古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

令和4年(2022年)の笹巻

2022-06-19 16:00:52 | ちまき・笹巻き
今年の記録

5月23日のイグサ採りに始まった今年の笹巻は、5月28日の大山への笹採りの始まり
6月17日のカタラ餅作りを最後に終わりました。

笹巻は約530本、カタラ餅は約30個作り、笹巻教室を交流センターと私の実家とで行いました。
私の実家では、地元の若い方が教えてほしいとのことで初めて地元での教室を開きました。
当初は地元の交流センターでと考えていましたが、コロナの為交流センターに迷惑をかけても
いけないからと、実家の倉庫で行いました。
会場準備や片付けは大変でしたが、夫が手伝ってくれたし若い方に伝承するのは私の夢だったので
うれしく、満ち足りた気がしました。




安来市では赤江や比田の交流センターで笹巻教室が開かれていて、
どじょっこテレビで今年も放送されていました。
子どもさんもたくさん参加されていて、準備される方は大変ですが続いていくといいなー、と
思います。

また、今年から郵便局のふるさと小包の笹巻がなくなったことはとても寂しいことでした。
その為、知り合いから急にやめるわけにいかないからと、急遽2ヵ所ほど頼まれました。
進物用の2キロ入りの箱に25本入りました。


笹巻を作ることがたいへんになって、ふるさと小包便で笹巻を送ればよかった方も
いざこれがなくなったからと言って、昔に戻って自分で作るという事にはならないと
思います。

夫が笹を採ってくれて、私がその傍らで捌いて持ち帰る、という最近のスタイルは今年も継続しましたが
使った笹や笹巻教室のために準備した笹を計算してみたら約3000枚でした。

私自身は澄ました感じのかんざし巻きもいいけど、素朴でおふくろの味わいのある頬かむりも好きなのですが、
頬かむりより、かんざし巻きの方がおいしい(中身は同じなのに)と言われたので、今年はほとんどかんざし巻きに
しました。時間的に大して変わらないので、イグサの長さの違いだけです。

今年、初めての笹採りは大山へ昨年と同じ5月28日に行ったのですが、笹の生育が遅かったです。
大山へは3回行きましたが、どんぐり村でそのたび見ても、笹を売っていないのは、初めてでした。
最後の笹採りは伯太町の初めての場所へ行きました。大山に比べて笹の幅が狭いです。

粉は例年通り、伯太町赤屋から1キロ850円でいただきました。
例年、大正醤油屋さんが作られる砂糖醤油を合わせてお世話していただいていましたが、
今年から郵便局の笹巻がなくなったため、作られなくなったそうで手に入りませんでした。
今年は笹巻作りをやめたから、という方はいなかったのですが、自分で米から粉にしてもらうという方が
2人いて、赤屋への注文が少し減りました。

今年は1キロの粉に対し、熱湯650CCにしてみましたが、これでよかったように思いました。

毎年終わるとあちこちが痛いと騒ぐので、今年こそはそれがないようにしようと、早めに切り上げました。
ところが終わってしばらくしてから、左手の薬指が痛いのです。
これだけは来年までに直しておかないとと、マッサージに励んでいます。




川西 地蔵札

2021-10-11 21:08:20 | 川西 地蔵札
旧能義郡赤江荒島飯梨川西24番及び番外地蔵尊名と写真、ご詠歌の紹介

この度、第12番 山根福間屋門地蔵の写真を掲載し、これですべてのお地蔵様の写真を載せました。
松江のマーブルテレビの方がこのお地蔵様ブログを見られた縁で、3回シリーズで放送されました。
プロデューサーの方と偶然お話しする機会があり、その方はブログを見た時、
「なんでこの人は最後まで写真を載せてくれてないんだろう」と思ったと言われました。

当初2008年に取り掛かりましたが、途中でがんになり長い間中断していました。
あれから13年、少しづつ追加しこの度ようやく完成しました。

参考文献:
「飯梨川西廿四番地蔵札ご詠歌」発行所 荒島公民館(荒島地区ふるさと学習会)

詳しいことはこの本に載っていますので、ぜひご覧ください。


文政7年・1821年(今から約190年前)久白・国正寺六世 中興魯範太愚大和尚の発願により「川西24番地蔵札ご詠歌」と題し詠まれたものです。


白い短冊に「南無地蔵大菩薩」と亡くなった方の戒名を書いて、親戚と一緒にお地蔵さんを廻り、お札を貼り拝みます。これを地蔵札打ちと言います。


第1番 久白邑(くじらむら)長安山 国正寺地蔵
ご詠歌:長き世を 安く渡らす国正寺 地蔵の誓い頼もしきかな

地蔵札のお地蔵様は、本堂左手の薬師堂の建物の中の右手にいらっしゃいます。






佐々木地蔵 番外
 国正寺境内、鑿渠の碑の右側にあります。佐々木善右衛門さん宅が男の子が生まれることを願って建立されたものとか。
本来の地蔵札にあるお地蔵様とは違いますが、皆さん、境内のすべてのお地蔵様に札を貼られるようです。



