酒と音楽とPC

血は酒で出来ている(某声優談)。他の趣味はPC組み立てるのと音楽聴くのしかない。

アンドリス・ネルソンスのR. シュトラウス管弦楽曲集

2022-12-09 06:39:30 | 音楽
ベートーヴェンが面白かったので他を物色したらR. シュトラウスの管弦楽曲集が廉価で売られていた。単品では売ってない・・・のかな?総計8時間程なので全曲ではなく、ケンペと同じぐらいの規模だろうか。Prestoだとネルソンスは24bit/192kHzで売られているものもあるのだが、これは24bit/96kHz。比較的古い演奏も含まれているからであろうか。オケは主席であるボストン響とゲヴァントハウス管を振り分けている。

初っ端からサロメ~7つのヴェールの踊りとなかなかにあざとい構成(笑)。奇を衒うなら薔薇の騎士組曲の方が良くね?と思ったりもした。次がインテルメッツォであり、完全に狙ってるな。

演奏内容の方は・・・やはり柔軟で透明な表現。かといってラトルと違って反感を覚えないのだ。どこが違うのだろう。ただし、小沢のシュトラウス同様に力強さやスケール感はないので物足りない人もいるだろう。個人的にシュトラウスの理想的な演奏はライナーなので好みとは大きくかけ離れているものの、悪くない演奏である。C. クラウスがいい音質で聴けるなら話は別なのだが、大人しい(アダルトな?)演奏で満足感を得たことがない。この方向性で今期待できるのはクリヴィヌあたりだろうか?シュトラウスに関する限りケンペやプレヴィンよりカラヤン、ショルティの方が好きなのだ。耳のレベルが低いと言われてしまいそうだが(笑)。金ピカだろうが、あざとかろうが、そちらの方が満足感が高い。構成がどうとか、内面がどうとかいう作曲家ではないと思う。シュトラウスの音楽は上質なエンターティメントですよ。オケが上手くて派手にやってくれればそれでいい。野蛮、下品で結構!元々そういうものだと思っている。
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アンドリス・ネルソンスのベートーヴェン交響曲全集

2022-12-04 16:07:59 | 音楽
なんかの記念とかで安く売られていた*。e-Onkyoでも十分に安いがPrestoの方がもっと安い(ただし、Prestoのセールは12月11日まで)。新しい全集が5000円でハイレゾであれば超お買い得品と言って良いのだろう。しかも、普段は高過ぎるグラモフォン(ユニヴァーサル)で(笑)。

*レコード・アカデミー大賞受賞というのは買った後で知った。まあ、演奏の出来よりもレコード会社の営業力で決まってしまうどうでもいい大賞だし(笑)。

ネルソンスが今のグラモフォンの看板指揮者という認識で良いのだろうか?まだ若くてハーディングあたりと同世代(顔、老けすぎやろ)だが、アバドを失い、ティーレマン、ドゥダメルの録音数が若干伸び悩みを見せている状況で最も録音が多い。ティーレマンは専属ではないから扱いが悪いのかもしれない。

ネルソンスはワーグナー、ショスタコーヴィチと聴いてきているのだが、これまではどうにも音楽との相性が悪い感じがした。音楽が小さくまとまってしまうのだ。ブルーレイのラ・ボエームの精彩に富んだ演奏(とっても悲しい話なのに彼の指揮のキレとリズム感の良さにワクワクしてしまうおかしな演奏)を聴く限りは大した才能(しかも、このころはイケメンだった・・・過去形w)なのになんとも歯痒い思いをしたものだ。ワーグナーやショスタコーヴィチに重厚さや凶悪さを求めるのはジジイと言われたらそれまでだが、指揮者たちがワーグナーを爽やかに振るようになったのはごく最近になってからの話だし、私も「ソ連」を覚えている世代であるからショスタコーヴィチを純音楽として認識することが出来ない。おそらく一生できないだろう。

