領収書を提出していないので何に使ったのかわからない。この点でパーティー券裏金問題とColaboの問題に違いがあるのだろうか?確かに政治家が裏金を私用に使えば雑所得となり、無税の政治資金と話は変わってくる。自己申告では政治資金として使いました。しかし、領収書はだせません(笑)。それが通るわけがない。しかし、それを通してしまったのがColaboである。Colaboに東京都から助成金が出されていたのは若年の困難女性を助けるための支出だからという建前である。しかし、領収書が東京都にも裁判所にも提出されていないのであれば何に使ったのかわからない。Colaboの周囲は領収書の提出を要求されていることについて女性全体への攻撃だとか、女性の社会進出へのバックラッシュだとかごちゃごちゃ言っているが、そんな問題だろうか?裏金同様にただ単に領収書を提出すればそれだけで白黒ついて終わる話なのだ。なぜ出せないのか。出せない=やましいことがあるからと見られても仕方がないのではないか。
政治家の裏金問題はマスコミにあまり突っ込まれないが、マスコミではColabo問題を扱うのは裏金問題以上のタブーになっているのではないか。毎日、東京(中日)、神奈川新聞、週刊金曜日から見たらColaboは身内だろうからまだわかる。しかし、読売、朝日、日経、産経すらこの問題にあまり触れないのは理解できない。助成金の金額だって政治家の裏金に引けを取らない大きな数字なのにである。You-Tubeの左派系チャンネルも政治家の裏金問題に触れてもWPBC問題には全く触れない。取り上げていても問題を全く精査することもなく無条件でColaboを肯定するようなものばかりだ。これは納得できない。両者に本質的に違いがあるとは思えないからだ。Colaboには数億円の資産があるという。それが助成金(税金)をプールして蓄積した結果であったとして納税者が納得できるのであろうか。しかも助成金はWBPCの代表者が自治体や政府の諮問会議に入る形でお手盛りで毎年額が膨れ上がって行っていたのだ。助成金を受け取る当事者が諮問会議に入ること自体がおかしな話だ。団体代表はせいぜいオブザーバーに止め、第三者が金額を決めなければ助成金が青天井になるのは当たり前ではないか。BondとColaboは代表やスタッフが普段からかなりの贅沢をしているのは彼らが自ら公開している情報からもわかっている。WBPC問題に突っ込まず政治家の裏金だけに突っ込むのは私は納得しかねる。ちなみに私はどちらかと言わなくても政治的には左派に属する。しかし、左派だからといってColaboの味方をしなければならないなんて道理はない。理屈が通らないものに納得するような性格でもない。
ちなみに動物愛護系のNPOや一般社団法人も政府や地方公共団体の助成金や民間の寄付金を受けていながら代表やスタッフが贅沢している例が多々見られWBPC同様のどんぶり勘定なのではないかと疑っている。補助金を貰い、寄付金を募りながら贅沢しているとかどういう神経をしているんだろう。他に本業でたくさん稼いでいて傍らでNPOなり、社団法人の活動しているならまだわかる。しかし、こうした団体の代表や主要スタッフが他に贅沢できるような稼げる本業を持っているようには見えない。肩書を持っていても名前だけだったりする。反体制運動、社会奉仕、動物愛護活動を事実上の職業として金を得ているプロ市民なんて陰口を叩かれるのも仕方ないのではないか。もちろんすべての左派系団体、動物愛護系団体がそうではないが、そうした一部団体が目に余るのだ。大きな団体であっても相当な額の助成金や募金を受け取っておきながら仕事のほうが全くそれに見合わない。お金の使い道が検証されているようには見えないのだ。まあ、それは団体が無能だからと言う可能性もあるわけだが、もしそうしたお金を流用してスタッフが贅沢したり蓄財しているとしたら論外な話だろう。仮に団体が無能であって仕事ができてない場合も助成金や募金は打ち切られるというのが筋ではないか。他のちゃんとやってる団体に回すべきだろう。やはり助成金や募金が既得権益化していると疑わざるを得ないのだ。Webで大量の広告を打つような資金があるならどうしてそれを動物愛護活動や貧窮者の支援に回さないのか。私財を沢山持っているであろう黒柳徹子や杉良太郎みたいに手弁当で働けなんてことは言わないが、他人様のお金を雑に使うのは許せない。これでどうして右派の中抜き問題を批判できるのか?右派系のYou-TubeチャンネルではColabo問題について新・同和利権なんて厳しい言葉を述べている人すらいた。私もNPOや社団法人の一部は社会に不満を持つ人達が働かずに金を得るために作り上げたシステムではないのかと思うことが多々ある。これらの人たちは(私同様w)思想的、性格的に企業、役所で勤務が出来るとは思えないからだ。活動を派手にやっているならば企業、役所にも敬遠されるだろう。起業して稼ぐことができなければ最近亡くなった爆破事件の犯人のようにひっそりと質素に生きるしかないのである。体制や今の常識に逆らって生きる、彼ら風に言うならば硝子の天井を破る活動をするということはそれだけの覚悟が必要であると思うのだ。体制側から金を受け取っておいてその金を使って体制に逆らうなんて矛盾に満ちた行為は私には信じられない。目的(反体制活動)と手段(活動資金獲得)が逆転してしまっているのではないか。左派の人たちや動物愛護系の人相手の商売であっても起業して生活資金を得ている人はまだ結構。贅沢しなければ平凡な種銭の投資で生活することだって出来るのだ。現に私はそうしている。しかし、体制からの助成金、民間からの寄付金で生活するというのはどうなのであろう。縦しんば団体の仕事が忙しくて他に就業できず団体に入った助成金、寄付金で生活するとしても贅沢なキラキラした生活は許されないのではないのか。
政治家や財界人といった公人、役人に問題があるならば批判するのは当然だが、身内の問題にはこうも甘いダブルスタンダードでは左派系、動物愛護系の人たちが信用されないのも仕方のないことに思える。左派にシンパシーを感じて支援していた人が活動に参加した後こうした実態を見て落胆し、一気に反動化する例が多々見られるが宜なるかなと思う。
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