第2番 御墓崎地蔵《鎌倉権五郎廟所》  
ご詠歌:思わるる 古人のお墓すくわんと 崎幾(さき)の世頼む地蔵菩薩に


鎌倉権現


第3番 日白邑伯母地蔵(ひじらむらおばじぞう) 
ご詠歌:伯母地蔵 頼む心は大山(おおやま)の 智明に勝る法の白ら玉






第4番 下日白地蔵(しもひじらじぞう)
ご詠歌:慈悲深し 迷いの雲の渡し舟 晴れ行く先は近海荒島


大きいお地蔵様は昔からあるお地蔵さまです。
ここの町内では、毎年8月にお地蔵様のお祭りがあり、
その際、この大きなお地蔵様を集会所まで運び降ろしていました。
初盆の家が、子供たちにご馳走し、町内の者も拝みに行きます。
大変に重く首も傾いたりしてきたので、このお地蔵様を縮小した
小さいお地蔵様を作ってお祭りし、以来小さいお地蔵様を集会所へ
降ろしてお祭りします。
ちなみにこの墓地は両墓制と言って、埋め墓と祭り墓があります。
ただ最近は埋め墓をやめられるお家が多くなり、わかりにくくなった感はあります。


六地蔵様です。



場所は、松江方面から安来に向かい、安来市に入って初めての信号機の所、少し先の右手にある日白踏切を渡って、100m右手の権兵衛山墓地内

第5番 荒島町角地蔵(あらしまちょう かどじぞう)
ご詠歌:まるかれと思う心は法(のり)の道 角の地蔵と誰かゆうらん



同5番 郡札観音堂内地蔵(こうりふだかんのんどうないじぞう)
ご詠歌:忘るるな 庭の辺り(ほとり)の岩の松 恵む翠(みどり)は地蔵とぞ知れ

お地蔵様は平成15年7月の神宮寺のお社の新築に伴い、新しくなっていました。
以前のお地蔵様は手に何かお持ちになっていましたが、今度のお地蔵様は手を合わせておられます




屋島寺84番のお地蔵様もいらっしゃいました。


第6番 町東後出江怒地蔵(まちひがしうしろ でえぬじぞう)
ご詠歌:世の人が 出江怒地蔵と尊んで(たっとんで)参る心は後の世の種


第7番 懸岩地蔵(かけいわじぞう) 
ご詠歌:浪懸けの(なみかけの)松の岩間に住む地蔵 結ぶ心は涼しかるらん


このお地蔵様は、以前はこの岩の中にいらっしゃいました。
今は危険になったので下に降りられてお堂の中に祀られています。



第8番 海巌山円光寺地蔵 
ご詠歌:金色の 見おば円に(まどかに)光して 地蔵と唱う(となう)海の岩山






第9番 上荒島田中地蔵《一本松地蔵》
ご詠歌:田中より 光り上りし(のぼりし)地蔵尊 近海を添えて頼む浮島(うきしま)


第10番 桜地蔵
ご詠歌:桜木を 打ち割り見れば何もなし 地蔵の種と何か言うらん


桜地蔵様の名のとおり、桜の大木の元にいらっしゃいます。
4月4日ちょうど満開で、王陵の丘の桜が4分咲きなのに比べると
ここの花は少し早い感じです。
残念なことに老木のせいか、少し花つきが悪い感じでした。


第11番 穴地蔵(からじぞう)《ワンワン地蔵》
ご詠歌:何事も 穴から(からから)恵む地蔵尊 参る心は十五夜の月


第12番 山根福間屋門地蔵(やまねふくまやかどじぞう)
ご詠歌:山の根に 住む岩上(いわうえ)の地蔵尊 参れや価ふ福は手のまま









第13番 赤江天御前地蔵(あかえあめごぜんじぞう)《ぼたもち地蔵》
ご詠歌:天御前 姿は清し地蔵尊 参る心は頼もしの君






第14番 越前地蔵(こしまえじぞう)《延命地蔵》
ご詠歌:越す程に 慈悲を施せ人前に 足らんや(たらんや)地蔵 五穀与えん






第15番 住吉灘地蔵(すみよしなだじぞう)
《松原地蔵》

ご詠歌:諸共に(もろともに)般若の船に(はんにゃのふねに)八帆(やほ)かけて 参る心は住吉の灘(すみよしのなだ)






