せっかくのサマーセールだが、メジャーはほとんど安くしてくれてない。セールと銘打っていないが、ワーナーの一部がちょっとだけ安くなっていた。それでも海外よりずっと高い。何故か2xHDのクラシックは超大幅値上げ。ちょっと買う気にならないぐらい高くなってしまった。メジャーと比べると演奏家の知名度は落ちるわけだから同じような値段で売れるのだろうか。現実に出ている音質は良いとはいえ、かなり怪しげなリマスター方式を取っているわけだし。値段が変わらなければNaxosやOndineのオリジナルを買うという人も多いだろう。
ショスタコーヴィチ 交響曲第4,11番 ネルソンス / ボストン響 A
モーツァルト オーボエ協奏曲、ハイドン協奏交響曲 アバド / モーツァルト管弦楽団 B
シェーンベルク ブラームスピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲)、室内交響曲第1番 ラトル / ベルリンPo A
ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲集、ピアノ・ソナタ集 ドノホー / カーティス / オーケストラ・オブ・スワン A
Silence Music マクリーシュ / ガブリエリ・コンソート S
Landscape Time キングズ・シンガーズ S
1605 Treason and Dischord キングズ・シンガーズ S
Swimming Over London キングズ・シンガーズ S
Works by Debussy, Glinka, Milhaud, Francaix, Prokofiev ジュリアン・ブリス A
ニールセン、モーツァルト クラリネット協奏曲 ジュリアン・ブリス / ヴェンツァーゴ / ノーザン・シンフォニア A
Tribute to Benny Goodman ジュリアン・ブリス六重奏団 A
Jimmy James Rhodes Live in Brighton ジェームズ・ローズ B
モーツァルト 第一戒律の責務 イアン・ページ / クラシカル・オペラ A
モーツァルト An Italian Journey ジェレミー・オーベーデン / ジョナサン・コーエン / エイジ・オブ・インライトンメント A
岩の上の羊飼い アイリッシュ・タイナン / クリストファー・グリン / ジュリアン・ブリス A
Where'er You Walk - Haendel's Favourite Tenor クリストファー・グリン / イアン・ページ / クラシカル・オペラ S
ハチャトリアン コンチェルト・ラプソディ、リャプノフ ヴァイオリン協奏曲 宇田川杰子 / ブリバエフ / ロイヤルPo B
Date With A Dream マレン・モーテンセン S
Bossa Nova Memories ラクエル・シルヴァ・ジョリー A
Flor De Lis ラクエル・シルヴァ・ジョリー A
Ciao Roma ラクエル・シルヴァ・ジョリー A
The Driver アンドレア・ベネベンターノ・トリオ B
いざ買おうとして気がついたのだが、Signumのオケものはほとんど買い尽くしてしまっていた(笑)。他は安くならないからある意味当然とも言えるのだが、それにしても・・・よく買ったものだ。本家では新譜が出続けているのだから契約打ち切りでなければ早々に出してもらいたいもの。今回は仕方がないから若手ソリスト、歌手に着目して買うことにした。AFLA MUSICのジャズがまた安くなっていたので歌ものばかりを購入。まともなジャズはベネベンターノのみ。
ネルソンスのショスタコーヴィチは何故か2600円で新譜が出た。ユニヴァーサルは値段の様子見をしていると以前に書いたが、やはり高価格政策を続けるか、海外並みとはいかずとも安くするか、揺れ動いているようだ。前回のアルバムはセールという名目で2600円で売っており、現在はいつもの3800円に戻っている。今回もほぼ2枚分と言っていい内容だから安い。この値段が定着してほしいもの。と書いていたらいつの間にか5000円に値上げされていた(苦笑)。何が何やらよくわからない。演奏の方は前回同様、箱庭的だが11番では転けそうになるほど遅いテンポを取ったり、前回より工夫が見られた。ただ、これが受け入れられるかは疑問である。若手ロシア系指揮者に多い純音楽的なアプローチと言えなくもないが、やはり迫力が不足する。
アバドのモーツァルト協奏曲集はえらく安く売られていたが最晩年の録音ということで記念に購入。アバド自身が設立したオーケストラを指揮している。まあ、いつものアバドである。晩年だから大きく変化した、ということはないらしい。すっきり爽やか。ソリストも上手い。
ラトルのシェーンベルクは再録音ということになるのだろうか。以前バーミンガムのオケとピアノ四重奏曲の編曲と室内交響曲を入れていたはずである。これも最新録音ではないが、少しだけ安くなっていた。ラトルはよほどこの編曲がお気に入りらしい。個人的に興味は室内交響曲にあったが、ラトルが力を入れているのは明らかに編曲の方。ブラームスは交響曲で構想してボツにした曲を室内楽や協奏曲に転用するのがお決まりだったから管弦楽編曲は故なきことでないのだろう。シェーンベルク曰く、ピアニストが悪目立ちして曲の価値が理解されていないので編曲した、とのこと。ただし、ブラームスならこうしたはずの編曲ができた、といいながら新しい技法、楽器を用いている箇所がある。プロコフィエフの古典交響曲におけるハイドン同様、この発言は諧謔なのかもしれない。
