goo blog サービス終了のお知らせ 

酒と音楽とPC

血は酒で出来ている(某声優談)。他の趣味はPC組み立てるのと音楽聴くのしかない。

ルイ・フレモーEMI録音集成

2018-11-26 21:18:57 | 音楽

フレモーがラトルの前任としてバーミンガム市立の音楽監督をしていた時代の録音を集成したボックスセット。13時間で5000円程度とハイレゾとしては非常に廉価に手に入る。CDも似たような値段だったが、CDは2500円程度に下落してるようだ。例によってCDではiconシリーズとして発売されているものだが、ハイレゾとして発売されるのは24bitリマスターが施されたもののみである。今後シルヴェストリのように極端に古いものを除いてすべてのiconシリーズがハイレゾ化されるとありがたいのだが。

1970年代の録音で既にベルリオーズのレクイエムが入っているのが目を引く。この時点でメジャーで録音していたのはC. デイヴィスぐらいではなかっただろうか。演奏様式は古楽の影響を受ける前のモダンだが、取り上げているだけで偉い。費用もかかる曲であるからフレモーから強い要望があったのだろう。マスネ、オッフェンバックの管弦楽、序曲集も含まれるが、このジャンルはすっかり録音が減ってしまった。天国と地獄など、かってはドリフターズのギャグから文明堂のCM、パチンコ屋でも流されるほど人口に膾炙していたのが嘘のようである。マスネもオッフェンバックもオペラは復活気味なのに管弦楽や序曲集は消えていってるのが寂しい。こんな曲を楽しく、洒落た演奏でまた楽しみたいものだ。

ラロのスペイン交響曲・・・Y. P. トルトゥリエの独奏だが、録音が良くないせいもあってか全く音色にも節回しにも魅力がない。残酷なまでに他の著名ヴァイオリニストと差がある。現在はヴァイオリンは止めて指揮に専念しているようだが、正解だろう。この録音は父親のチェロ協奏曲も併録されており、息子とは役者が違う。

一見フランス音楽集のように見えるこのセットだが、ドビュッシー、ラヴェルと言った売れ線は僅かしか入っておらず、ベルリオーズを中心に、サン=サーンス、ビゼー、フォーレ、マスネ、オッフェンバック、イベール、プーランクと言ったちょっと変わった選曲。そのベルリオーズも幻想やロメジュリ、イタリアのハロルドのような売れ線は含まれない。うーん、どうしてドビュッシーとラヴェルを忌避したんだろうな。予定があったけど音楽監督交代でラトルに引き継ぎされてしまったのだろうか。イギリスのオケということでか、フランスもの以外ではウォルトンが大量に入っている。しかも、珍しい選曲。ウォルトンはいつも逞しい音楽性で知らない曲であってもそう変化はないのだが、マスネ、イベールはこれまで持っていた作曲家のイメージを覆すものだった。自分の中に持っていたイメージ通りの優美なものもあるのだが、アレグロで一直線に押しまくる曲が結構ある。やっぱり聴いてみるものである。ほんの一部しか聴いていないのに勝手に先入観を持っていた私が悪いのだが。ベルリオーズ、サン=サーンス、ビゼーの交響曲、管弦楽曲は佳演。声楽(レクイエム)はフォーレもベルリオーズも録音の悪さもあってあまり楽しめなかった。プーランクのグローリアが良かったぐらいか。

さて、最後に録音について。率直に言って良くない。24bitリマスターによるハイレゾ化がどうとかとかいう以前に元々の録音が良くない時のEMI特有の解像度が低いこもった音だ。とにかく分離が良くなく、モノラルっぽい音の塊になっている。楽器の音色もよく聴き取れず途中で聴くのを止めたくなってしまうものまであった。中にはそこそこ聴けるものもあるのだが、良くないものの悪印象がどうにも強すぎる。70年代前半としてもよろしくない。

録音はB-Cというところか。ほとんどがCと考えてもらっていい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまにはオペラでも

2018-08-29 14:12:16 | 音楽

オペラは本来見るものであると思うので録音だけ聴くのはどうかと思うのだが、私はタモリ同様、死にかけの男女が声を張り上げて愛の二重唱を歌うなんてのは滑稽だと思ってしまうタイプなので歌劇場に出かけようとかブルーレイを鑑賞しようと言う気分になることは滅多にない。一昔前のようにビジュアルだけでアウトっていうタイプの歌手はいなくなってきているものの、いつ見ても絵は要らんなぁと感じてしまう。ヴォツェックやルル、それ以降の現代のオペラはそうでもないのだろうが。今回買ったのも安かったからに他ならない。