第16番 中島金屋門地蔵(なかじまかなやかどじぞう)
ご詠歌:金屋角(かねやかど) 地蔵菩薩も金多し 布施する心に価ひ(あたい)給わん







第17番 中島地蔵(なかじまじぞう)《浄養寺地蔵》
ご詠歌:中島の 帰命(きみょう)地蔵と唱え(となえ)なば 自在の家と繁り(しげり)栄えん




第18番 江渕地蔵(えぶちじぞう)《夜泣地蔵》
ご詠歌:江渕より 光り出でたる地蔵尊 野辺の砂田も浄土なるらん
松浦そば屋の東側の土手を150M位、線路の方に向かって歩くと左手にブロックづくりの小さい建物があり、その中にいらっしゃいます。中に荒島石が使ってありました





第19番 江陵山法雲寺地蔵(こうりょうざんほううんじじぞう)
ご詠歌:江陵の 夢もさめけり法(のり)の声 寺にたなびく 紫の雲

法雲寺は立派な本堂や庫裡が立て替えられ、永代供養の観音様も新しくできていました。
しかし24番のお地蔵様の中で唯一、昔あったはずのお地蔵さまがありません。

第20番 才下地蔵(さいげじぞう)《カラス鳴地蔵》
ご詠歌:武嶺(ぶれい)山 迷いの雲の晴れやかで 才下の地蔵頼もしきかな 





第21番 上坂田地蔵(かみさかたじぞう)
ご詠歌:浮き草の 迷い晴れたる上坂田 地蔵菩薩は知恵の玉法師
このお地蔵さまは、仲仙寺の境内にいらっしゃいます





第22番 西赤江地蔵
ご詠歌:我が誓い 念仏なせや西赤江 兎月(とつき)の山のあらん限りは





第23番 西中津地蔵
ご詠歌:中津とは 西の境の端(はし)なれど 中を渡らす我が誓いかな 







第2第24番 松葉山《洞谷(どうこく)山》仲仙寺《本尊延命地蔵》
ご詠歌:松風の 葉ねも貴とし(たっとし)仲仙寺 打つや納むる上坂田村
    洞(ほら)見れば 峰の嵐も法(のり)の声 谷の朽木も仏なるらん











番外編

蛇の口 開運地蔵(じゃのくちかいうんじぞう)


南場地地蔵《なんばじじぞう)《いぼ地蔵》


上荒島地蔵


山根紺屋地蔵(やまねこんやじぞう)








第6回 安来市平和の集い

2021-09-17 20:31:19 | 地域の行事
第6回安来市平和の集いが布部ふれあい体育館で開かれます。展示18日13:~19: 19日10:~12: 16:~19: 20日10:12:です。
イベントは19日14:~16:です。イベントは安来市民のみです。
西荒島婦人会は展示とイベントで「記録誌に見る戦争中の女性のくらし」として参加することになりました。
それに先立ち、昭和14年10月3日に婦人会の会員が武運長久を願いお参りした先を廻ってみることになりました。
記録では朝5時に荒島を出発して、筑陽神社・揖屋神社・武内神社・多賀神社・西嵩山・陸軍墓地・松江駅を午後5時の列車に乗ったとあります。
私たちは車で廻ったのですが、もう考えられない行程でぐったり。昔の人はすごい! と実感した日になりました。

下意東 筑陽神社


揖屋明神


武内神社


矢田の渡しを渡って300m 多賀神社 鳥居は大橋川に面していました



西嵩山 昔はもっと険しい道だったそうですが、駐車場からお参りして降りるまで1時間40分かかりました。女性の足で30分で登れると聞いていたのですが。


西津田町の旧・陸軍墓地 現在は緑山公園




2021年(R3年)笹巻終了

2021-06-26 22:00:24 | ちまき・笹巻き
例年よりかなり早く今年の笹巻は6月14日で一旦終了し、6月21日にかたら餅を1回作り
6月25日、道具類を物置小屋に納めました。
あともう1回かたら餅を作る予定ですが、
それはわずかなので道具は出ている普段使いのものでやりくりする予定です。

今年は笹巻は約500本、かたら餅は約50個作りました。
昨年の700本に比べたら大幅に少ないです。
今年は6月第1週と第2週のパソコン教室をお休みにしました。
昨年、コロナで教室がお休みだったら思う存分好きにできたので、
自分の気持ちで初めから勝手に休みにしました。