だからネルソンスの評価は保留となっていた。恐らく素晴らしい才能なのだろうけど、その音楽性は受け入れがたいと。そこでいい機会なのでベートーヴェンに手を出してみた。

正直、最近のベートーヴェンの演奏はどれもうんざりだ。ベーレンライター版の尻軽演奏なんて聴くのは時間の無駄、みたいな感覚に陥っていた。さて、このネルソンスはどうか。腕が落ちたと言われているウィーンフィルから見事に引き出される透明な響き、切れるリズム、余計な小細工なしの直球勝負、ベーレンライター版使用らしいが、指示に従わずテンポを柔軟、かつ自在に変えているせいか尻軽にならない。かといってアーノンクール、A. フィッシャーの如何にもテンポ変えてるよーみたいな人工感もない。響きが透明なのでまるでうるさくない第5、古のワルター並みに綺麗で嫋やかな田園・・・この人の指揮はP. ヤルヴィ同様に行くところ可ならざるはなし、そういう感じだ。思った通りにオケをドライブできているのだろう。やはり大した才能だ。これを聴いた後にヴァントやドホナーニ、セルを聴くとどれもカッチカチの四角四面な演奏にしか聴こえないし、バレンボイムは響きの汚さ、濁った感じにガックリ来てしまう。

これは本当に素晴らしい演奏だ。しかし・・である。彼の指揮の才能が素晴らしければ素晴らしいほど私の好みと方向性が違うことがはっきり分かってしまう。私はやっぱりベートーヴェンは特別の音楽であってほしいのだ。ハイティンクは第9の演奏は特定の機会以外は禁止されるべきであると言っていた。全く賛同する。ただし、ハイティンクの演奏にそんな特別感は一切と言っていいほど感じなかったのだけれど(笑)。内田光子はベートーヴェンは倒れて泥水に塗れながらずっと空を見上げていた人なんて言ってたっけ。彼女の演奏は好きじゃないけど良いこと言うなぁ。ネルソンスの演奏はやっぱり特別なものではなく純粋に音楽的なのだ。風が頬を撫でるような爽やかなベートーヴェン(By 宇野功芳 まあ、宇野師匠は小沢やアバドにこうした皮肉を言いながらより軽いジンマンを絶賛してしまうお人だったのだけれど。呑みやすいが味が薄いアサヒスーパードライのようなんて表現もありましたな。)これはこれで本当に見事な演奏。ベートーヴェンは若い世代にとっては特別なものではないのだ。そういう演奏としては最上級のものではないだろうか。

しかし、ネルソンスの才能が別格で他と隔絶したものであることは間違いない。過去の大指揮者に匹敵すると思う。久々に追いかけてみたい指揮者が出現した(納得できる価格で買えるワーナーに移籍してくれないかなw)。持ち味が近いシャイーあたりは厳しくなったのではないか。
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Frank Zappa Sleep Dirt, Orchestra Favarites(40 Anniversary)

2022-05-26 12:14:28 | 音楽
久々にザッパを。DVDを幾つか買ったら高音質のものが欲しくなってしまった。ロック、Jazzは海外の店のコスパがあまり良くない。トラブルが起こると面倒なのでe-Onkyoで買った。尼のCD版と大して変わらない価格だから損してない・・かな?ザッパの版権がUniversalに移って爆上げした後だからハイレゾとCDに価格差が殆どなくなっちゃった。Zappa Record?高価格政策の親玉Universalより高いんですけど(笑)。CD音質で良いなら様々な会社がこれまで未発表だったライヴ音源の箱を沢山出しているがその高音質化はまだ先の話になるでしょう。手持ち音源をじわじわ小出しにして長く遺族が食えるようにするってのがザッパの遺言だったはずだから。

さて、このSleep DirtOrchestra Favaritesは曰く付き音源であることはご存知のことと思います。この2つとStadio TanZappa in New Yorkがワーナー・ブラザースへの手切れ金代わりだった。マイルス・デイヴィスのマラソン・セッション、カラヤンの50年代後半EMI録音みたいなもの。デイヴィスやカラヤンと違ってザッパは自分のスタジオを持ち、半端な海賊盤を出されないように自前でライヴを録音しまくるレベルの録音管理の鬼だったから慌ててセッションやライヴ録音する必要もなく契約消化のために手持ちの音源を提供したわけです。しかも、後にワーナーへの嫌がらせのつもりなのか、ほぼ同一音源に手を加えた上でLatherとして発売してしまった。子供っぽいところのあったザッパは後で悔しくなったんでしょうね(笑)。