入手したのはラトル / ベルリン・フィルのカルメン、パッパーノ / サンタ・チェチーリア歌劇場のアイーダである。後者は今日日珍しいセッション録音ということに惹かれて買ったものである。最近、セッション録音は相当な人気者でない限りなされることはなく、ライヴの編集でお茶を濁しているのがクラシックの現状。ロック、ポップスのようにセッションだけでペイするほどの人気がないということでもある。クラシックは室内楽、器楽以外は人数も多く、会場の費用もかかるわけでライヴの入りを当てにするしかないのは致し方ないのであろう。

珍しいベルリオーズの「トロイア人」(ネルソン / ストラスブール・フィル)も安売りされていた。これは需要の少なさから廃盤(配信停止?)になるのも早いであろうし、欲しかったのだが、あまりおもしろくないのが確定しているオペラの上に4時間の長丁場を集中する自信がなく、見送った。クリュイタンスその他の管弦楽抜粋は気に入っているので好きな瞬間はあるのであろうが、誰もが退屈と言っている上にそもそもオペラは苦手ジャンルであるから金と時間の無駄になるのが怖かった。

ラトルのカルメンは録音が良い。これだけで買う価値がある。そして、嫌になるほどベルリン・フィルのソロ楽器が上手い。トランペットがソロを取っただけで場の空気が変わるほどだ。歌手も悪くない。個人的には比較対象にしている晩年のカラスのカルメンの印象が甚だ良くないのでどの歌手も可憐に聴こえる。カラスは恐らく原作を参照して悪女としてのカルメンの役作りをしたのであろうが(もちろん、可憐な声はその時点で失われていた)、敢えて悪女のカルメンを聴きたいと思う人が多いであろうか?カラス晩年の録音も褒める人がいるが、贔屓の引き倒しではないだろうか。モノラル時代のカラスの素晴らしさは否定しないが、ステレオ時代のカラスの低くて野太い声が私は嫌いだ。

パッパーノのアイーダを聴いて再認識させられたのはマゼール盤(スカラ座管 85年)の管弦楽の素晴らしさとパヴァロッティの凄さである。パッパーノ盤も歌手は現代の名手(ヨナス・カウフマン)であるが、正直、パヴァロッティとは比較にならない。そもそも、この人、ドイツ人のワーグナー歌手だよね・・・。ラダメスに適切な人選なのかな?パヴァロッティはマゼール盤の録音時点で既に最晩年なのだが、まさに空気が変わるようなインパクトをパヴァロッティの声は発している。脳髄に電撃が走るとはこのことか。これはセッション録音だが、本番にこの声で歌えたら大喝采間違いなしだろう。私は本来ヴィブラートを掛けない清澄な声が好きだが、パヴァロッティはまさに好き嫌いを超える別格である。カウフマンが気の毒になるほどの格の差がある。衰えた状態でこれだよ!

管弦楽もパッパーノとマゼールの違いが痛感させられる。マゼールは例によって派手な部分は派手派手しくぶっ飛ばしているが、清澄な部分では本当に透明な音をスカラ座のオケから引き出しているのだ。イタリアの指揮者からこのような清澄な音は全く聴くことが出来ないから、マゼールの手腕なのだろう。終幕はまさに天国に昇るような美しさである。パヴァロッティとキアーラもここでは抑えめな声で華を添えている。昔日のデッカの周到なセッション録音の素晴らしさを痛感させられる名録音だ。

パッパーノはトリスタン(EMI)の印象もタイトルロールのドミンゴ共々良くなく、今後買うことはない指揮者に入れることになるだろう。

カルメン ラトル / ベルリン・フィル SS

アイーダ パッパーノ / サンタ・チェチーリア歌劇場管 A

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリヴィヌの明晰なドビュッシー

2018-08-21 17:27:37 | 音楽

エマニュエル・クリヴィヌといえば、昔はヴァイオリニストでその後指揮者に転身、デンオンレーベルにたくさんの初期デジタル録音を残した指揮者。所属が国内レーベルで世界的には中堅レーベルの上に輸入盤もなくて廉価盤指揮者なのに国内では値段が高い、というイメージで敬遠されがちだった。この後書くことになるだろうフィリップ・ジョルダンの父親であるアルミン・ジョルダン(フランス系スイス人のワグネリアン、ということはコルトーの系譜?)のような知ってるけど音源は持ってない、あるいは無視されがちな立場に置かれていたように思うのである。デンオンもちっともこの指揮者をアピールしなかったように思う。国内的には極めて地味なポジションに置かれていたわけである。

