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河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話172 / 飴ちゃん

2025年03月04日 | よもやま話

大阪のおばちゃんは、いつも飴を持っているというのは有名だが、おっちゃんだって持っている。
最近、飴ちゃんにはまっている。
お気に入りはK社の珈琲飴。
少し甘いが、下手なコーヒーを飲んでいるより美味い。
最初はウォーキングの喉潤しにと買ったが、最近は、寝る前にも一粒口に含む。
昔だったら以ての外だったが、砂糖・糖類ゼロのノンシュガーだから罪悪感はない。
布団の中で湯たんぽ抱いて、甘ほろ苦さを堪能する至福のひと時である。

砂糖に水を入れて煮詰める。
100度くらいになるとシロップができる。
さらに煮詰めて120度くらいにするとキャラメル。
150度まで煮詰めるとドロップができる。
160度まで煮詰めて、ようやく金色のべっこう飴になる。
砂糖の固まりだから、代表的なべっこう飴の黄金糖は一粒19kcalもある。
グリコのキャラメル1粒は16.5kcalで、300m走るのに必要なカロリーがある。
一箱8粒食べると132kcalで、食パン(6枚切り)1枚150kcalにほぼ匹敵する。
「一粒300m」だから、8粒食べたら2400m走らなければカロリーは消費できない。

昭和50年ころまで、代表的な調味料の味噌、醤油、砂糖の中で、砂糖が最も高価だった。
だから、みんな、甘いものに飢えていた。
チョコレートやキャラメルもあったが、ぜいたくな存在だった。
その点、飴は一個1円でバラ売りしてくれていたので、気軽なおやつだった。
「飴ちゃんあげよか」と言われて断る者はいなかった。
大阪のおばちゃんの「飴ちゃんあげよか?」は、そんな子どもの頃の経験を引きずっているのに違いない。

昔は、どこの畑にもサトウキビが植えられていた。
畦道を歩いていると、おっちゃんが「サトウキビしがむか?」と言って、鎌で切って、くれた。
硬い皮を歯でむいて、中の芯をむしゃむしゃとしがむ。
牛が口の中で牧草をもぐもぐするように咀嚼(そしゃく)する。
すると、甘い汁が口の中いっぱいににひろがる。
砂糖の原料だが、砂糖とは違った上品な、程よい甘さ。
それが忘れられずに、畑に植えてみたが育たない。
そんな話を仲間にしたら、「俺も植えたけどアカンかった」。
「わしもや!」、「ワイもやががな!」
みんな、あの甘さが忘れられないのだ。
飴ちゃんはサトウキビの代用なのかもしれない。
大阪のおばちゃんもおっちゃんも、子どもの頃の、あの甘いノスタルジアにひたりたいのだ。

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茶話171 / さんさんと

2025年03月03日 | よもやま話

昨日3月2日は石川大清掃。
流域の人々が約1万人集まって石川のゴミを拾った。
我々百姓仲間はダムの水門付近に集合。
ゴミ集めは少年野球の子どもたちにお任せして、おっさんたちは雑木の伐採。
一時間足らずの間に、ゴミの集積場は山のようになる。
過去の集計では50トンのゴミが集まるという。
なんとも逞しい人々の力よ!
だが、逆にいえば、50トンものゴミを捨てる人間がいるということだ。
なんとも情けないことよ!

今日は朝から雨。
しばらくまとまった雨が降らなかったので、田畑に水を入れるダムも涸れかけの溜池状態だった。
有難い雨だ。
 ♪雨潸潸と この身に落ちて
 わずかばかりの運の悪さを恨んだりして♪
 (「愛燦燦」詞曲 小椋佳)
「潸潸(さんさん)」は〈涙が流れるようにさめざめと降る様子〉。

雨、さんさんと……、3・3。
三月三日……、今日は雛祭。
女の子の健やかな成長と健康を願う祭。
 ♪春の弥生の この佳き日
 なにより嬉しい雛祭り♪

 

「元始、女性は実に太陽であった。真正(=真実で正しい)の人であった」
女性解放運動の先駆者、平塚らいてうの雑誌『青鞜』発刊の冒頭の言葉だ。
「太陽であった」と過去形にしているのは、明治・大正の今は違うということだ。
この後、次のように続く。
「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のように蒼白い顔の月である」
自らが燦燦と輝く太陽でなければならないのに……。
 ♪ 愛燦燦と この身に降って
 心密かな嬉し涙を流したりして
燦燦と輝いているのは男性? 他者?
女性は、まだまだ受身?
いやいや、時には太陽のように逞しく、月のように優しく輝けばよい。
女性に限らず男性も。