だからこの作品群はLatherとして纏められたもの以外はザッパの音源としては本人の承諾が怪しい鬼子扱いなわけですが、ザッパ最良のパフォーマンス群とも言われているわけです。Sleep Dirtは提供された音源が少なかったのか完全版に相当するものがありませんが、Orchestra Favaritesは他のたくさんのオーケストラ・パフォーマンスを加えて40周年記念版という形になりました。お値段的に他のザッパ作品より安く設定されているのは版権絡みの問題が未だに尾を引いているのでしょうか?

さて、高音質化の成果はどうか?演奏された時期からして最新録音に及ぶ訳もなく、ライヴ録音というハンデもあります。ザッパのスタッフの録音技術は高く評価されているのですがハイレゾ化に耐えられるものかどうか?

Sleep Dirtの方はなかなかです。録音状態も良く、パフォーマンスも刺々しさがなく聴きやすい。かといって易きに流れているわけでもない。さすがザッパ全盛期の録音です。音質も最新盤と比較しなければ十分ではないでしょうか。

一方、Orchestra Favaritesの方は・・・。ダメです。録音がよろしくありません*。バンドの録音よりオケ録音の方が難しいという問題もあるのでしょうが、ノイズ感のあるのぺーっとした音です。ザッパのオーケストラ作曲能力は高いですが、この音質では堪能できません。50~60年代のEMI、グラモフォンクラシック録音って感じ。非常に眠たい音。これをハイレゾ録音と言われても・・・。興味深い長尺の曲が含まれていてお値段的にはお買い得なんですけどね。この録音は好事家向きということになるでしょう。ザッパのオーケストラ作品入門としてはYellow SharkBoulez Conducts Zappa(Zappaが振っているわけではないが)が録音もよく適切と思われます。コンピレーション盤で良ければコンパクトに纏まっているStrictly Genteelもあります。

*UD-701Nにマスタークロック追加で音質が劇的に改善。音質が良いとまでは言わないがそこそこのレベルになった。ハイレゾでこの価格だとお買い得・・・かも。
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今こそショスタコーヴィチを聴くべきなのでは

2022-04-23 12:18:35 | 音楽
様々な国際的催しからロシア、ロシア人がパージされつつある。これが良いこととは思わないが、そうしたくなる心情は理解できる。

問題はチャイコフスキーやラフマニノフは演奏会からパージされていないのにショスタコーヴィチが演奏会からパージされつつあるらしいこと。どっちがロシアの象徴かと言ったらチャイコフスキーやラフマニノフではないのか?ラフマニノフは亡命者ではあったが作風は最後まであくまでロシア的であった。西洋的モダニズムからは目を背け続けた。彼の曲はマーラー同様のモダンな一面があるにはあったもののそれ以上にロシア臭さ、ロシア訛りを感じざるを得ない。それは本人が時代錯誤を自覚しつつもチャイコフスキーの後継者であろうとしたからだろう。

その点、ショスタコーヴィチは確かにソ連時代を代表するロシアの作曲家であった。しかし、その作風は西洋的モダニズムの影響をモロに受けていたし、彼の作風自体はスターリンが全権を掌握する以前に確立していたように思える。彼の作家性は比較的自由だった時代の産物なのである。フルトヴェングラーがナチス党大会で指揮せざるを得なかったように当時のソ連第一の作曲家であったショスタコーヴィチはスターリン、ソ連共産党に協力せざるを得なかった。しかし、若き日にトハチェフスキー元帥やロシアの大貴族、ブルジョアに可愛がられたショスタコーヴィチは最後までスターリン、共産党に好意的にはなれなかったようだ。共産党入党を拒み続けたエピソードからもそれは明らかだ。

