綉球花*八仙花

xiu qiu hua*ba xian hua 

   ・・・ 日々の生活の中で ・・・

隠元禅師

2008-04-03 | Weblog
インゲン豆は中国語では 菜豆 (ツァイトウ)または 扁豆 (ピエントウ)と言い、(ミン)の
時代に 隠元禅師 を日本に持ち込んだことから インゲン豆 と呼ばれ、隠元禅師
の命日にちなんで、4月3日 インゲン豆の日 とされている。 江戸時代 にどんな
荒れ地にも育った、この強い野菜は各種栄養面にも優れ、 飢饉 の時におおいに役立った。

  隠元禅師は、 中国福建省 黄檗山萬福寺 の住職でした。当時の日本は 禅宗
が衰退しており、それを案じていた 長崎・興福寺の三代目唐僧・逸然や 長崎の唐寺の檀家
たちは、高名な隠元禅師による新たな禅宗の伝来を願い、来日を懇願する書状を数回にわたり送り
届けた。 長崎の唐寺からの度重なる懇願に心を打たれ 承応3年 (1654年)、 63歳 の隠元は
30名の 弟子 をはじめ 仏師 絵師 など職人らも一緒に引き連れ来日した。 長崎に着くと
逸然をはじめ唐僧たちや長崎奉行、檀家らの大歓迎を受け、大勢の聴衆に 禅学思想 を伝えた。
来朝した禅師は、 後水 尾法皇 徳川家綱 の崇敬を得て、 京都宇治 の9万坪の寺地に、
寛文元年 (1661年) 黄檗山おうばくさん萬福寺 を創建した。  隠元は 建築 書画
煎茶 普茶料理 (ふちゃりょうり=中国僧の精進料理)を伝えるなどの功績を残している。

               インゲン豆をもたらした隠元禅師 より