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茶話170 / ふくらはぎ

2025年02月20日 | よもやま話

松尾芭蕉『奥の細道』の中に次のような俳句がある。 
 汐越(しほごし)や鶴はぎぬれて海涼し
意味をとりにくいので句読点を打つとこうなる。
 汐越(しほごし)や。鶴、はぎぬれて、海涼し
「汐越」は、越前と加賀との国境にある地名(呼称)。
浜に松林があり、汐が満ちてくると幹が海水に浸かったところから名づけられたという。
問題は「はぎ」。
漢字では「脛」と書く。
「すね」、「はぎ」とも読む。
脛の裏のふっくらした部分は「ふくらはぎ」。
その脹脛が痛い。

最強寒波が終わったらと思ったら、今度は最長寒波。
かなり寒いが、天気は良いので歩きに出る。
意を決して富田林市寺内町までの2㎞に挑戦。
30分かかって到着。
さすがに疲れた。
それに脹脛が痛い。
近くのスーパーに入って、イートインで無料のお茶を飲んで休憩。
    ★
15分ほど休んで、さて、どうしよう?
帰ろうか……とも思ったが、せっかく来たのだから……。
せめてもと、お気に入りの仲村家住宅へおっちらこっちら。
かつては造り酒屋で栄えた仲村家住宅は、屋号を佐渡屋という。
富田林寺内町では数少ない表屋造り。
表通りに面して細長く店の棟を構え、その背後に居住部分の母屋がある。
街道沿いの宿場を思わすたたずまいが良い。
それに、歴史カテゴリー「その26松陰独り旅・その27松陰独行」で書いた吉田松陰が逗留した家でもある。
長州(山口県)から500㎞歩いた24歳の松陰も立っていた、低い軒先の店の前に自分も立つ。
季節も同じ蓑笠に冷たい風が浸み込む頃だ。
これだけで凛とした気持ちになる。
 独り行くのも況(いわん=当然)や生路(せいろ=人生)。

もう一つお気に入りの、近くにある寺内町展望広場へ。
二上・葛城・金剛山が一望できる。
松陰も連山を眺めて日本国の未来に夢を羽ばたかせたのだろう。
そう思うだけで背筋が伸びる。
さあ、歩いて帰るとするか!
だが、最近、マンションが建って、展望広場から金剛山の裾野が見えなくなった。
それを思うと、どうも気が滅入る。
すると、脹脛の痛さがよみがえる。
さあ、どうしよう?
しかし、松陰は、富田林から600㎞歩いて江戸へ向かったのだ。
よし!
だが、松陰はペリーの黒船に遭遇し、人生の転機(処刑)を迎えたのだ!
しかし……だが……逆接の接続詞が続く時は、順接の接続詞に戻すのが良い。
そして、電車で帰ることにした。
 至誠にて動かざる者は、未だこれあらざるなり
まだまだ誠が足りない。

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茶話169 / 眠り

2025年02月06日 | よもやま話

月に一度、町会館で町内の同年代グループの飲み会がある。
歳が歳だけに、まずは体調不良の話題、次に薬の話で盛り上がる。
「どんな薬を飲んでいるねん?」
「〇〇や!」
「俺と一緒やがな!」
「あの薬もパッケージが白い間は良えけど、ピンクとか赤になるとアカンらしいな」
それを聞いた右隣の少し年配のYさんがじろりと睨む。
気心知れた同士の集まりだから、もめごとになることはない。

町内で飲んでいるという安心感から、ついつい酒が進む。
年甲斐もなく寄ったので途中で退散。
ふらふらになって家に帰ってバタンキュウ。
朝起きて、何も覚えていない。
誰かに何か嫌なことを言ったりはしていなかっただろうか?
毎度毎度の自己嫌悪。
用事があって歩いていると、昨日、睨まれたYさんとばったり。
「昨日は、すんません!」
「なんのこっちゃ?」
「昨日はえらい飲んでしもたわ!」と勘繰りをいれる。
「けつこうしっかり喋ってたで!」
優しさで言ってくれているのかもしれないと、もう一つ勘繰りをいれる。
「嫌なこと言うてなかったかなあ?」
「皆と楽しそうに、やってたがな!」
それで、ようやく一安心して、「飲み過ぎて何にも覚えてないねん」。
「それは酒に酔って覚えてないのやなしに、眠ったから覚えてないねんがな!」