しかし、今のクリヴィヌはリヨン国立を一流オケに育て上げ、功績が認められてフランス国立管を率いるという立場になっている。プレートル同様、知名度の割に随分出世は遅かったが、現在ではフランスでもトップクラスに位置する指揮者になっているわけである。所属もデンオンから変わったのか、今ではワーナー傘下のEratoとCBSの傘下にあるαから音源が出ているようである。

この指揮者の新録音である海と管弦楽のための映像がとにかく凄いのだ。ドビュッシーといえば曖昧模糊で取り留めのないイメージを持つ人も多いと思うが、この録音には曖昧な部分などかけらもない。すべてが目に見える、精密なガラス細工のようにくっきりと音楽の隈取がされた録音なのだ。トスカニーニ、CBS時代のブーレーズの系譜といえなくもないが、それらとは比較にもならない良い録音がそれに追い打ちをかける。これまで録音の良さもあって比較的明晰と思われてきたデュトワ盤なんか吹っ飛ばしてしまう演奏だ。特に明晰すぎる管弦楽のための映像が素晴らしい。海にはこれまでも明晰な録音がなくはなかったが、管弦楽のための映像、特に長大なイベリアで曖昧な部分などまったくない録音をした人がいたであろうか?音楽における印象主義とはなにか、根本から考え直させるような素晴らしいアルバムである。

ドビュッシー 海、管弦楽のための映像 クリヴィヌ / フランス国立管 S

フィリップ・ジョルダンがウィーン国立歌劇場の音楽監督になるとかでどんな指揮者なのか、興味を持って買ったのがラヴェルのダフニスとクロエだった。録音時点ではウィーン響とパリ・オペラ座が主たる活躍場所であったはずだ。ただし、この時点で既にウィーン・フィルとベートーヴェンの録音が始まっており、ウィーン歌劇場との関係も深かったのだろう。

今一番注目されている指揮者の一人であるし、父親のアルミンにはプラッソンと共に珍しいフランス音楽でお世話になったものだが・・・。この音源は平凡という一言に尽きる。スラットキンのラヴェルのように箸にも棒にもかからないという悪印象ではないのだが、いかんせん全く記憶に残らない。P. ヤルヴィのときと同じだ。せっかくのウィーン国立歌劇場就任という話題もあって別項を立てるつもりだったがその気が失せてしまった。

ラヴェル ダフニスとクロエ、ラ・ヴァルス フィリップ・ジョルダン / パリオペラ座管弦楽団 A

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アバド RCA Collection

2018-08-15 12:14:36 | 音楽

今回は珍しくCDの購入である。たまたまアマゾンギフト券を貰ったのでCDで普段買わない演奏家を買ってみようと思い立った。アマゾンギフト券からビットキャッシュなり、Web Moneyなりに変換できれば今更CDを買うことはなかったのであろうが・・・。

アバドはもうすぐグラモフォンでベルリン・フィルとのコンプリート箱が出るらしいが、個人的にはアバドとベルリン・フィル、グラモフォンの主流であるドイツ音楽の相性が良いとは思えないこと、たまたま貰ったアマゾンギフト券の金額をオーバーすること(笑)もあってRCAの方を選択。アバドはオペラのコンプリート箱(ベルリンとのオペラは少ないのでコンプリート箱とはあまり被らないか?)、RCAのオペラ箱もあって、マゼールとの扱いの違いに驚く。マゼールは専属じゃない根無し草になってたのもあるのだろうが、アバドだってベルリンを辞めた最晩年は好き勝手にいろいろな会社で録音しており、グラモフォン専属だったわけでもない。やっぱり人気の違いだろうか?