ドノホーのショスタコーヴィチは確か24の前奏曲とフーガもあったはずだが、まだ日本では発売されていない。何故か第二弾の協奏曲とソナタが先に出た。ソナタ1番の方はショスタコーヴィチにしては面白くない若書きの曲で何度か聴いているはずだが印象に残らない。モダニズム臭がきつすぎて拒絶反応が出ているのか。協奏曲の方はドノホーの透明な音色を活かした演奏になっているが、何故かあまり印象に残らない。全体的におとなしすぎる印象。オケが非力なせいもあるのか。好きな曲だけに期待していたが、うっちゃりを噛まされた。この曲は自作自演がすごいせいもあるのだろう。それに伴奏が良くないと面白くならない曲でもあるようだ。ソナタ2曲もついて2枚分のお買い得盤なのだが。この曲ではピアニストの名前より指揮者の名前が出てくるあたり、協奏曲と言ってもオケがかなり重要なんだろうな。トランペットの狂躁やクールな部分と皮肉のメリハリ、そんなものがよく出てないと全体的にノッペリしたツマラナイ演奏になってしまう。ピアニスト主導より指揮者主導の演奏が上手くいくのではないだろうか。ドノホーはリリカルな路線を狙ったのだろうが、それでは曲の魅力が減る。ソナタでは結構荒々しい表現も見られるので惜しい。
キングズ・シンガーズをまとめ買い。最初はスウィングル・シンガーズも買おうかと思ったのだが、こちらは聴いていてウザい(笑)。あー、上手いですね。試聴だけでもうお腹いっぱい。俺たちはこんなこともできるんだぜ!って自己主張が強すぎてうんざりする。伴奏をアカペラでやるのがたまらなくウザい。クラシックでは抑制も大事なんだなぁ。ジャズだとそこまでは思わないのだが。キングズは曲がクラでもビートルズでも民謡でも出すぎずいい塩梅。もちろん上手さでも引けは取らない。ただ、Signumではアンソロジーばっかりで大曲も録音してほしいところ。それはメジャーでやるのかな。
今回はガブリエリ・コンソートの方も大曲ではなくアンソロジー。キングズ・シンガーズより人数が多くても透明なハーモニーはさすが。ただ、ヘンデルの大曲録音があちらでは続々と出ているのに日本では音無し。売れてないのかなー。以前はアルヒーフやグラモフォンにも録音してたんだから知名度はあるはずなんだが。
ジュリアン・ブリスは言わずとしれたクラリネットの神童だった人だが、何故か場末のSignumに録音。恐らく大曲志向のメジャーでは録音できないレパートリー選択の自由があるのだろう。実際、ベニー・グッドマンのトリビュート・アルバムなんて最近のクラリネット奏者はやらなくなって久しい。ここでは見事にスウィング・ジャズのひしゃげた音を再現している。よくよく聴いたらクラシック奏者の演奏だなって尻尾を出す部分もなくはないが、上手い。ニールセン、プロコフィエフでは鋭いモダンな表現、モーツァルト、シューベルトではベタベタしたメランコリーとはおさらばしたサラッと透明な叙情で聴かせる。確かにこれはストルツマン以来の大器と言われて当然だろう。小曲集は自ら編曲したものも多く、曲作りの才能もあるらしい。最近太り気味なのが心配(笑)。せっかく子供顔を維持してるんだからデブらないでね。
イアン・ページとクラシカル・オペラがモーツァルトの宗教的ジングシュピールを演奏したものと録音で共演の多いソリストを立てた歌曲集が幾つか。モーツァルトはこの義務的な宗教曲作曲がやりたくなくてコロレド大司教の元を離れたわけだが、やっぱりモーツァルトはモーツァルト。厳粛な雰囲気より饒舌で快活な曲になっている。これも大司教は気に入らなかったのかもしれないが。やる気のない若書きでもモーツァルトの個性がはっきりと出ているのはさすが。この録音や以前購入した羊飼いの王様で共演していた歌手連中をソロに立てたのが他の録音。新設の団体だったはずのクラシカル・オペラはいつの間にかSignumの中心アーティストになってきている。
中でもアラン・クレイトンのヘンデル録音におけるどこまでも伸びやかな美声は聴きもの。モーツァルトやバッハなら声に負けじとオケを煽ってしまうが、ヘンデルは声に寄り添うような作曲。ここではペイジ指揮のクラシカル・オペラの伴奏も柔らかで見事。メサイアや合奏協奏曲で派手なイメージがついているが、声楽を扱うときのヘンデルはあくまで歌手を主役にする。モーツァルト以降の作曲家の伴奏はうるさすぎて歌手が負けじと声を張り上げる結果、ヴィブラート過多の歌唱が増えてきたのだということが理解できる。このクレイトン、残念ながらイケてない無精髭のおデブさんである。ライブに接した人もビジュアルが汚いとはっきり言っていた(笑)。しかし、ライブでも美声は素晴らしかったそうだ。歌手も声優もビジュアル重視の時代だが、こんな人にも頑張って欲しいもの。若い頃の写真はさほど太ってもいなくてブサイクでもないのだがどんどん汚くなっていったようだ(笑)。最後はパヴァロッティ化か?
モーツァルトのオペラ・アリア集はジェレミー・オーベーデンとエイジ・オブ・エンライトンメントの演奏。これをアラン・クレイトンのヘンデルと比較すると面白い。歌手の持ち味の違いもあるだろうがモーツァルトでは声が太くなってしまうのだ。饒舌なモーツァルトのオケに対抗するには歌手も声が大きくないといけないのだろう。ましてワーグナーやヴェルディなら尚更だ。こうして歌手が大きな声量を求めてヴィブラートを掛けるようになっていった歴史が見て取れる。個人的にはどこまでも清澄なクレイトンの圧勝。ただ、オケの持ち味と曲の違いでクレイトンがこのオケとモーツァルトを歌えば力強いオケに埋もれてしまう可能性が高い。声量を犠牲にして清澄さを出しているのだろうから。ヘンデルの歌手への配慮と軽やかなクラシカル・オペラの伴奏が声量の小さいクレイトンを活かしきっているのだ。なお、ビジュアルでは渋いダンディ中年のオーベーデンの圧勝である(笑)。