その割に数が少ないし、早めに切り上げたのには訳があります。
※ 途中でワクチン予約でほかの方のをとってあげる為、手をとられたこと。
※ 笹巻の途中から右手脇が痛くなり、ワクチン接種に行く前、袖なしの洋服を着て
  鏡を見たら、右手が腫れているような気がして、「リンパ浮腫?」と思ってしまったこと。
※ 今年は5月28日の笹の状態が一番よく、3回目の6月11日は笹が固くなり
  もう限界だったこと

特記事項
今年の郵便局のちまきは20本で4350円でした。
パソコン教室をお休みにした第1水曜日は、大山へ笹採り
 同じく第2週はパソコン教室の生徒さんで希望された方4名と
 交流センターで笹巻教室をしました。


知り合いに頼まれて5000円で進物用の笹巻を作りました。
 お金をいただいたのは初めてだったので心配しましたが、喜ばれたそうで安心しました。
 用意した菓子箱には入りきらず、ちょうどあったきれいな段ボール箱に30本納めました。


昔からの知り合いと話をしていたら、笹は買って笹巻をすると言われるので
 大山からとってきて差し上げたら喜ばれました
友だちのグループが作っている笹巻の粉をお世話していますが
 今年は2人の方が「もうよう作らんわ」と言って粉の購入をやめられました。

例年行く大山の笹採りの場所は、今年は木が切られてそのまま放置してありました。
笹も日陰が減って固くなるのが早い気がしました。
笹は足元が悪くなって採りにくい感じでしたが、採るのはほとんど夫に任せ
 私は笹の掃除に徹しました
笹は捌いてから冷蔵庫で保管しますが、やはり1週間が限度です
今年は息子が枝を切る電動カッターを買ってくれたので、笹の軸はそれで切りました。
 花ばさみが使えないほど手が痛かったので、これは助かりましたが気をつけないと
 指を落とすほどよく切れました。
ユーチューブの笹巻の作り方の閲覧数が、昨年は1200回位でしたが
 今年は今日現在1778回になっていて驚きました。 ただし、うち10回位は私が見た回数です。

今年も皆さんのおかげで、楽しく笹巻ができました。
来年も元気でできますように。

令和3年 笹巻開始

2021-05-29 21:19:19 | ちまき・笹巻き
今年も笹巻の季節になりました。
夫が散歩コースで、休耕田のイグサを見つけてくれました。
5月21日、長靴がはまりそうな湿田へ採りに行き、整理します。




5月28日は絶好の笹採り日和。
今年は笹の成長が早く、じっとしていて採れたので昨年の3割増しの量が採れました。
午後は笹の仕分けです。


5月29日からいよいよ笹巻開始。


早速、神様と仏様にお供えです。

今年も元気で笹巻ができることに感謝です。

「知ってほしい戦争中の女性のくらし」展を終えて思う事

2020-11-19 22:38:20 | 日々の暮らし
夫は「お前が戦争中に生きていたら、皆さんこうしなければなりません、
などとドラマに出てくる戦争中の割烹前掛けのおばさんになっていただろう」と言います。

私は夫に言います。「じゃーあなたは、召集令状が来たら、
自分は戦争反対だから、召集には応じられません、と拒否できるの」

高校の倫理社会で独裁政権は「軍隊・教育・マスコミ」で成立する、と習いました。
今はインターネットが発展してきたから、マスコミは「情報」と表すのでしょうか。

戦争のドラマになると、決まって割烹前掛けのおばさんが出てきて、
陰でそれを非難している人が、いかにも正義のように扱われますが、
それは今の時代だから正義のように見えるだけであって、
当時は違っていたのではないか、と思う今日この頃です。

展示会からの発見

2020-11-18 22:41:00 | 地域の行事
ふるさとまつりの婦人会の展示は無事終わりました。
来場者からいろいろお話を聞くことができました。

和歌山から荒島に疎開しておられた当時小学校1年生だった方のお話し
ー飛行機が低空で飛んでいて、旋回した後ストンと海に落ちた。
パラシュートに遺体がくるまれていたが、慰霊祭などされたいるだろうか。

小学校で講堂には近づくな、と言われたが見に行った。木の飛行機が作られていた。

この話を地元の方にしたら、知っている方がありました。
飛行機の墜落では助かった方がいて、婦人会の活動拠点であった「母の家」で療養されていたとか、
近づくな、と言われたのに見た飛行機はほかの方も見ておられたことがわかりました。