RCAの箱はシカゴ響客演時代が中心かと思ったら比較的新しいベルリン・フィルとの録音、オペラ録音も含まれており、グラモフォンのコンプリート箱ほどではないが、お買い得である。39枚で7000円程度で買える。メインはシカゴ響とのチャイコフスキー交響曲全集であろうが、ベルリン時代の特定のテーマに沿ったアンソロジー形式の近現代を織り交ぜたプログラムが興味深い。現代音楽を得意としていたアバドならではのプログラムだろう。シャイーもこんなアルバムを幾つか編んでいて、イタリア人特有の感覚なのだろうか。ムーティならやらないだろうな。ムーティも現代ものは得意そうなんだけどね。

アバドの特徴はやはり精妙な音の綾織を作り出すこと。チャイコフスキーの初期交響曲のような一見取り留めもない曲想で絶大な力を発揮する。逆に起承転結がしっかりしている後期交響曲ではダイナミズムが不足すると感じてしまう人が多いだろう。迫力を犠牲にしてでも精妙な音のタペストリーを作り上げる。これがベルリン・フィルと相性が良いとは思えない理由であり、なおかつドイツ物が面白くない理由でもあるのだろう。

アバド得意のムソルグスキーは一見ダイナミズムが重要に見えるが、それはリムスキー・コルサコフの編曲に依る部分が大きく、アバドは極力リムスキー以外の版を用いている。ロシアの古い世代の指揮者の多くが原色ギトギトのリムスキー的表現にしてしまうところを精妙な音の綾織に書き換えてしまう。クールだが実に見事だ。ホヴァンシチナなんかため息が出てしまう。ボリス・ゴドゥノフも美しい。禿山の一夜も合唱入りの版を用いている。ただし、この版はあまりおもしろいとは思えなかった。

ノーノの途絶えし歌も見事。他の録音が雑に聴こえてしまうほど精妙。ノーノは聴くのが苦痛な作曲家の代表のように言われてしまう人だが、アバドの指揮で聴けば決して苦痛ではない。ベルクだけではなく、ブーレーズあたりとの繋がりがしっかり感じ取れる。力と光の波のようにの録音も聴きたくなった。ケーゲルでは凄い世界だが、とてつもなく煩いと感じたが、アバドならどうなってるんだろうな。

ラフマニノフはあまり好きではないらしく、協奏曲の伴奏しか入っていないが、リカドをソロに立てたラフマニノフは見事。ソリストそっちのけでオケばかり聴いてしまうほどだ。予想通りプレヴィンタイプのしっとりと柔らかい表現。シカゴ響の力と録音が新しいせいか、プレヴィンがアシュケナージを支えた録音より伴奏は美しく聴こえる。メンデルスゾーンの夏の夜の夢も本来剛直なベルリン・フィルからとても柔らかな音を引き出している。

ベルリン・フィルとのモーツァルト、ベートーヴェンは例によっていつものアバド(笑)。ロッシーニでは精妙なだけでなくダイナミズムにも欠けてないのにドイツものは「精妙な世界を作るために地ならししました」、になってしまう。美しい部分も多いが、モーツァルト特有の快活さ、饒舌さは後退しているように感じる人も多いだろう。もちろんベートーヴェンもおとなしい。プロメテウスの創造物のような曲だとアバドの良さが際立つが、交響曲や序曲ではどうしても迫力不足と感じてしまう。

極め付きのロッシーニは序曲、ランスへの旅(新盤)が入っており、シューマンのファウストからの情景、ヴェルディのシモン・ボッカネグラも含むこの箱はズバリ買いだ。多く入っているベルリン・フィルとのモーツァルトもセレナードやフリーメーソンのための葬送音楽のようにアバドの美質がよく出てくる曲も含まれていて交響曲の不満も我慢できる。

個人的にはアバドの全盛期はロンドン響音楽監督、シカゴに客演していた時代。その後の録音も近現代やメンデルスゾーン、ムソルグスキーは素晴らしいが、他はベルリン・フィルとの齟齬が気になってしまう。アバドにしてもラトルにしてもベルリン・フィルの魔力(世界一のオーケストラの名誉)に囚われて向いてない仕事を引き受けたような気がしてならない。今度のペトレンコは上手くいくのだろうか?

