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酒と音楽とPC

血は酒で出来ている(某声優談)。他の趣味はPC組み立てるのと音楽聴くのしかない。

セクシー田中さん脚本家問題

2024-02-05 09:48:35 | 日記・エッセイ・コラム
実写化に一切期待するな!ただそれだけ

これまでの失敗駄作アニメでもさんざんわかってることだけど局のお偉いさんやスポンサーに寵愛されてる脚本家様(何故かほぼ全員女性w)は原作者や監督、出演者より尊重されるのですよ。何度やらかして炎上しても起用され続けますから。テレビという狭い世界の中でね。漫画家だけでなく男性の脚本家やライター、制作スタッフといった業界関係者は件の脚本家と問題発言したシナリオ作家協会の理事を冷ややかな目で見てる人が多いのも面白い。

実写版を作る側は多くの場合原作を単なる素材としか思ってないのが現実。改変されたくなければ話を断るしかない。しかし、出版社が一儲けしようと勝手に話を進めている、こういうことなのだろう。だからこれからも漫画の実写化は失敗し続ける。漫画とは違う時間の流れの処理、役者の質(どうしても演技できない美形や役に合っていない大御所を使いたがる、または芸能事務所の圧力でキャストに押し込まれる)、原作に理解のある脚本家とプロデューサー、そんな条件が揃うのは奇跡だろう。そもそもが出版社が漫画家を舐めきっている。有象無象の中から出版社の力で拾い上げてやった感覚(芸能事務所とアイドルの関係と類似しているのではないか)なのだから余程の大御所に成長していない限り漫画家の意向なんてガン無視だろう。出版社の意識が漫画家を下請けの一人程度に見ているので編集者と漫画家の人間関係も最悪になってることが多そうだ。

進撃、テラフォーマーズ、地球へ(アニメだが改変映画化失敗の典型)、ヤマト。アニメ、漫画の実写化は失敗が運命づけられているとすら思える。るろうに剣心や銀魂は本当にたまたまなのだ。何も期待せずに見るのが精神衛生上良い。海猿みたいにヒットしても改変に原作者激怒で続編打ち切りなんてことも起こるわけだ。

今回やっぱり事件に関連付けて取り上げられていたがスタンリー・キューブリックや押井守みたいに原作改変して作品の質を上げてしまう天才が偶にいるからどうしてもそうなってしまうのだ。脚本家や監督、プロデューサーは成功例を目指してしまう。そしてその大半は天才ではないから当たり前のように失敗する。成功したとしても改変はいい気持ちはしないのに失敗された場合原作者とそのファンが不満を持たないわけがない。シャイニングでスティーブンキングはどうしても内容改変に納得できず脚本を買って出ようとして門前払いされている。しかし、キングが後に自らプロデュースしたキング版シャイニングがキューブリック版を作品的に越えているわけではない。キングは怖いヒューマンドラマとしてシャイニングを書いたのにキューブリックは完全なホラーに仕立ててしまった。押井守はアニメのオリジナルシナリオとビューティフル・ドリーマーで高橋留美子が確立した濃いキャラたちを独自な解釈で高橋留美子より上手く使ってみせた。いずれも失敗したらボロクソに叩かれただろう。最近はあまり良い作品を作れてないがシャフトの派手な演出だって相当なものだ。他社がアニメ化を担当してシャフト演出がなければ化物語もまどかマギカ(こちらは原作のないオリジナル作品だが)もあんなに長期間売れ続けるヒット作にはならなかっただろう。西尾維新や虚淵玄が優れた物書きであることは間違いないがアニメ人気は原作というよりシャフト演出あってのものだったと思う。そういえば改変しまくって人気が出た作品には実写ドラマのスケバン刑事なんてものもあった。原作者の和田慎二はかなり不快だったみたいだが。ただし、一番内容改変されまくってドラマスタッフのオリジナル作品に近いコメディになった3作目を原作者は気に入っているというのが面白い。中途半端に改変されるのが原作者は一番不快なのだろう。そういえば後々和田慎二は出版社と揉めまくってたなぁ。ほぼ別作品になっていたと聞く実写版ときめきメモリアルも原作を忘れて見たら結構いい作品だったらしい。榎本加奈子がヒロインという時点で全く見る気はなかったが(笑)。

製作の現場は結局は自分の表現を徹底したい人同士の我の張り合いなのだ。セクシー田中さんのドラマ化ではプロデューサーが自信家の脚本家を制御できなかったということだろう。彼女が関わったドラマは原作を知らない人には好評なのだから才能はあるのだろう。しかし、これまでの実績から原作者へのリスペクトが皆無なことには定評のある人物である。原作は自分がうまく料理するための素材としか思ってなかったのは間違いない。

関係者それぞれの言い分を噛み砕いて俯瞰して考えると小学館が原作者にドラマ化の話をする前からドラマ化の話が進んでいてその脚本家の起用が決まっていたようだ。脚本家から見たらもう製作が進み始めていてキャストも決まりシナリオ構想も練った後から無理矢理に原作者から原作尊重方針をねじ込まれた感覚なのだろうな。だから原作者の介入に猛然と腹を立てた。そしてその気分は現場スタッフに共有されていたのではないか。だから制作現場は敢えて原作者を無視する空気になっていたのだろう。よせば良いのにお気持ち表明してしまったから脚本家が矢面に立ったが実際は現場スタッフほぼ全員が介入に不快感を感じていたのだ。最後は製作スタッフに言い分を聞いてもらえない原作者が自ら脚本を書いて微妙な出来に終わり、気の強い脚本家はそれ見たことかとお気持ち表明してしまった。しかし、それでも原作者にはその権利があるはずだと思うのだ。

