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酒と音楽とPC

血は酒で出来ている(某声優談)。他の趣味はPC組み立てるのと音楽聴くのしかない。

いじめ芸の終焉

2024-01-24 11:55:28 | 日記・エッセイ・コラム
とんねるずに続いて松本人志もTVから消えそうである。とんねるずも松本人志もそれなりに見て笑ってきた私に彼らをどうこういう資格はない。ただ、世の中がそれを許さない時代になりつつある。石橋貴明は歳を取ったらダサい芸人の代表になってしまった感があって人気が落ちてしまったのだが、松本人志は生き残った。彼の毒舌や弄りには独特の毒があり、他人には真似の出来ないものであったし、勢いだけでいじめ芸をやっていたとんねるずと違って綿密に計算された技ではあった。ただし、もう初老になろうという男性が毒舌や弄りだけで人気を博し続けるというのはグロテスクな事態であった。ビートたけしや島田紳助はいじめ芸に限界を感じて活動の場を移していったのだ。裏ではいじめを続けていた紳助は逃げ切れなかったが(笑)。松本人志はいじめ芸が他の芸人より研ぎ澄まされていたがゆえに生き残ってしまった時代の遺物だったのではないか。彼らがTVから消えるのは時代の流れであって性加害がどうとかは切っ掛けに過ぎないのではないか。

今の流れを作ったのは米国のMe Too運動であろう。Me Too運動には理不尽な点がある。他人を断罪するに当たり、後の時代の新しい価値観を用いてはならない、つまり刑法学には不遡及の原則というものがあるのだが、社会的制裁はその限りではない。これにいたぶられて傷付いた人々が気づいてしまったのだ。厳密には犯罪と言えるか微妙であるが社会的地位を持つ他人に踏みつけにされた痛みをのちになって社会的制裁という形でお返しする事が容認されるようになったということだ。当時の価値観では当たり前であったことが遡及的に追及されるわけであるから当事者は主観的にはたまったものではないだろう。しかし、彼らが他人の尊厳を理不尽な形で踏みつけにしたのは事実なのだ。問題は冤罪が相次ぐのではないかということだが・・・。

それにしても松本人志は時代が移り変わっているのに昭和の価値観のまま裸の王様になっていた、それが容認されていたというのに驚きを感じる。ジャーニーもそうだが、もうアンタッチャブルになってしまっていたのだろう。ひろゆきの言うように「そういう場所に行ってしまうような女性は予め覚悟していたのではないか?」というのは一理あると思っている。ひろゆきは香川照之についても同じ理屈建てで擁護していた。おそらくひろゆきの言い分は理屈が通っているのだが、それが許される時代ではないということなのだろう。女性の覚悟の有無に関わらず優越的地位を利用しての他人への理不尽な扱いはモラルとして許されない時代になっているということだ。

芸能界はそうなっているが、リアル社会はどうだろう?いじめは社会的立場を確定させる行為であってそれなりに存在理由があると考えている(正しいとはいわないし、良いことでもない。ある意味必要悪として存在していると思っている)。そうでなければ社会は円滑に回らないのだろう。しかし、限度を越えたものや理不尽なものは容認されてはならない。芸能界や政界が浄化されても一般の社会が浄化されないのでは単なるガス抜きにしかならない。
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