余ったギフト券でルガンスキーとプレヴィンのラフマニノフ(ワーナー)を購入。ルガンスキーの伴奏を務めたのはサカリ・オラモ(バーミンガム市立響)であるが、ラフマニノフの管弦楽曲はワーナーでは録音しなかったらしく、定評があるが古いプレヴィンの交響曲、管弦楽曲が組み合わせられている。プレヴィンの管弦楽曲録音は以前持っていたが人にあげてしまったらしく、手元にないのと合唱曲の鐘は持っていなかったのもあって丁度良かった。死の島は入っているが、岩が欠けているのが惜しい。鐘はやはり美しい。録音点数が少ないが、ラフマニノフが好きなら手元に置くべき曲だ。

ルガンスキーのピアノは美しい。ただし、かなりの人工美であり、好みが分かれそうだ。温かいピアノが好きな人は受け付けないかもしれない。最近のピアニストはこのタイプが多いのではないか。腕は滅法立つが知的で冷たい演奏。ショパンの主題に依る変奏曲、コレッリの主題に依る変奏曲は比較的録音されるのは珍しく、古のホルヘ・ボレット以来の久々に耳にした。協奏曲は美しいが他の若手ピアニストの演奏と区別がつかないかも。オラモの伴奏もアバドと比べられると分が悪い。更に前奏曲集、チェロ・ソナタとチェロとピアノによるヴォカリーズがついているのは嬉しかった。お値段(2000円以下)を考えると実に充実した内容だ。売れているラフマニノフの曲は岩、宗教曲以外ほとんど手に入るのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

例によってSignumとALFA MUSIC以外安くない

2018-07-30 07:26:39 | 音楽

せっかくのサマーセールだが、メジャーはほとんど安くしてくれてない。セールと銘打っていないが、ワーナーの一部がちょっとだけ安くなっていた。それでも海外よりずっと高い。何故か2xHDのクラシックは超大幅値上げ。ちょっと買う気にならないぐらい高くなってしまった。メジャーと比べると演奏家の知名度は落ちるわけだから同じような値段で売れるのだろうか。現実に出ている音質は良いとはいえ、かなり怪しげなリマスター方式を取っているわけだし。値段が変わらなければNaxosやOndineのオリジナルを買うという人も多いだろう。

ショスタコーヴィチ 交響曲第4,11番 ネルソンス / ボストン響 A

モーツァルト オーボエ協奏曲、ハイドン協奏交響曲 アバド / モーツァルト管弦楽団 B

シェーンベルク ブラームスピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲)、室内交響曲第1番 ラトル / ベルリンPo A

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲集、ピアノ・ソナタ集 ドノホー / カーティス / オーケストラ・オブ・スワン A

Silence Music マクリーシュ / ガブリエリ・コンソート S

Landscape Time キングズ・シンガーズ S

1605 Treason and Dischord キングズ・シンガーズ S

Swimming Over London キングズ・シンガーズ S

Works by Debussy, Glinka, Milhaud, Francaix, Prokofiev ジュリアン・ブリス A

ニールセン、モーツァルト クラリネット協奏曲 ジュリアン・ブリス / ヴェンツァーゴ / ノーザン・シンフォニア A

Tribute to Benny Goodman ジュリアン・ブリス六重奏団 A

Jimmy James Rhodes Live in Brighton ジェームズ・ローズ B

モーツァルト 第一戒律の責務 イアン・ページ / クラシカル・オペラ A

モーツァルト An Italian Journey ジェレミー・オーベーデン / ジョナサン・コーエン / エイジ・オブ・インライトンメント A

岩の上の羊飼い  アイリッシュ・タイナン / クリストファー・グリン / ジュリアン・ブリス A

Where'er You Walk - Haendel's Favourite Tenor クリストファー・グリン / イアン・ページ / クラシカル・オペラ S

ハチャトリアン コンチェルト・ラプソディ、リャプノフ ヴァイオリン協奏曲 宇田川杰子 / ブリバエフ / ロイヤルPo B

Date With A Dream マレン・モーテンセン S

Bossa Nova Memories ラクエル・シルヴァ・ジョリー A

Flor De Lis ラクエル・シルヴァ・ジョリー A

Ciao Roma ラクエル・シルヴァ・ジョリー A

The Driver アンドレア・ベネベンターノ・トリオ B

いざ買おうとして気がついたのだが、Signumのオケものはほとんど買い尽くしてしまっていた(笑)。他は安くならないからある意味当然とも言えるのだが、それにしても・・・よく買ったものだ。本家では新譜が出続けているのだから契約打ち切りでなければ早々に出してもらいたいもの。今回は仕方がないから若手ソリスト、歌手に着目して買うことにした。AFLA MUSICのジャズがまた安くなっていたので歌ものばかりを購入。まともなジャズはベネベンターノのみ。