プログレッシブロックバンドCamelに白雁という名アルバムがある。このアルバムはポール・ギャリコの小説白雁に着想を得て作られている。小説にインスパイアされたコンセプトアルバムだ。しかし、当の小説家はこの名作を認めず最後まで否定し続けた。そして別のギャリコ公認の音楽家が作った白雁の演奏会に行っては悦に入っていたという。なお、作者公認の曲は多くの人から駄曲と評価されている。それでも作者が公認したのはその曲なのだ。おそらく小説家はロックバンドってのが気に入らなかったんだね(笑)。ロックバンドCamelのアルバムは名作であってもギャリコにとっては預かり知らぬところで勝手に作られたインスパイア作品に留まるわけだ。結果的に原作者の介入によって駄作になろうがなんだろうが原作者にその権利があり、アレンジャーや二次使用者にその権利はないのだ。だからいくら名作であろうがCamelの白雁は原作者公認アルバムではないのだ。田中さんでは原作者は原作を尊重するように何度も釘を刺しているわけである。現場が敢えて無視していたとしか思えないのだ。

話を聞く限り小学館がと日本テレビがドラマ化の話を勝手に進めていてドラマ化が事後承諾であった原作者は気の毒としか言いようがない。おそらく原作者にとっては実写ドラマ化が、いつも好きにやらせてもらっている脚本家にとっては原作尊重方針がどちらにも寝耳に水だったのだ。原作者は今更ドラマ化は止められないだろうからせめて原作を尊重しろと釘を刺したのだろう。後々面倒くさそうな話になりそうなのに日本テレビはどうして若い未経験に近いプロデューサーを起用し続けたのだろう*。降板させてベテランを起用すべきだったのではないか。我の強いクリエーター同士の軋轢をうまくやりくりするのがプロデューサーの役割のはずだ。プロデューサーは現場の空気に同調し、原作者と現場の意見を擦り合わせるという役割を放棄していたとしか思えない。そして責任は日本テレビとの間で勝手に実写化の話を進めていた節のある小学館にもあるよう思えてならない。何度も言われていたのに日本テレビに原作者の意見を正しく伝えられなかった小学館と現場に徹底できなかったプロデューサーは原作者を舐めていたとしか思えないのだ。原作者は部外者であり、部外者がごちゃごちゃ言うなが本音なのだろう。しかし、繰り返すが権利は原作者にあるのだ。スタッフは主観的には創造者であったとしても客観的には二次利用者に過ぎない。原作者の介入がどうしても嫌なら他人の看板を借りずにオリジナル作品で勝負すべきなのだ。

*ここは私の思い違いで総合プロデューサーは日本テレビのベテラン(?)プロデューサー三上絵理子となっている。しかし、日本テレビのプロデューサー「三上絵理子」は公表されている経歴が本当なら実績十分なプロデューサーなのだが正体が一切明かされていない謎の人物でアラン・スミシー(アメリカの監督、脚本で使われる名称で監督や脚本が正体を明かしたくない場合に使われる共有の仮名。ジェーン・ドゥみたいなもの)ではないかと疑われている。日本ではサンライズの「矢立肇」が公開されている共有名義として有名。三上絵理子は矢立肇同様に実在の人物にしては仕事量が多すぎるのだ。もし架空の人物で正体を隠すための共有名義であったとしたなら余計に責任の所在が分からない。三上絵理子プロデューサー名義のドラマでは以前も度々酷い原作改変が行われていたようだ。一応日本映画テレビプロデューサー協会の理事ということになっているのだが・・・。もしトラブルが発生しそうな場合に責任の所在を曖昧にするために架空の三上絵理子名義を使っているのだとしたら悪質だと思う。仮に三上絵理子なる人物が実在していたとしても実際に現場に関わっていない場合は同様に悪質だ。

シナリオ作家協会は謝罪文を出し、例の座談会(彼ら曰く密談)で出てきた意見は個人の見解でシナリオ作家協会の総意ではありません、みたいな感じで逃げ切ろうとしているようだ。しかし、原作者軽視のかなり手前勝手で強硬な意見を滔々と述べていたのはシナリオ作家協会の理事なのである。原作者が亡くなったその夜に出すような動画であろうか?それどころか、件の発言者は親団体の一般社団法人シナリオ作家協会でも理事をしており、実力はともかく(どうも脚本家の当該団体加入率は高くないらしい)協会での役職上は日本の脚本家の頂点に立っている一人なのだ*。これを公式見解と呼ばずして何なのか。しかも、その理事は件の脚本家と交流があるようだ。脚本家の代弁をしたと見てよいだろう。あそこで述べられていた意見が現場業界人の本音だろう。参加者の中の一人は無難な発言に終止し暴言など吐いてないのに悪く言われてSNSで批判の矢面に立たされるというハズレ籤を引いたのは気の毒であった。

*協同組合の親団体である一般社団法人シナリオ作家協会のHPから役員名簿等の情報が消されている節がある。説明責任を取らずに動画を消して逃亡するのであれば過激な発言などしなければよいのだ。協同組合のHPでも理事名簿から件のK氏の名前が消えている。
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