確かに森の歌をはじめとする一部の作曲には共産党への諂いが見られる。しかし、亡命しないのであればこれはやむを得なかったのではないか。共産党へ諂った曲の大半が駄作と評価されているのも宜なるかなというべきだ。

戦争や全体主義の恐怖を最も表現している曲はなにか。ワルソーの生き残り、世の終わりのための四重奏曲と並んでショスタコーヴィチの交響曲、弦楽四重奏曲を上げることに何の躊躇いもない。

今こそショスタコーヴィチを聴こう。交響曲第8番の3楽章を聴いて戦場の恐怖に思いを馳せるもよし、交響曲13番で宗教差別の恐怖を、弦楽四重奏曲第13番、交響曲第14番、15番ですべてを失う虚無を味わうのもまた良し。これはきっとこれからロシア国民が味わう気分そのものだろうから。それから交響曲第1番、ピアノ・ソナタ第1番、黄金時代を聴いて若き日の才気と共産党一党支配、スターリン支配下でなければなされたであろう明るくモダンな作曲に思いを馳せるもまた良し。
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ゲルギエフ、ミュンヘン辞めたってよ

2022-03-05 10:18:25 | 音楽
政治と芸術の関係、これは本当に難しい。カラヤンはナチス党員だったからある程度仕方がなかったが、ナチス党大会で指揮してたフルトヴェングラー、ナチス高官に口利きしてもらってたクナッパーツブッシュ、ナチス時代のドイツで演奏活動してたってだけでギーゼキングやエリー・ナイもパージされたのではなかったか。オランダではメンゲルベルクがパージされてた。メンゲルベルクは結構なナチスシンパだったみたいなので仕方ないか。

作曲家もオルフ、プフィッツナーがナチスに利用された。オルフはともかく、プフィッツナーはナチスを嫌っていたようであるが。ナチスに殉じて自殺したカパスタ、ナチスの覚えめでたかったのに何故か大して演奏活動に影響のなかったベームみたいなのもいる(ベームの演奏停止期間は僅か2年)。カパスタやメンゲルベルクはともかく、ベームはカラヤンよりずっとナチスシンパだったように思えるのだが。カザルスはフランコから逃れたがスペインが忘れがたくてフランスで最もスペイン寄りの地方に住んだ。スペインに残ったモンポウはフランコのシンパだったそうである。

音楽に思想を持ち込むな、とも思うのだが、思想と音楽は不可分な部分だってある。例えばシェーンベルクのワルソーの生き残りやフィリップ・グラスの渚のアインシュタイン、メシアンの世の終わりのための四重奏曲を聴いて音楽と思想は分けるべきとか言えるだろうか?ショスタコーヴィチだってロシア共産党から自由であったならその作曲は全く違ったものになっていただろう。特定の思想がなければ生まれ得なかった音楽だってあるのだ。教会音楽だってそうだろう。

ゲルギエフはミュンヘンを辞めてもロンドンとロシアで食っていける。ただし、ミュンヘン楽壇は大丈夫なのか?と思わざるを得ない。サヴァリッシュ、クライバー、マゼール、ヤンソンス*と立て続けに縁の深い演奏家が亡くなっているのだ。暇してるガッティかデュトワでも連れてきますか?プーチンシンパ男からセクハラ男に変わるとか正直笑えないのだが。ガッティのセクハラ疑惑?もバーンスタインなんてガンガン女性演奏家にキスしてただろwと突っ込まざるを得ない。本当にセクハラになるかならないかは人によるのである。ジュリーニや若き日のハーディングがセクハラで訴えられるってのも考えられないでしょ(笑)。池面・イズ・ジャスティス(棒)

*チェリビダッケが抜けている(笑)。ナチュラルに抜けていた。特に深い意味はなく単にあまり好きではないから忘れられて抜けてしまっただけ。ケンペもミュンヘンと深く関わってから長くなかったし、ミュンヘンは縁起が悪いのか?
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