ネルソンスのショスタコーヴィチは何故か2600円で新譜が出た。ユニヴァーサルは値段の様子見をしていると以前に書いたが、やはり高価格政策を続けるか、海外並みとはいかずとも安くするか、揺れ動いているようだ。前回のアルバムはセールという名目で2600円で売っており、現在はいつもの3800円に戻っている。今回もほぼ2枚分と言っていい内容だから安い。この値段が定着してほしいもの。と書いていたらいつの間にか5000円に値上げされていた(苦笑)。何が何やらよくわからない。演奏の方は前回同様、箱庭的だが11番では転けそうになるほど遅いテンポを取ったり、前回より工夫が見られた。ただ、これが受け入れられるかは疑問である。若手ロシア系指揮者に多い純音楽的なアプローチと言えなくもないが、やはり迫力が不足する。

アバドのモーツァルト協奏曲集はえらく安く売られていたが最晩年の録音ということで記念に購入。アバド自身が設立したオーケストラを指揮している。まあ、いつものアバドである。晩年だから大きく変化した、ということはないらしい。すっきり爽やか。ソリストも上手い。

ラトルのシェーンベルクは再録音ということになるのだろうか。以前バーミンガムのオケとピアノ四重奏曲の編曲と室内交響曲を入れていたはずである。これも最新録音ではないが、少しだけ安くなっていた。ラトルはよほどこの編曲がお気に入りらしい。個人的に興味は室内交響曲にあったが、ラトルが力を入れているのは明らかに編曲の方。ブラームスは交響曲で構想してボツにした曲を室内楽や協奏曲に転用するのがお決まりだったから管弦楽編曲は故なきことでないのだろう。シェーンベルク曰く、ピアニストが悪目立ちして曲の価値が理解されていないので編曲した、とのこと。ただし、ブラームスならこうしたはずの編曲ができた、といいながら新しい技法、楽器を用いている箇所がある。プロコフィエフの古典交響曲におけるハイドン同様、この発言は諧謔なのかもしれない。

ドノホーのショスタコーヴィチは確か24の前奏曲とフーガもあったはずだが、まだ日本では発売されていない。何故か第二弾の協奏曲とソナタが先に出た。ソナタ1番の方はショスタコーヴィチにしては面白くない若書きの曲で何度か聴いているはずだが印象に残らない。モダニズム臭がきつすぎて拒絶反応が出ているのか。協奏曲の方はドノホーの透明な音色を活かした演奏になっているが、何故かあまり印象に残らない。全体的におとなしすぎる印象。オケが非力なせいもあるのか。好きな曲だけに期待していたが、うっちゃりを噛まされた。この曲は自作自演がすごいせいもあるのだろう。それに伴奏が良くないと面白くならない曲でもあるようだ。ソナタ2曲もついて2枚分のお買い得盤なのだが。この曲ではピアニストの名前より指揮者の名前が出てくるあたり、協奏曲と言ってもオケがかなり重要なんだろうな。トランペットの狂躁やクールな部分と皮肉のメリハリ、そんなものがよく出てないと全体的にノッペリしたツマラナイ演奏になってしまう。ピアニスト主導より指揮者主導の演奏が上手くいくのではないだろうか。ドノホーはリリカルな路線を狙ったのだろうが、それでは曲の魅力が減る。ソナタでは結構荒々しい表現も見られるので惜しい。

キングズ・シンガーズをまとめ買い。最初はスウィングル・シンガーズも買おうかと思ったのだが、こちらは聴いていてウザい(笑)。あー、上手いですね。試聴だけでもうお腹いっぱい。俺たちはこんなこともできるんだぜ!って自己主張が強すぎてうんざりする。伴奏をアカペラでやるのがたまらなくウザい。クラシックでは抑制も大事なんだなぁ。ジャズだとそこまでは思わないのだが。キングズは曲がクラでもビートルズでも民謡でも出すぎずいい塩梅。もちろん上手さでも引けは取らない。ただ、Signumではアンソロジーばっかりで大曲も録音してほしいところ。それはメジャーでやるのかな。