ふるさとまつりの展示の取材がありました。
テレビ局の若い女性と蚊帳の話をしましたら、蚊帳がわからないのです。
写真をお見せしましたら、今の若い方に蚊帳の説明をするには
「トトロに出ている」と言えばわかります、と言われました。
蚊帳の吊り輪を89個供出したということが記録簿にあり、
若い方にはわからないだろうと写真を説明に入れていましたが、
思わぬところに接点がありました。

戦争中の女性のくらし展

2020-11-18 22:18:26 | 地域の行事
荒島交流センターで11月7日(土)9時から13日(金)12時まで
「ふるさとまつり」が開催されました。
今年はイベントはなく、展示のみです。
各サークルや、小中学校の作品等見ごたえのある作品でした。
西荒島婦人会は、昭和12年からの記録誌を基に
「戦後75年、知ってほしい戦争中の女性のくらし」として展示しました。
約60点展示しました。

展示の元になった婦人会の記録簿

17歳の志願兵に準備しようとして間に合わなかった千人針

間に合わなかった千人針の代わりに寄せ書きをした日章旗

金属を供出して不足した重りの代わりに作られた陶器の重りのはかり

乳がんの手遅れ

2020-08-17 11:45:54 | 乳がん
ふたいとこの奥さんが乳がんの為、60歳で亡くなりました。
ふたいとこと言っても、最近は実家に行ったとき偶然に顔を見るだけで
何十年接点がありませんでした。

私にとっては、「母のいとこの家の別居はしているけど長男の奥さん」になるので
叔母と叔父を乗せて母のいとこの家へ悔やみに行きました。

とにかく医者嫌いで検診などは行っていなかったとか。
2年前に何かおかしい、と言っておられたらしいのにそのままだったらしく
入院して10日で亡くなられたとか。
3か所に転移していたとかでダメだった、と言われるけど
転移していたとしても10日とは、と驚きました。

あれだけ乳がん検診に行って! と言っていたのは何だったんでしょう。
改めてパソコン教室の皆さんに呼びかけました。
でも行かない人はあれだけ言ってもまだ行かれてないのです。

私は検診を受けてはいたけど、検診では発見されずに自分でおかしいと思って病院に行きました。
あれから12年、いろいろ大変だったけどまだ生かされています。

今年の健診については次回に。

2020年笹巻終了

2020-07-02 17:02:22 | ちまき・笹巻き
2020年の笹巻は6月22日で終了、23日に道具類を干し終了。
後は夫への感謝の気持ちで、7月に入ってから
かたら餅を少し作ったら、本当の終了になります。

今年の目標は500本でしたが、新型コロナによる外出自粛により
時間があり、笹巻700本、かたら餅40個を作りました。
また、偶然に行った友達の家で笹巻をしておられて、
贈答用にと頼まれて40本ほど巻くのを手伝いました。

今年はコロナの為、友達を誘うことを遠慮したので孤独な笹巻でした。
その代わり夫も家にいる時間が増え、昨年に増していろいろ手伝ってくれました。

最近は送っていなかった旧友にも差し上げることができて、
久しぶりにおしゃべりもでき、楽しい面もありました。

また知り合いが私の勉強の為、よその地区の笹巻をくださいました。
これは広瀬町布部のもの


これは松江市で巻かれたもの


地区だけでなく、各家庭により巻き方は違います。
その家の環境によったり、主婦の出身地によっても違うようです。

今年は夫の名言(迷言)が生まれました。
友だちが笹巻を頼みに来た時、今年は夫が手伝ってくれて助かっていることを
話ました。友達が褒めたら夫曰く「この時期は病気だから、病気の看病だと
思えばいい」と。

伯太の方では1000本も巻く方があると聞いたので、他の人に聞いてみたら
その方は巻くことが好きなので、ご主人が他の下手間を全部されるとか。
それを夫に話したら、「それは聞きたくなかった」。

結局、大山への笹採りは3回行きました。
夫も病気に疲れたのか、4回目は行ってくれなかったので一人で実家の近くに行きました。
採りすぎて粉が足りなくなったので、ここでついにあきらめて、
残った笹の葉は、干して笹茶を作る方に上げました。

今年も元気で笹巻ができたことに感謝。
昨年は終わったという文章に、腰が痛い身で書いている、としています。
今年は、今左腕が痛い身でこれを書いています。
周りの人は笹巻のし過ぎだと言いますが、笹巻は終わってから10日もたって
いますので、私はそれを認めたくありません。

ユーチューブの笹巻の巻き方の閲覧数は1200ほどになりました。
来年も元気で笹巻ができますように。