様子をみましょう」ときたもんだ。
「薬無ければ病なし 」「薬多ければ病甚だし 」なんてことわざを信じてはならないのだと納得。
それでもって、再び薬漬け!
診察を待つ年寄りの一員になった。
兼好法師が言っている、
「よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには 医師(くすし)。三つには智恵ある友」
医師とも仲良くやっていくとするか!

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茶話147 / 眠り

2024年10月03日 | よもやま話

若いときは睡眠時間四、五時間という時もあったが、今は8時間眠ることにしている。
研究によると、レム睡眠(浅い眠り)とノンレム睡眠(深い眠り)の山が五回あるのが良いらしい。
一つの山が1.5時間として「1.5×5回」で7時間30分がベストだという。
もちろん、個人差があって、8時間の人もいれば、7時間眠ればよいという人もいる。
どっちにしても、人生のほぼ3分の1(1/3)は眠っていることになる。
一日の1/3眠って、1/3働いて、1/3は私的な時間をもつというのが理にかなっている。

何かの会合で10㎞ほど離れた会場へ車で行く。
会合が終わってからの帰り、道に迷う。
銀行のビルがある交差点に差し掛かる。どっちへ行こう……と右折する。
二車線の広い道路を数キロ走ると、一車線の道路になり、閑静な住宅街に入る。
碁盤の目のように区切られた道をグルグルと回る。
そのうち、出口が見つからなくなり、同じ道を何度も永遠に堂々巡りしていた。

昨日は9時に寝て、真夜中に目が覚めた。時計を見ると0時、浅い眠りのレム睡眠だ。
ガレージのトタン屋根を打つ雨音が聞こえる。
道に迷ったのは夢だった。
同じ夢を、もう何度も見ている。
それも一寸たがわず、まったく同じ夢だ。
よくよく考えると、明日は雨という日に限って同じ夢を見ている。
大雨が降って増水すると、かってにしぼむ風船ダムの管理を任されている。
ダムがしぼんだ後に減水した時、その風船ダムに空気を入れて起立させるのが役目だ。
これは、ちょっとしたストレスである。
それに、雨が降ると畑仕事ができない。これもストレス。

ある研究によると、繰り返し同じ夢を見るのは、農が、寝ている間につらい出来事を処理してくれているのだという。
夢占いによれば、同じ夢を見るのは同じストレスを感じているからだという一方で、そのストレスを何とかしようとする責任感からだという。
なるほど、よくない夢を見たからといって、けっして悪いことではないのだ。
夜中からの雨は、昼前まで続いた。
今日は、のんびりとして、8時間ゆっくりと寝て、いい夢を見ることにするか。

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