今回はガブリエリ・コンソートの方も大曲ではなくアンソロジー。キングズ・シンガーズより人数が多くても透明なハーモニーはさすが。ただ、ヘンデルの大曲録音があちらでは続々と出ているのに日本では音無し。売れてないのかなー。以前はアルヒーフやグラモフォンにも録音してたんだから知名度はあるはずなんだが。

ジュリアン・ブリスは言わずとしれたクラリネットの神童だった人だが、何故か場末のSignumに録音。恐らく大曲志向のメジャーでは録音できないレパートリー選択の自由があるのだろう。実際、ベニー・グッドマンのトリビュート・アルバムなんて最近のクラリネット奏者はやらなくなって久しい。ここでは見事にスウィング・ジャズのひしゃげた音を再現している。よくよく聴いたらクラシック奏者の演奏だなって尻尾を出す部分もなくはないが、上手い。ニールセン、プロコフィエフでは鋭いモダンな表現、モーツァルト、シューベルトではベタベタしたメランコリーとはおさらばしたサラッと透明な叙情で聴かせる。確かにこれはストルツマン以来の大器と言われて当然だろう。小曲集は自ら編曲したものも多く、曲作りの才能もあるらしい。最近太り気味なのが心配(笑)。せっかく子供顔を維持してるんだからデブらないでね。

イアン・ページとクラシカル・オペラがモーツァルトの宗教的ジングシュピールを演奏したものと録音で共演の多いソリストを立てた歌曲集が幾つか。モーツァルトはこの義務的な宗教曲作曲がやりたくなくてコロレド大司教の元を離れたわけだが、やっぱりモーツァルトはモーツァルト。厳粛な雰囲気より饒舌で快活な曲になっている。これも大司教は気に入らなかったのかもしれないが。やる気のない若書きでもモーツァルトの個性がはっきりと出ているのはさすが。この録音や以前購入した羊飼いの王様で共演していた歌手連中をソロに立てたのが他の録音。新設の団体だったはずのクラシカル・オペラはいつの間にかSignumの中心アーティストになってきている。

中でもアラン・クレイトンのヘンデル録音におけるどこまでも伸びやかな美声は聴きもの。モーツァルトやバッハなら声に負けじとオケを煽ってしまうが、ヘンデルは声に寄り添うような作曲。ここではペイジ指揮のクラシカル・オペラの伴奏も柔らかで見事。メサイアや合奏協奏曲で派手なイメージがついているが、声楽を扱うときのヘンデルはあくまで歌手を主役にする。モーツァルト以降の作曲家の伴奏はうるさすぎて歌手が負けじと声を張り上げる結果、ヴィブラート過多の歌唱が増えてきたのだということが理解できる。このクレイトン、残念ながらイケてない無精髭のおデブさんである。ライブに接した人もビジュアルが汚いとはっきり言っていた(笑)。しかし、ライブでも美声は素晴らしかったそうだ。歌手も声優もビジュアル重視の時代だが、こんな人にも頑張って欲しいもの。若い頃の写真はさほど太ってもいなくてブサイクでもないのだがどんどん汚くなっていったようだ(笑)。最後はパヴァロッティ化か?

モーツァルトのオペラ・アリア集はジェレミー・オーベーデンとエイジ・オブ・エンライトンメントの演奏。これをアラン・クレイトンのヘンデルと比較すると面白い。歌手の持ち味の違いもあるだろうがモーツァルトでは声が太くなってしまうのだ。饒舌なモーツァルトのオケに対抗するには歌手も声が大きくないといけないのだろう。ましてワーグナーやヴェルディなら尚更だ。こうして歌手が大きな声量を求めてヴィブラートを掛けるようになっていった歴史が見て取れる。個人的にはどこまでも清澄なクレイトンの圧勝。ただ、オケの持ち味と曲の違いでクレイトンがこのオケとモーツァルトを歌えば力強いオケに埋もれてしまう可能性が高い。声量を犠牲にして清澄さを出しているのだろうから。ヘンデルの歌手への配慮と軽やかなクラシカル・オペラの伴奏が声量の小さいクレイトンを活かしきっているのだ。なお、ビジュアルでは渋いダンディ中年のオーベーデンの圧勝である(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする