なんかの記念とかで安く売られていた*。e-Onkyoでも十分に安いがPrestoの方がもっと安い(ただし、Prestoのセールは12月11日まで)。新しい全集が5000円でハイレゾであれば超お買い得品と言って良いのだろう。しかも、普段は高過ぎるグラモフォン(ユニヴァーサル)で(笑)。
*レコード・アカデミー大賞受賞というのは買った後で知った。まあ、演奏の出来よりもレコード会社の営業力で決まってしまうどうでもいい大賞だし(笑)。
ネルソンスが今のグラモフォンの看板指揮者という認識で良いのだろうか?まだ若くてハーディングあたりと同世代(顔、老けすぎやろ)だが、アバドを失い、ティーレマン、ドゥダメルの録音数が若干伸び悩みを見せている状況で最も録音が多い。ティーレマンは専属ではないから扱いが悪いのかもしれない。
ネルソンスはワーグナー、ショスタコーヴィチと聴いてきているのだが、これまではどうにも音楽との相性が悪い感じがした。音楽が小さくまとまってしまうのだ。ブルーレイのラ・ボエームの精彩に富んだ演奏(とっても悲しい話なのに彼の指揮のキレとリズム感の良さにワクワクしてしまうおかしな演奏)を聴く限りは大した才能(しかも、このころはイケメンだった・・・過去形w)なのになんとも歯痒い思いをしたものだ。ワーグナーやショスタコーヴィチに重厚さや凶悪さを求めるのはジジイと言われたらそれまでだが、指揮者たちがワーグナーを爽やかに振るようになったのはごく最近になってからの話だし、私も「ソ連」を覚えている世代であるからショスタコーヴィチを純音楽として認識することが出来ない。おそらく一生できないだろう。
だからネルソンスの評価は保留となっていた。恐らく素晴らしい才能なのだろうけど、その音楽性は受け入れがたいと。そこでいい機会なのでベートーヴェンに手を出してみた。
正直、最近のベートーヴェンの演奏はどれもうんざりだ。ベーレンライター版の尻軽演奏なんて聴くのは時間の無駄、みたいな感覚に陥っていた。さて、このネルソンスはどうか。腕が落ちたと言われているウィーンフィルから見事に引き出される透明な響き、切れるリズム、余計な小細工なしの直球勝負、ベーレンライター版使用らしいが、指示に従わずテンポを柔軟、かつ自在に変えているせいか尻軽にならない。かといってアーノンクール、A. フィッシャーの如何にもテンポ変えてるよーみたいな人工感もない。響きが透明なのでまるでうるさくない第5、古のワルター並みに綺麗で嫋やかな田園・・・この人の指揮はP. ヤルヴィ同様に行くところ可ならざるはなし、そういう感じだ。思った通りにオケをドライブできているのだろう。やはり大した才能だ。これを聴いた後にヴァントやドホナーニ、セルを聴くとどれもカッチカチの四角四面な演奏にしか聴こえないし、バレンボイムは響きの汚さ、濁った感じにガックリ来てしまう。
これは本当に素晴らしい演奏だ。しかし・・である。彼の指揮の才能が素晴らしければ素晴らしいほど私の好みと方向性が違うことがはっきり分かってしまう。私はやっぱりベートーヴェンは特別の音楽であってほしいのだ。ハイティンクは第9の演奏は特定の機会以外は禁止されるべきであると言っていた。全く賛同する。ただし、ハイティンクの演奏にそんな特別感は一切と言っていいほど感じなかったのだけれど(笑)。内田光子はベートーヴェンは倒れて泥水に塗れながらずっと空を見上げていた人なんて言ってたっけ。彼女の演奏は好きじゃないけど良いこと言うなぁ。ネルソンスの演奏はやっぱり特別なものではなく純粋に音楽的なのだ。風が頬を撫でるような爽やかなベートーヴェン(By 宇野功芳 まあ、宇野師匠は小沢やアバドにこうした皮肉を言いながらより軽いジンマンを絶賛してしまうお人だったのだけれど。呑みやすいが味が薄いアサヒスーパードライのようなんて表現もありましたな。)これはこれで本当に見事な演奏。ベートーヴェンは若い世代にとっては特別なものではないのだ。そういう演奏としては最上級のものではないだろうか。
しかし、ネルソンスの才能が別格で他と隔絶したものであることは間違いない。過去の大指揮者に匹敵すると思う。久々に追いかけてみたい指揮者が出現した(納得できる価格で買えるワーナーに移籍してくれないかなw)。持ち味が近いシャイーあたりは厳しくなったのではないか。