眠りの効用には、心身の疲労だけではなく、記憶の整理もある。
頭の中の記憶の引き出しに、覚えておくべきことと、忘れるべきことを仕分けしてくれるのだ。
嫌なことは引き出しにぴしゃりとしまいこまれ、嬉しいことは引き出しに入りきれずに、朝になっても残っている。
だから、朝に目覚めたとき頭がすっきりとしている。
そうでなければ人間なんぞ、やってられない。
良くも悪くも、眠っている間に整理されて、すっきりとした朝を迎えて、よし、今日も頑張るぞという気持ちになれる。
        ◇
「それで、どに行くねん?」とYさん。
「会館にジャンバーを忘れたんで取りに!」
「そりゃ、飲みすぎやがな! 寒いのによう帰ったなあ!」
「寒さも忘れてたわ!」
「そういうたら、メガネも忘れてたんとちがうか?」
「朝から、探してたんやがな!」
  ◇
会館に行くと、下駄箱の上にジャンバーとメガネが置いてあった。
その横に、マフラーと手袋、ニット帽とタバコにライターなど……。
それに靴が一足。
派手なマフラーはYさんのだと覚えていたので、電話をかける。
呼び出し音ばかりでなかなか出ない。
しかたなくYさんの家へ。
「このマフラーはYさんのやろ?」
「おお、そや! どこにあったんや?」
「会館に……!」
「うっかりしたがな……」
「手袋とニット帽もあったで!」
「あっ、それも、わしのや!」
「靴もあったけど?」
「ええ?」
玄関の上り口に、会館のトイレのスリッパが脱ぎ捨てられている。
「来る前に電話したんやけど?」
「あっ! スマホも忘れてきた!」
  ◇
眠りですべて忘れるのではない。
眠る前に酒で忘れている。
そして、その前に、老いで忘れている。

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茶話168 / 味なもの

2025年02月04日 | よもやま話

京都に住んでいる人は京都観光をしないそうだ。
清水、八坂、知恩院へ行っても、自分が住んでいる所と同じ土地の匂いがする。
だから、京都に限らず、身近にある観光地へは行かない。
「♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」という気持ちになれない。
日常からの離脱、漂泊観! はたまた、甘美な仮想逃避にはならないからだ。
 愛する人とめぐり逢いたい
 どこか遠くへ行きたい
 愛し合い信じ合い
 いつの日か幸せを
(『遠くへ行きたい』 詞:永六輔・曲:中村八大)

ウォーキングを兼ねて、家から2㎞ほどの太子町(南河内郡)へ梅を見に行ってきた。
梅といっても花ではない。
墓である。
太子町には、日本の礎を築いた古代の偉人達が眠っている。
敏達、用明、推古、孝徳(孝極)天皇、そして、聖徳太子の墓がある。
地図で見ると「梅鉢」の家紋に似ていることから「梅鉢御陵」とよばれている。

聖徳太子廟がある叡福寺にバイクを停めさせてもらう。
そこから500mほど歩いて用明天皇陵へ。
また、500mほど歩いて推古天皇陵へ。
堺・羽曳野の仁徳・応神天皇陵のように、平地に土を盛って造られたのではなく、
山裾の小山を利用して造られた御陵なので坂道が続く。
さすがに疲れて、温かい缶コーヒー買って、近くの小さな公園で一休み。
大昔にも誰かが、ここで一休みしたのだろうか?
日曜日とあって、リュック背負ったウォーカーが前を通りすぎて「こんにちは!」と挨拶してくれる。
「こんにちわ!」

なんとなく元気が出て、800mほど歩いて、前回書いた竹ノ内街道沿いにある孝徳天皇陵へ。
ここで、ほっと一息。
ここからは下り坂。
のんびり歩いていると、坂下から自転車に乗った小学生が上がって来て、「こんちは!」と元気よく挨拶してくれる。
「こんちわ!」

♪愛する人とめぐり逢いたい♪
「愛する人」とは、恋愛の対象となる人とは限らない。
「自分を受け入れてくれる人」なんだ。
竹之内街道という交通の要所であったが故に、旅人をもてなす、受け入れる人情が残っているのだろう。
自分の住んでいる所と風土は似ていても、人情が違うのだ。
どこか遠くへ行かなくとも、近くに愛する人がいて、どこかでつながっている。
縁は異なもの、味なものである。

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